先日お亡くなりになった 宍戸錠さんのお嬢さん、紫しえさんと仲良くし
ていただいているので、密葬のあと、個別のお別れのあいさつに呼んでい
ただき、事務所にお伺いしてきました。生前のお父様のお仕事のお写真や
ご本がたくさん置かれていて、御遺骨の上には愛用された帽子。。。。火
災を出されてしまわれたので、そうでなければもっとたくさんあったので
しょう。でも、潔くこの世を飛び立たれたという感じで、それもよしと思
いました。
しえさんが語られるに、お父様は映画の撮影で役になりきると、そのまま
お帰りになり、家でも「殺し屋ジョー」のまま。とても怖かったそうです。
だから若いときは対立もあり、しえさんはお父様から離れたくて、ヨー
ロッパにダンスの勉強に行きました。
やがて日本に帰られてから、しえさんは、お身体を壊されます。最愛の男性との間に恵まれた子供の妊娠がわかった時、子宮頚がんがわかったのです。あろうことか、お子さんと共に子宮の摘出。その悲しみは想像を絶するものだったと思います
そんな中、お父様もお母さまもやさしくしてくださり、だんだんと距離も
縮まってきたようです。
「自分もいろんな経験をして、父の生き方を受け入れられるようになったのかも。俳優として、一流だったとつくづく思います」
と、しえさん。若いころは仕事が忙しくて家族との時間を作れなかったお父様ですが、晩
年は「90歳になったら撮影しよう」という企画をスタッフさんと煮詰めながら、穏やかに家族との時間を過ごしていたそう。
また、しえさんは昨年、里子をお迎えになれましたが、お父様はその小さなお孫さんと、
ピストルで撃ったり撃たれたりの遊びをよくされていたそうです。
「発見した時、いつものように息子に撃たれて倒れているといった状態でした」
奥様も10年前に亡くなられているので、お孫さんやしえさんとの時間は
如何ばかり濃密だっただろうと思います。しかもお孫さんと演技の御勉強をされてなくなったのですから、俳優人生にまさにふさわしい幕引きだと思います。
俳優としては日活のまさに黄金期を生き抜かれた、俳優のなかの俳優。それが「宍戸錠」という存在だったと思います。その娘として生まれたことには、苦しみもあったことでしょう。うまくいかなかった時期があるのも理解できます。
でも最後のころお父様に、事あるごとに「ありがとう」といわれ、そのたびにしえさんは、「「もうすぐ俺は行くよ」と言われているみたいで辛かった」といいます。
「小さい頃から優しくなんてあまりされなかったから、優しくされてもどうしていいかわからなかった。「どうして昔みたいに叱ってくれないの」って、、、、
優しくされる代わりに逝ってしまうなんて、つらすぎる。其れならずっと怖いお父さんでいてほしかった。元気で生き続けてほしかった。
「私は、父を恐れてれていましたが、だれよりも一番愛していました」
しえさんは言います。
主人は「一番がお義父さん、二番が義弟(宍戸開さん)で、三番が僕でいい」と
いってくれます。そのくらい父が好きでした」
そう言ってしえさんの頬に流れる涙を見ていて、私も涙が止まりませんでした。
私も父とうまくいっていなかったので、しえさんの気持ちはとても
よくわかります。しえさんも私の家族関係や持病のことは知っていて、何か通じるものがあったのか、私を信じて話して下さった気がします。
しえさんは、これからは弟の宍戸開さんに、「有名俳優の子でなく父を超えて、宍戸開として一流の俳優になってほしい」といいます。お父様もそれを一番望んでおられることでしょう。お母様も。
お二人は天国で仲良くしえさんと開さんを見守っていますから、安心して頑張ってくださいね。
それにしても、お父様がいなくなり、さみしくなってしまうでしょう。
里子として新しく息子さんを迎えて家族が増えたことは、しえさんにも、お父様にも最高のプレゼントだったと思います。
しえさん、悲しいとは思います。でも、今までたくさん苦しんで、お父様とお母様を立派にサポートされたのだから、これからは少し自分のことを楽しませてあげてね。
一緒に海外にも行ったり、楽しくお食事やお買い物もしましょうね。私はとてもきれいなしえさんの、深い精神性を感じさせるお姿を絵にしたいです。
しえさんがご自身の人生を充実させ、幸せになること、そして開さんがお父様を超える俳優となられること、それがご両親の最も望まれるところだと思います
もうあまり頑張りすぎず、自然に頑張って、みんなで支えあいながら幸せになりましょう。
私は微力ですが、できることがありましたら、何でもさせていただきたいです。
私たち、会って日も浅く、大人になってから知り合ったけれど
経験した悲しみに似たところがあるから神様が引き合わせて下さった気がします。
どうぞこれからも、もっともっと仲良くしてね。一緒の時間を過ごしましょうね
帰りの車の中からみた多摩川の上の青空が見事に晴れていて、彼女のこれからの人生を祝福しているようでした