今回は、鶴の友について-2--番外編として、2月19日に開催された第87回の「吟醸会」のことについて書きます。 最初のころは年間4~5回、ここ10年は年間3回開かれている「吟醸会」は27年の”歴史”を持っています。
会員にはハガキで案内が来ますが、「来るもの拒まず、去るもの追わず」ですので希望すれば誰でも参加できます。(吟醸会の開かれるテルさんのお店につては、鶴の友について-2--NO9(北関東限定)を見てください。吟醸会の説明も書いてあります)
定休日の火曜日ということは決まっていますが、何日の火曜日というのは直前まで分からない場合もあるため、残念ながら都合がつかず参加できない人が私の周囲にもいますが、テルさんのお店に行ったことがない人でも気楽に参加できるのです。
今回は早めに連絡がきたのですが、それでも都合がつかず「泣く泣く出張に行った」私の友人もいます。
今回は、鰤シャブ、源鮭フライがメインでした。
鰤シャブは説明の必要はないと思われますが、当初からの古い「吟醸会」の会員である”源さん”が「趣味」で獲ってくる新鮮な鮭をフライにしたもの------それが「吟醸会」には欠かせない源鮭フライです。
そのほかに鰹の刺身、あんこうのとも酢、鰤のかま、鰤のはらみの握りなどがありました。
もちろん、あんこうはK浜港に上がった常磐ものです。この時期は少人数、大人数に関わらず宴会の料理にはあんこう鍋のリクエストが多いそうです。宴会でなくともあんこう鍋は提供できるそうですが、手間ひまがかかるため四人前からになるそうです。(あんこうのとも酢は一人前からで大丈夫です)どちらにしても都会のような”とんでもない価格”ではないので、私達庶民の酒飲みも安心して”あんこうの料理”を楽しめるのです。
テルさんのお店でいつも出している日本酒は、〆張鶴 純、八海山吟醸、千代の光吟醸造り、鶴の友別撰の720mlびんですが、さらに冬の時期には千代の光しぼりたて生、國権の春一番(ふなぐち)が加わります。しかし「吟醸会」はそれにこだわらずに日本酒を楽しんでいるのですが、「いつも飲んでいる銘柄」を越える日本酒に出会える機会が多いとは言えません。それだけテルさんのお店のベースの日本酒のレベルが高いことの”証明”なのかも知れませんが-------。
今回の日本酒は、「吟醸会」の会員やテルさんのお店の常連の皆さんが出張や旅行先で買ってきて「吟醸会」にいただいた大吟醸、純米吟醸が6本ほどがありましたので、これでいこうということになりました。出席しているときの私の”役目”は、用意された酒の説明をすると同時に乾杯用の酒を選択し、お一人お一人酒用の小さめのグラスに注いでいくことです。
乾杯の酒には、ベースの酒の中から千代の光しぼりたて生を選びました。乾杯終了後は自由に栓があけられ好みの酒を飲みだします。美味い酒はすぐ無くなり、そうでない酒は余ります。結局、ベースの酒を4~5本追加して「吟醸会」は終了しました。
基本的な原則をきちんと踏まえた上での”遊び”が、テルさんのお店と「吟醸会」にはあります。
「こうしたらもっと面白いのではないか」、「ここまでやるとさらに楽しいのではないか」------そんな気持があふれています。 店内の写真の”木札”もそのひとつです。
この”木札”は、30年以上前のテルさんとテルさんの義兄でもある「吟醸会」のG来会長の”ささやかな遊び心”から始まったものです。それを見たテルさんのお店の常連が、「面白いから自分のも、費用は払うので作って欲しい」との”依頼”が数多くあり、それぞれ屋号や家紋、マークなどの意匠を凝らしたものをテルさんとG来会長が浅草に持っていって作ったものを、一枚、また一枚と掛けていって出来上がったものなのです。
”木札”もこれだけの枚数が揃い、そのほとんどが時間の流れを感じさせる”飴色”になっている「景色」は、”遊び心の塊”にしか造りだせない存在感があります。
鮨店の店主でありながら、若いころ、車の2級整備士でもあったと聞いているテルさんは車の趣味にも”遊び心”があります。 お互いに若いころ、私は自分で初めて買ったブルーバードの910SSSターボに長く乗っていましたが、テルさんはそのころまだ数が少なかった4WDの1BOXにサンドバギーを乗せて砂のある場所で楽しんでいました。
あるとき私も好きではなく、テルさんも好きとは聞いていなかったフォルクスワーゲンのビートルがテルさんの店に置いてあったのです。
「どうしたんですか?」と聞くと、「サンドバギーのレースに使っていたエンジンをデチューンして載せたビートルなんだが、乗ってみたら面白いので譲ってもらったんだ」との答えが返ってきました。「加速が凄いし、RRだから登り坂は最高に楽しい。良かったらその辺を走ってみたら-----。ただしレブリミッターが付いているけど、6500回転を超えるとエンジンが壊れるとチューナーに言われているので回転にだけは気をつけて-----」と気軽に貸し出してくれました。
テルさんのご好意はありがたかったのですが、市販車に装着されたターボとしては最初のころの”どっかんターボ”に慣れていた私は、”鈍重で古くて遅れている”というイメージしかビートルに持っていなかったので、やや馬鹿にしながら”カブト虫”に乗り込みました。
15分ほどゆっくり走って慣れてきた私は国道に出ました。その国道には、長さ数百メートルのけっこうきつい上り坂があったからです。
この坂でテルさんの言う加速を試そうと思い、上り坂の手前の信号が青になるのを待ちました。青になると同時に私は、初めてテルさんのビートルのアクセルを床まで踏み込みました。
するとビートルは猛然とダッシュをし始め、オーバーレブしないようにシフトアップするのが精一杯の状況になり、坂の途中でトップに入れたときには150キロになっており、慌ててアクセルを戻していました-----本当に冷や汗が流れました。
テルさんはにやにやしながら待っていました。聞いてみると出力178馬力で車重880kg、まるで軽トラックに3リッターのエンジンを積んだようなものだったのです。
この”カブト虫”には、嘘か本当なのか、ある”伝説”があります。
20年くらい前、高速道路を走っているときの話ですが、前を走る”カブト虫”をポンコツと侮ったスカイラインのGTRが「きわめて危ない失礼な抜き方」をしたとき、(そのとき”カブト虫”を運転していたのは誰かは定かではありませんが)軽く踏んでいたアクセルを4速で全開にした”カブト虫”が、スピードリミッターが効いて180キロで失速したスカイラインGTRを、オーバー200キロのスピードでぶち抜いたというものです------残念ながらかなり前に廃車になったこの”カブト虫”は、メンテナンスに手間も暇もお金もかかったようですが、それも含めて面白くて楽しいと思えないとできない”遊び”だったのかも知れません。
テルさんや「吟醸会」の人達は、車を名前やカタログのスペックだけで選ばないのと同様に、有名銘柄であることや大吟醸、純米吟醸というカタログのスペックでは酒を判断しません。
酒は飲んでみて美味いかどうかだからです。
大吟醸や純米のレッテルは美味いかどうかを保証しているわけではではないのです。
ましてテルさんや「吟醸会」の中核メンバーの常連は、ごくふつうに日常的に〆張鶴 純、千代の光吟醸造り、そして鶴の友の別撰を飲んでいるため無意識に自然に比較してしまうのです------いつも飲んでいる酒と比べて美味いかどうかを。
鶴の友別撰は、外見はふつうの本醸造です。大吟醸や純米吟醸のレッテルを見慣れた人には、”古くて見栄えのしないレッテル”の酒のように思えるのかも知れません。
しかし、1300CCのエンジンを1500CCにボウアップをすると同時にフライホイールなどのエンジン部品のほとんどが交換され、エンジンのバランスもシビアに調整し給排気系をすべて取り替え、電動ファン付きオイルクーラーの取り付けなどの空冷エンジンの冷却能力向上や、ノーマルの40馬力を大きく上回る178馬力を受け止められるサスペンションのチューニングをされた”カブト虫”が「ふつうの車」ではないように、鶴の友別撰は「ふつうの本醸造」ではないのです。
”カブト虫”がRやSのエンブレムが付いている”値段の高い車”を簡単に抜き去るように、鶴の友別撰は”値段の高い”大吟醸や純米吟醸とレッテルに書いてある酒を、あっさりと抜き去ってしまうのです。
それが酒が分かれば分かるほど痛感する鶴の友の”凄さの本質”なのです。
「吟醸会」は、正確に言うと、実は90回くらいになっています。
(前にも書いたと思いますが)なぜかと言うと、もともと「吟醸会」の名前の由来である吟醸酒を私一人で味わうのはあまりにもったいないと、テルさん、G力研究所のS高研究員、O川研究員を含めた4人で、非売品も含めた吟醸酒のみを比較して楽しんだ昭和五十年代半ばの「ささやかな会」がそのルーツなのです。
この時代は”庶民の酒飲み”にとっても「黄金の日々」だったのかも知れません。
関東信越国税局の鑑評会で、春秋連続で第一位に輝いたころの〆張鶴や千代の光の大吟醸、そして今は飲むことのできない高浜春男杜氏が全力投入した非売品の八海山の大吟醸を飲む機会を与えられ、そしてその大吟醸が造られる現場を見せてもらえる機会も与えられたのですから--------。
この「ささやかな会」が数回おこなわれたころ、G来会長に見つかってしまい「酒は美味い料理を囲んで大勢で楽しく飲むから面白いんだ。お前らだけでちまちまやるんじゃない」-----鶴の一声で現在の形になったのです。
私が平凡な人生を平凡に送ることが”目標”のつまらない男だったせいか、なぜか私は”規格外”の人生を送る”先輩”に恵まれています。
G来会長は高校の大先輩でもあったのですが、ちん、とん、しゃん系の遊びの中で鍛えられた軽妙洒脱な人柄も、”破天荒”な仕事の実績も早福岩男さんによく似た大変魅力のある人です。 G来会長のお供をして、吉原にあるしもたや風のもんじゃの店や浅草や向島の小料理屋に行ったことも若いころあったのですが、まるでテルさんの店や地元の料飲店にいるかのように、笑いの絶えないG来会長の周囲には人が吸い寄せられ、一度帰った人まで知らせを聞いて戻ってくるという具合でした。 テルさんの店や他の地元の料飲店で聞かせてもらったG来会長の若いころの”失敗談”は、それこそ抱腹絶倒で本当に笑い転げたものです。
G来会長には、昔も今も「説教らしい説教」はされたことはありませんが、笑い話そのものや笑い話と笑い話の”間の話”や行動で、私に限らずS高、O川研究員も含めての当時の”若手”は大事なことを教えてもらい育ててもらったと思っています。
昭和五十年代前半から、車の免許に例えると、〆張鶴の宮尾行男専務(現社長)、千代の光の池田哲郎常務(現社長)、早福岩男早福酒食品店社長(現会長)に当時の最先端の”学科”を見せていただき、テルさんやG来会長を始め「吟醸会」の皆さんに「先輩が後輩の面倒をみるのが、自分がお世話になった先輩への恩返し」------というありがたい”文化”の中で”実際の車の運転の仕方”を学べたことは、私にとって本当に幸運でした。
そのおかげで、昭和五十年代半ばに鶴の友の樋木尚一郎社長に初めてお会いしたとき、「酒は面白くて楽しいもの」、「酒は庶民の傍らにある楽しみ」------ある意味で当たり前のことでしたが当時の拡大局面の新潟淡麗辛口では”異端”とも言えた「鶴の友の哲学」を、自分に分かる範囲という限定的なものでしたが、自分の中に受け入れることが可能になったと思われます。その後の鶴の友の樋木社長から受けた影響の大きさを振り返ると、この「吟醸会」の皆さんの存在は私にとって本当にありがたいことでした。
「遊びは”無駄の塊”だ。だから”遊び”に効率や利害や損得は存在しない。でも、仕事や私生活では残念ながら皆んな利害や損得、効率に追われてまくっている。だから日常の中にほんの一部でいいから”無駄の塊”の遊びが欲しいと思っているんだ。ほんのひととき”無駄の塊”の遊びに熱中してほっとしたいんだ。Nよ、酒は庶民の楽しみの”遊び”のひとつだろう。お前の言うとうり、新潟淡麗辛口は本当に凄いものだとしてもお前の”つまらない講義”を聞いて飲みたいとは俺は思わない。今まで俺が飲んできた酒より新潟の酒が面白くて楽しいというなら、それを皆んなに見える形で見せてみろ。Nよ、お前がそれをやると言うなら俺もテルも手助けはするよ」------G来会長にこう言われた私は、どうしたら楽しいと思ってもらえるか、どうやったらより面白いかを考えながら「吟醸会」に参加していたのですが、いつの間にか、酒のことを”自分の言葉”で話すのが、酒の周囲(料理や器など)のことも”自分の好み”を話すのが、大好きになっている自分自身に気がついたのです。 そして専門用語をほとんど使わない私のほうが、専門用語の”羅列”しか語れなかった以前の私よりも、酒の面白さと楽しさを分かってもらえている事にも気がついたのです。
「吟醸会」はとりあえず100回をひとつの目標にしています。思えばよくここまで続いたものです。 若かった私も最初に会ったころのG来会長の年齢を超えてしまっています。G来会長が我々にしてくれたことのお返しを、自分達の後輩にできているのだろうかと考えると、忸怩たる思いで一杯になりますが、自分のできる範囲でやれることはやろうとの気持は、いくらおそまつな”極楽トンボ”の私であっても捨ててはいません。
私はあらゆる機会をとらえて、「面白くて楽しい」身近にある遊びとしての酒を”語る”ことを続けていきたいと思っています。
テルさんの鮨店もG来会長の豪快な笑顔がいつも見れる「吟醸会」も、お店の場所が特定でき足を運べる北関東の”庶民の酒飲み”にはドアが開かれています。ぜひ一度そのドアをたたいてみることをお薦めします。
仕事が多忙で更新チェックしていませんでした。
私も後輩のやっている大衆食堂(割烹)で「吟醸会」と似たような飲み会を不定期で行っています。酒はもちろんですが「食」にテーマを絞って、巷で言われている高級食材等を季節によっていろいろ味わっています。
地元新潟の旬の食材は勿論、明石や下関などの有名処の一般ではお目にかかれない食材を取り寄せ素材の味を最も引き出せる調理法で毎回愉しんでいます。
最近、酒屋さんがメンバーに加わったので日本酒のほうもこれからいろいろ試してみたいと思っています。
「吟醸会」のみならず、車関係も私と同じように造詣がある事を今回知り、Nさんに親近感を持ちました。尤も、私のほうは英国製の小型車ですが・・・。現在は廃車にして手元に置いてあるだけです。
まだいろいろ書きたいことありますが今回はこの辺で・・・。
追伸:私もブログを運営しています。よろしければ覗いてみて下さい。(奇遇にも同じブログ人です)
北関東から新潟に行くためには山を越えなくてはなりません。 そのため冬も含めて、”峠”を走る機会がどうしても多くなり、その結果”峠”を走ることが好きなってしまっただけです。
20年前は、私も若く体力もあり、私の周囲の人の車が、義理の兄貴の”くんちゃん”が、ノーマルのオレンジのビートルと最終型のレオーネの4WD、テルさんは178馬力のビートル、G来会長は発売以来レガシーのGT-----水平対向エンジンのオンパレードで、ときどき借りて乗らせてもらっているうちに水平対向エンジンを積んだ車が「峠を走る車」として面白く、好きになったというだけです。
使えるお金のほとんどを酒につぎ込んでいた”貧乏”な私は、昔も今も自分の車は直4の小型車ですが、ささやかなこだわりとして、マニュアル車しか選びません。
新潟でも地元の北関東でも、私は「こだわり」のある人に恵まれてようやく自分なりの「こだわり」を持てるようになったと感謝しています。そして、「遊びのこだわり」と「仕事のこだわり」が背中合わせだということも、ようやく少し分かったような気がしています。
今後も自分のペースで無理をせず日本酒エリアNを続けていきたいと思っています。
PASSOL W-W、ときどき拝見させていただきます。ご自分のペースで書かれた記事を楽しみにしております。