秋の歩みが速い。
コスモスも、いつもまにやら。
いつのまにやら、
朝晩が、けっこう寒い。
寒いのは、苦手。
あふれる彩りは綺麗だけど、
ちょっと体調を崩しやすくて、
ちょっと切なくて、
ちょっと苦手な季節。
*
宮古島の旅日記を、久しぶりに勢いづいて「えーい!」と書き上げたら、
ぽっかり、
一時的に、抜け殻のようになりました。
これにてほんとに、旅が終わっちゃったな~、って。
そうこうしているうちに、
秋の空。
雲の肚を破って、零れる光。
光芒。
高架上の高速をぶっ飛ばして居る時、眼前に その 壮大な光景が ばーーん!と展開されると、
ほんと、参る。
そのままその空に引っ張られて、
そのままどこか遠くへ 旅したくなる。
*
この前の鱗雲は、
凄かった。凄かったですよね。
某facebookにて、複数の友達が ほぼ同時に、立て続けにアップした、凄い空の写真たち。
それを見て、
慌てて外に出た。
その、たぶん一番凄かったであろう瞬間の、
くっきり青と白の強烈なシマシマになっていた姿は、見逃しちゃったみたい。
でも、
でも。
空一面を まーるく すっぽり覆う鱗雲の海原は、
やはり凄かった。
雲海の底に、一滴。
夕日の黄金の、ひとしずく。
薄ら。
*
「抜け殻~」
なんていつまでも言ってられない 速さと密度で、
現場は動いている。
埼玉の現場。
外壁の下塗りまで出来た。
和建築の左官さんが、プロフェッショナルな施工を担当してくれて、
さすがに、もの凄く綺麗。
さすがの手仕事。
着々と、
想像を上回る、丁寧かつ見事な仕上げ。
ちょっと遠いので、往来がちょっと大変だけど、
毎回訪れるたびに、とても嬉しくなる。
*
一方で、こちらは史上最高に‘最寄り’な、現場。
歩いて行けるので、とても楽。
石を積んで行く。
自分のイメージ画が、現実のものになっていく。
職人さん様様。
かれこれ、今年の一月に描いた絵だった。
とうとう。
出来てきた。
英国コッツウォルズ産の、ハニーストーン・ドライウォール積みのベンチ。
一個一個が重い。
職人さんたちも、嬉しそう。
空がこんなになっている時に、出来た。
*
この「座れる場所」は、
新築の集合住宅の、敷地の一角に、ある。
交差点に面した角。
お施主さんの意向をもとにつくった、オープンスペース。
「信号待ちのおばあちゃんとかに座ってもらいたい」という。
優しさ。
とにかく、出来上がりが、楽しみ。
*
その集合住宅の敷地内の 別の場所では、
もともとあった石を使って、
石組みの景をつくった。(まだ出来てない。)
とりあえず、
とりいそぎ、重機で一帯を整地しなきゃいけなかったので、
早急にだいたいの位置を決めて、集めて、転がしてもらった。
で、
もう、これだけで、「もうこれでいいんじゃない?」って感じに見え。
でも、「そういうわけにもいかないよな・・」って感じにも、見え。
石組は、まだまだ。わからない。
難しい。
でも、とにかく実践しなきゃ、出来っこないものなので、
そういうチャンスがあったら、とりあえず無理矢理、ぶっこむようにしている。
けっこう無謀っぽくても。
積極的に、やるようにする。
逃げてたら、いつまでも出来ない。
「なんでも出来るようになったほうがいいじゃん」
とは、元同僚の名言。
出来るようになるには、やる。しかない。
少なくとも 植栽関係と、こういう造園的な石組においては、
自分も 施工の現場に立つようにしている。
平素は設計とかもろもろ、事務仕事をしている人が、たまに現場に出るのって、大変で、
「大変なんだよ~」って愚痴をこぼしたりしてしまうけど、
やり続けてないと、ナマる。
やり方を忘れる。勘が消える。
そして、いつしか、出来なくなる。
そういう危機感もあるが、
要は、自分がただ、「やりたい」のだ。
現場に立つのを 嫌だな と思うようになったら、終わりだと思う。
「やりたいなら やればいいじゃん。」
これは、自分の言。
自分で自分に言い聞かせている。
*
話は変わって。
コスモスを見ると、
「コスモスが一番好き」
と言った友達のことを、ふと憶い出す。
今は遠い人。
今は遠くなってしまったもの を憶い出すと、
なんだか、切なくなる。
秋はどうやら、そうなりやすい季節らしい。
夏ほど暑すぎず、
冬ほど寒すぎず、
春ほど ふわふわ浮つきすぎず。
気候的に静かで、落ち着いているから、
どことなく 生の必死さが薄れるせい?、なんだろうか。
空も、
どことなく、遠くなったように見え。
やたら、切ないんだけど。
切ない、って、いったい なんなんでしょう。
*
コスモスも、いつもまにやら。
いつのまにやら、
朝晩が、けっこう寒い。
寒いのは、苦手。
あふれる彩りは綺麗だけど、
ちょっと体調を崩しやすくて、
ちょっと切なくて、
ちょっと苦手な季節。
*
宮古島の旅日記を、久しぶりに勢いづいて「えーい!」と書き上げたら、
ぽっかり、
一時的に、抜け殻のようになりました。
これにてほんとに、旅が終わっちゃったな~、って。
そうこうしているうちに、
秋の空。
雲の肚を破って、零れる光。
光芒。
高架上の高速をぶっ飛ばして居る時、眼前に その 壮大な光景が ばーーん!と展開されると、
ほんと、参る。
そのままその空に引っ張られて、
そのままどこか遠くへ 旅したくなる。
*
この前の鱗雲は、
凄かった。凄かったですよね。
某facebookにて、複数の友達が ほぼ同時に、立て続けにアップした、凄い空の写真たち。
それを見て、
慌てて外に出た。
その、たぶん一番凄かったであろう瞬間の、
くっきり青と白の強烈なシマシマになっていた姿は、見逃しちゃったみたい。
でも、
でも。
空一面を まーるく すっぽり覆う鱗雲の海原は、
やはり凄かった。
雲海の底に、一滴。
夕日の黄金の、ひとしずく。
薄ら。
*
「抜け殻~」
なんていつまでも言ってられない 速さと密度で、
現場は動いている。
埼玉の現場。
外壁の下塗りまで出来た。
和建築の左官さんが、プロフェッショナルな施工を担当してくれて、
さすがに、もの凄く綺麗。
さすがの手仕事。
着々と、
想像を上回る、丁寧かつ見事な仕上げ。
ちょっと遠いので、往来がちょっと大変だけど、
毎回訪れるたびに、とても嬉しくなる。
*
一方で、こちらは史上最高に‘最寄り’な、現場。
歩いて行けるので、とても楽。
石を積んで行く。
自分のイメージ画が、現実のものになっていく。
職人さん様様。
かれこれ、今年の一月に描いた絵だった。
とうとう。
出来てきた。
英国コッツウォルズ産の、ハニーストーン・ドライウォール積みのベンチ。
一個一個が重い。
職人さんたちも、嬉しそう。
空がこんなになっている時に、出来た。
*
この「座れる場所」は、
新築の集合住宅の、敷地の一角に、ある。
交差点に面した角。
お施主さんの意向をもとにつくった、オープンスペース。
「信号待ちのおばあちゃんとかに座ってもらいたい」という。
優しさ。
とにかく、出来上がりが、楽しみ。
*
その集合住宅の敷地内の 別の場所では、
もともとあった石を使って、
石組みの景をつくった。(まだ出来てない。)
とりあえず、
とりいそぎ、重機で一帯を整地しなきゃいけなかったので、
早急にだいたいの位置を決めて、集めて、転がしてもらった。
で、
もう、これだけで、「もうこれでいいんじゃない?」って感じに見え。
でも、「そういうわけにもいかないよな・・」って感じにも、見え。
石組は、まだまだ。わからない。
難しい。
でも、とにかく実践しなきゃ、出来っこないものなので、
そういうチャンスがあったら、とりあえず無理矢理、ぶっこむようにしている。
けっこう無謀っぽくても。
積極的に、やるようにする。
逃げてたら、いつまでも出来ない。
「なんでも出来るようになったほうがいいじゃん」
とは、元同僚の名言。
出来るようになるには、やる。しかない。
少なくとも 植栽関係と、こういう造園的な石組においては、
自分も 施工の現場に立つようにしている。
平素は設計とかもろもろ、事務仕事をしている人が、たまに現場に出るのって、大変で、
「大変なんだよ~」って愚痴をこぼしたりしてしまうけど、
やり続けてないと、ナマる。
やり方を忘れる。勘が消える。
そして、いつしか、出来なくなる。
そういう危機感もあるが、
要は、自分がただ、「やりたい」のだ。
現場に立つのを 嫌だな と思うようになったら、終わりだと思う。
「やりたいなら やればいいじゃん。」
これは、自分の言。
自分で自分に言い聞かせている。
*
話は変わって。
コスモスを見ると、
「コスモスが一番好き」
と言った友達のことを、ふと憶い出す。
今は遠い人。
今は遠くなってしまったもの を憶い出すと、
なんだか、切なくなる。
秋はどうやら、そうなりやすい季節らしい。
夏ほど暑すぎず、
冬ほど寒すぎず、
春ほど ふわふわ浮つきすぎず。
気候的に静かで、落ち着いているから、
どことなく 生の必死さが薄れるせい?、なんだろうか。
空も、
どことなく、遠くなったように見え。
やたら、切ないんだけど。
切ない、って、いったい なんなんでしょう。
*
見ているとちょっと職人さんと目が合ったりします。
本当に秋は空がきれい、雲が織りなす造形に吸い込まれそうになる。夏とは違う、澄んだ空気に、森に入り込んで赴くままに歩きたくなってしまいます。