歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

美味し花

2010年02月24日 | 徒然 -tzure-zure-
うかうかしてたら、春すら飛び越えたような温かさが襲って来ました。

いかんいかん!ぼやぼやしてられないですね。


庭の紅梅も大満開です。




さて。

この前の土曜も、お茶の稽古に行きました。
毎月三回、シュッ!となる。裏千家でございます。




ほぼ毎週、土曜。
お茶の稽古だけは なんとしても、続けよう!と、
張り切って、やっています。

たとえどんなに苦難な状況(=金銭的事情、その他もろもろ)になっても、
むしろ、
お茶を辞めないためにこそ、頑張って、仕事をしよう!
と、
仕事自体よりもむしろ張り切って(笑)、着々とがんばっています。


がんばっています、 というか、

ただ普通に、
とても愉しくてしょうがないんです。
「やりたい」、「辞めたくない」、その一心。


何か、事を為し続けて行くには、やはり、
「楽しい!」とか「好きだ。」と想えることが、必要ですよね。

辛さや苦しさや哀しみや大変さの中にも、少しでも、
「でも、楽しいな。」と、
自分がニッコリ微笑める、明るい気持ちにつながっていく、そのカケラさえあれば。





茶道って、
使う道具から何から、
全てにおいて、“季節”を意識しているんだそうな。

刻々流れ移ろいゆく日本の季節。それに呼応して考えられた作法や、
お道具の使い方。
空間の使い方。

それは、季節そのものを楽しむための作法 でもあります。

そしてこれが、とっても勉強になります!
職業柄、もはや、欠かせない。




さて。
今回登場した 季節のお菓子が こちら。





 すごい綺麗でしょう、、、


繊細なマーブル模様のグラデーション。

実に渋いトコついてる、微妙な紫のような、ピンクのような、茶色のような、
不思議な色合い。実に渋い。


みんなして、ほぉ~~っと、見とれてしまったのでした。


しかも、

すごい美味いの、、、!


もっちりあんこに、ふっくらしたクリームも入ってるようで、栗まで入ってた。



これ、御銘は何だと思いますか?



正解は、(もう言っちゃうよ↓)

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓


「磁石の木」です。




実はこれ、
「モクレン」の異名。

もうすぐ咲く、あの木蓮です。



実際の商品名としては、「もくれん」その花の名前自体で売っていたそうなんですが、
お茶席では、「かぶる」ことを良しとしません。

ストレートに花の名前そのものだと、お床に生けてある「花」とかぶってしまう。
だから、「もくれん」は、NOなのです。


そこで、
先生が木蓮の異名を調べたところ、、、、


「磁石の木」と出た。


磁石の木、その由来は、

つぼみの先がみんな、北を指すから。なんですって!
これ、知りませんでした。

調べてみたら、
木蓮やコブシのつぼみは、
日が良く当たる南側のほうが、先んじて、よくふくらみます。つまり、南側。
おしりが先にふくらんでいくので、もう一方の先端側は、自然と北の方を向く、というわけ。

なるほどー!
一同感心。


それにしても、



綺麗で美味しい!



お茶を辞めたくないのは、
毎回 美味しいお菓子に出逢えるから。ってのも、まあ、あります。




そういえば、
木蓮のつぼみ、この前、写真載っけましたね。

せっかくなので、もう一回載っけとこう。




  *ところで、、、
  なんでこの時、タイトルを、「見納め」なんて書いたんだろう、、梅はまだ咲いてるのに。
  って、今、ふと思っています。
  なんか、センチメンタルだったんでしょうね。たぶん。春だから。



木蓮。春色の花。


今年新しく咲いたら、
新しいそれを撮って、
改めて、載せたいと思います。


今年は、モクレンがたくさん咲く場所を見つけてあるので、ふふふ、、楽しみ。


前にも書いた通り、
とても好きな花です。「磁石の木」とは、知らなかったけど。





さて。
次回こそ、「金色のライブ」:本編!
、、、の予感。

すでにご本人が、なにげにトラックバックを付けてくれて、
ブログに書いて下さっておりますね。

そう。下北沢のモナレコードにて。




ジャスミン(茉莉花)焼酎というのを、初めて呑みました。

あと、




アボカド入りタコライス。うまし!



このダブル素敵インパクトで、
がっちり ハートわしづかみ&テンションこいのぼり にされたところで、


真っ暗になって、


くだんのライブが、始まったわけです。







22222に

2010年02月23日 | 徒然 -tzure-zure-
平成22年2月22日。

大当たり感満載の、
すさまじいゾロ目の日に。

まず、親友へ。

お誕生日おめでとう。

大丈夫。全然大丈夫。

だって、
どう見ても、今年は大当たりだよ。





実は
ぶっちゃけますと:

ずーっと悩んでて、悶々と抱えて来ていた問題が、ありました。

それは、

「結局、自分は何をやりたいのか」
ということです。

だいぶ重要な、一番肝心な課題です。
「コンセプト」というやつです。

「えっ? なかったの!?」って、びっくりさせてしまうところです。


漠然と、こうしたいなあ、、、と薄く思ってても、
自分でも しっかりはっきり言葉にできないままだった問題でした。

とりあえず
何か手当り次第にやらなきゃ、何も見えても来ないから、と、
まずは直観に頼って、
人の親切にすがって、
ウロウロと、さまよってみました。

それが、
去年の春の、退職を決めた瞬間からの動き。



ずるずると磨り減らしながら 悶々とそのタイミングを探していたとはいえ、
無謀な飛び出し方で スパッと辞めて、

とりあえず京都に行ってみて、
たくさん庭を巡ってみて、

「やっぱり庭が好きだ。この道で生きて行こう」と、気持ちを新たに認め直して

『歌庭』
ということばが降りて来て

きっと“何か”が、とても引っ掛かったので

なんとなく そのことばをタイトルに掲げて、ブログを始めました。


それから、
幸運にも、おしよせる素敵な機会に たくさん恵まれたので
おしよせる波に押されるがまま
「野口造園(仮称)」を立ち上げてしまったりしながら

とにかく動かなきゃ何も見えて来ないから
動いてみました。

しかし
立ち止まりもしつつ。

逃げたりもしつつ。

たくさん、失敗もしつつ。

そうやって、
少しずつ学ばせてもらいつつ。

たくさんのものを、棄てて。

でも
せめてこの「歌庭」だけは、自分の根幹のような気がして、
「ここだけはちゃんと、がんばらなきゃ」って、なぜか必死に思っていて、
とにかく、続けつつ。

今日に至ります。

その実、
「何がしたいのか」「何が訴えたいのか」も
その時々の記事ごとにはそれぞれあっただろうけれど、
肝心の根っこは、おぼろげなままに。

だから、いつも
読んでもらってありがたいけれど、すごく「申し訳ない」と思っていました。





それでもなかなか、きっぱりとした答えがなかなか見えず。

とりあえず現れる目の前の課題に もがき続けて、

秋に怯えて

冬に沈んで

寒さに動きが鈍り なんとなく沈滞しながらも
とにかく何かを探し続け

初日の出に 何かを感じ

旧正月の節目に 何かを感じ





春が近づいて

愉しかったこと 哀しかったこと
歓び
痛み

忘れていた色んなものを なぜか いっぺんに
どどどどっ!と憶い出す この季節に

そして なんとなく 緊張や絶望や不安に襲われる
この季節に

今年もまんまと 敏感に反応してしまって、
「うわああ!」ってなってた。

っていうのが、ここ最近のこと。


待ちわびた梅が 本格的に咲いてしまうと、その時季は来ます。

待ちわびた梅の花の「終わり」が明らかに見えて来て、
寒さと生ぬるさが どっちつかずに立ち現れて、
どうしていいかわからなくなる、
ここ最近の、この時季。


春の本格的な始まりの この時季はいつも、
地を這うように、もがき苦しむ。

オキザリになってる気がする。

オイテケボリにされる気がする。


今年もやはり、そうでした。




金曜の素敵なライブ(これはまた改めて書きます)で

すごく視界がひらけた感じがあって、

その後チャリで帰りながら、ニコニコが止まらなくて、

このうれしい気持ちをさらに満たしたい!と、
仙川の、馴染みの居酒屋さんに寄りました。
もう、ニコニコで。

そして
気づいたら

肚に潜めていた苦悩を どろどろと吐き出していたわけではないはずだけど
見抜かれていて

マスターや
そこに居合わせてくれた人生の先輩と話していたりして、

すごく ハッとしたこと
ピンと来ること 
腑に落ちること

ここでもまた、目からうろこ。というか、
胸のつかえがとれたという、感覚になりました。


そして
そこで指南されるがまま、

「自分がほんとうに好きなこと(それさえずれてなければ、たいがい平気、ということ)」を
改めて見つめ直す
過去為して来たことと 脳内をこねくる作業をして、
見えて来たこと。


そのもろもろたちが

今日、仕事が一段落して、部屋の掃除をしているときに、

不意に バタバタバターッ!っと、重なって
繋がり合って、

急に
自分の中で色んなことがいっぺんに“理論”として 符合していって、

「あ、解けた。」

って、なったのです。


それで今、
とてもパーッとひらけた気持ちに、なっています。


「自分がいったい何をやりたいのか。」という、
ずっと向き合って来た、難題に、
やっと光が射した気がしています。


そもそも『歌庭』っていう、あるとき降りて来たこの言葉を
タイトルにしたのは、何故だったのか。

「なんで、『歌庭』なのか?」
ということにも、繋がって。


自分自身のことだからこそ 全然ちゃんと見えてなかったことが

やっとなんか、見えて来た気がして、

「これは、書かねば!」と思っているのが、

今、現在地点。


こういう時に限って、
書きたいこと/書くべきことが、
わんさかわんさか溢れて、ぐるぐる押し寄せています。

今、
脳内では アレとコレがこうしてこうつながって、はい、答えはこれ!
と、

脳内に限っては、“理論”が出来上がっている感じなのですが、

実際には
ことばが溢れすぎて 頭の中で ぐちゃぐちゃと暴れ狂っている状態なので、
説明できるかたちになるまで、もうちょっとかかりそう。


だったらまとまってから書け。という話なのですが

説明できるかたちに整理するために、衆人環視のあるこの場で書いている。というのも、
理由の一つとして、あります。
あと、今こうして書かないと、妙に間が空きそうだな、という気がした。
そういう理由もあります。

どちらにしても
今 わざわざ読んで下さっているあなたには
お目汚しさせてしまって、そして、お時間をとらせてしまって、申し訳ないと、思います。

今のこの瞬間も、
今までの歌庭の記事についても、
ほんとうに、
付き合ってくれて、ありがとうと、想います。


もうちょっと。

整理されるまで、ちょっと、お待ち下さい。


とりあえず今
自分は
顔を上げ
前を見据えて
やっと
本当の意味でのスタート地点に立ちました。





ちなみに今日は、
下北沢の「ふるんナイト」というライブイベントに行ってきました。

これがまた、とても良かった!
なので、これもまた、書きたいし、書かねばと思っています。

前回「(予告編)」と書いたライブのことの、本編も書かねばだし、書きたいし。


ああ、大変!




とりあえず今

大きな“当たり波”が おしよせているみたいです。






金色のライブ(予告編)

2010年02月20日 | 遊興 -pleasure-
金曜の夜、


パアアっと、

視界がすっきりとひらけて
キラキラした風が満ちる空色の中に居るような、

例えるなら、そんな、

キラキラした気持ちになった

とあるライブイベントに、行ったんです。





でも
ちょっと今、バタバタしてるので;

詳しい話は、また後で!






ツナコンサン

2010年02月19日 | 料理 -kitchen-
今日のお昼のお弁当は

ツナコーンサンドイッチ。



ライ麦パンに、

ツナとスイートコーンを、マヨネーズで和えたものを、
サンドイッチング。


調え味に:

・オリーヴオイル(エクストラバージン)
・レインボーペッパー(四色コショウ)
・スイートバジル(チップ)
・コリアンダー(パウダー)


スパイスばかりは、妙~に取り揃えてあったりする、
マイキッチン。


ちなみにお茶は、
バニラフレイバー・ティー(リプトン)。


、と、

つらつらと書いてみると、ニュアンス、エレガントな雰囲気。
と、錯覚できますね。
カタカナ羅列効果か。


実体は:単なる、
家計節約サンドイッチ・ランチ。




自分で作ったものを食べるのが、自分のからだにとって、
どうも、
楽~な感じがします。
全然たいしたものじゃなくてもね。

何が入ってるやら、、という 不安要素が極めて少ないからか、
安心できる というか、
しっくりする、というか。




今日は、晴れ。
いっそのこと、ピクニック的な お出かけ的なことをしたくなる、
あかるい陽気です。
ただし、寒いけど。



街の色の夕焼け

2010年02月18日 | 徒然 -tzure-zure-
目覚めたときに しんしんと降っていた

雪は



いったん こんもり積もりながら


あっさり止んで。


昼の陽が そろそろと廻っているうちに





あっさり


消え果ててゆきました。





それでも

空気の中には、雪の居た気配が、なんとなく残っていて。

濡れてるんでも 乾いてるんでもない、
というか
濡れてるようで 乾いてるようでもある、

雪 という
水でありながら 水でないものの
静かに消えるにおい

しずかに澄まされた 雪の融けるにおいが

なんとなく、しばらくずっと、
そこらに浮いているようでした。




そして、雪明けにすこんと晴れた、今日。


「今日の夕焼けは、綺麗っぽい気がする!」

って思って、

パソコンをかたかた打つ仕事の手を止め、
あわてて外に駆け出して、

撮った。



うん。
やっぱり綺麗。



家の近くには
結構 視界が広く、高台から南西を見下ろせる、
ナイスポジションがあります。


バーン!と、
この東京にしては、広ーい感じで
きっちり、空を撮れたりする。

今日も、撮ってみた。



滲む紅色の火。


だけど、


空の 遠大な感じや
純粋な色のキレイさとか 深み
などなど、、、で言ったら、

もっと空気のきれいな 田舎の方とかには、
やっぱり、敵わないと思います。


しっちゃかめっちゃかに入り乱れてもう、果てしない電線の網を
運良く フレームから外すことが出来ても、

撮れるのは やっぱり

都会色の夕焼け。




むしろ それならば:


外に飛び出した瞬間に 見上げた、
その、景色。

電線もしっかり入っちゃってて、
建物の ごちゃまぜのラインだらけの
ごちゃごちゃの影に切りとられた

すき間の空。

だとか。





「ああっ、やばい!早くしないと!」

「沈んじゃう!夕焼けが終わっちゃう!」

って

なんか焦って、
「とりあえず!」って瞬撮した
ななめに見た空、だとか。

そっちのほうが


なんか、、、なんとなくなんですけど、


この都会の街で流れている、
目に見えない、

より“リアル”な「空気感」
というか
「湿度」とか「温度」とか、

あと
「時間」
っていうのも 入りこむ気がして。

なんか、、、漠然とだけど、

むしろ

良い写真になったりする、、、のかも、しれない。

根拠は全くないんだけど。




、、って、

撮ってみた夕焼けの、あんまりうまくない写真たちを
つらつらーーっと眺めて、

なんとなく、
思ったり、しました。





そんなこと、ないか。

撮る人の腕次第、か。





ウナカメラリーベラノカメリア

2010年02月17日 | 遊興 -pleasure-
タイミングを逃すと、ずいぶん時間が経ってしまうものです。





中野に、
曜日ごとに店長とメニューが変わるカフェ
というのがあります。

建築的専門用語的に言うと、

「スケルトンはフィックスで、インフィルがデイリーチェンジャブル」
ってことですね。
無理矢理 わかりにくく言ってみましたが。合ってるのかも怪しいですが。

要するに、
“日替わりカフェ”というスタイル。

今、そういう仕組みが、あるんですねー。




で、
その 中野にあるカフェの名は

「ウナカメラリーベラ」。



 ※ホームページはこちら>>http://unacame.exblog.jp/
  (ちなみに、本サイトは、現在更新ができないんだそうです。)


「ウナ・カメラ・リーベラ」って、
イタリア語ですよね。

「camera」ってのは、そのまんま、「カメラ」のことかと思いきや、
どうやら
「部屋」
という意味のようです。

となると、
「自由な部屋」ってことでしょうね。

日替わりで、中身がコロコロ変わる。
確かに、自由な部屋。


住宅街にひっそりとたたずむアパートの、1階の1室にあります。




庭に面した大窓から、

靴を脱いで上がります。



なんか

「保育園っぽい」 って感じました。

段差の低いサッシの大窓を開けて出入りするから?

なんとなく、です。

入ってみたら

やっぱり保育園っぽい というか
ちょっとレトロな小学校のような感じで
あたたかい雰囲気です。



床板のせいかな。




自分が行ったのは、とある 木曜の夜。


最近まで 根津の「COUZT CAFE/藍い月」というカフェで働いていた
お茶マスターの友人:Mが、

木曜に、
そのカフェに入ることになったんです。
ただし、今のところ、不定期だそうです。
(M在店の詳細な日程は、一番最後に。↓)


 (※その「COUZT CAFE/藍い月」に行った時のエピソードはこちらの後半。)

場所を変えて、心機一転、



  こつこつ働くM↑


彼女の担当する木曜のカフェの名は

「カフェ・カメリア(Cafe Camellia)」と申します。


「カメリア」って言ったら、
ツバキのことですよね。

カメリアって聴くと、なぜか
「カメリア・ダイアモンド..。」と呟きたくなってしまいます。私事ですが。
どうでもいいですね。



仕事場の高円寺から、チャリでとても近い。
これは良くぞ、ナイス位置。私事ですが。


仕事終わりでお腹もすいてたので、
「腹持ちが良いやつを」とオーダーしました。
冬は腹持ち命。



おかず三点+サラダとお漬け物付き・茶粥セット。


ヘルシ~。

一見、
「10秒で食べ終わっちゃいそう..。」だなんて、
なめたらあかん。

それぞれのおかずやお漬け物が、大変美味しかった!
キノコのマリネと、ヤマイモのなんとかと、あと、なんだったかしら。
失念ですけれども。
「ああ、美味しい、、」と、噛み締めながら、ゆったり頂きました。


私事ですが、
一部では
「マクロビなんだよね」とか
「お花の蜜を飲んで生きてるんじゃないか」とかいう
“ノグチ・フェアリー説”があるようですが、

んなことない。

むしろ、真逆です。
やせの大食い・雑食系ノグチです。
肉歓迎。


なので

正直

まだまだ いける。



デザート頼もうか、、と、メニューを熟読。




メニューをガン見しつつ、

おなかを空かせた目で Mになんとなく何かを訴えかけてみたら

サービス登場!うれしー!確信犯だけどー!




「ルーローハン(魯肉飯)」。台湾のどんぶり飯。


正規メニュー的には終わってしまっていたのですが、
残っていた ちょこっとの分で、作ってくれました*

これが、
やっぱりすんごく美味かった!

うれしー!





まだ 全然いけたので


デザートも頼みました。




「豆花」という。

豆乳仕立ての杏仁豆腐みたいなやつに、桂花茶のソースが垂らしてあるのです。
しかも柿のあれ(←名前ど忘れ)が載ってます。


「桂花」っていうのは、
キンモクセイのこと。

「桂花陳酒」ってお酒もありますよね。
キンモクセイの香りかどうか、いつもよくわからないんですけど、
甘い香りも、名前も良いし、好きなので。これは喜ばしい。

いいですねー。

15秒で消しました。




中国茶も頂きました。



自分もお茶が好きなので、毎日飲みます。色々飲みます。
紅茶が多いのですが、
とくにしっとり落ち着きたいときは、中国茶を飲みます。

中国茶は、何回も入れられるから、
長時間まったりしたい時に、とても嬉しい。


Mに以前頂いた「文山包種」という、
やわらかーくてまろやかで、品のある、上等の中国茶の葉っぱを、
今も、たまに、ちまちまと、頂いています。


カフェのお茶メニューにもあったので、
どうぞお試しあれ。




ひとしきり食べつつ

本が色々あったので、手にとりつつ。



なんとなく手に取ったのが、なんかとても面白くて、
がっつり読んでしまいました。

セツ・モード・セミナーの
長沢節さんの『新版 デッサン・ド・モード』という本。

副題は、「女と男の新しい形を描く 」。

面白かったです。

ちなみに、
一番最初の 唐突な おばあさんの写真は、
自分が就いた席に置いてあった本です。

この、中国の奥地に居そうな どこかのおばあさんに

にっこり 見守られながら

まったり、過ごしたのでした。



色々フリーペーパーやらチラシやら本が置いてあるのですが



一番気になった、これ。
美しい。
これは、クリアファイルにシール封がされてて中が見られない上に
フリーペーパーなのか売り物なのかも不明で、
持って帰りたいとこだったけど、我慢しました。



窓枠の向こうの、雪国の森の、雪景色の道。

、、いいですなあ。


秋田の素敵なフリオさんのカフェに、
また行きたくなりました。

ごはんが、とても、美味しいの。


自分は コーヒーは飲めないので、

美味しいお茶が(ゆっくり)飲めるカフェ

美味しいごはんが(しっかり)食べられるカフェ ってのが、ほんとに欲しいのです。

しかも、チェーン店じゃないとこ希望。




さて
今後、「カフェ・カメリア」=Mが店にいるのは

2月=18日(←明日!) 

3月=11日、25日

4月=8日、22日

いずれも木曜日。
なんとなく、隔週っぽいです。

ぜひ行ってみてね。ルーローハンが、まじで美味い。


開店時間は 12時~20時30分。
場所は   中野区中野2-12-5 メゾンリラ101 


なんで
「カメリア」って名前にしたんでしょうか。そういえば。
聞きそびれました。M~~。





見納め寒梅

2010年02月16日 | 徒然 -tzure-zure-
今夜も、なにやら雪が降りそうだという。


この二月は、東京も、よく降っていますね。
雪。

私の第3の故郷である 秋田でも、
今の冬は モッサリ降っているみたいですね。
ちょっとむずむず。行きたいな。


こうなってくると、さすがに
「暖冬」うんぬんの話は聴こえてきません。
これっぽっちも。


ふつうに寒い、
ふつうの真冬の
2月ど真ん中です。




この前の記事で(>>野川公園でいきぬきの巻

『桜、だと思います。』

とのたまった ピンクの花の写真が、ありましたが。

あれ ↓ って、

やっぱり、ふつうに、



梅だった。


、、と思います。


よりにもよって、ウルトラメジャー級の花を、ねえ。
プロとしてあるまじき!すいません;

まあ、サクラもウメも、同じバラ科だからー。(←無駄な言い訳)


ということで、
あれは、“枝垂れ梅’だったのでした。





家の近くにある「神代植物園」、その中の”梅園”に行って、
似たものを発見して。

「あ、この前のやつは、これだった。(かも;)」
と、
確認してきました。


まだ2月。枝垂れ桜には、まだ早すぎですもんね。


いっぽう、
梅は(当然ながら)まさしく見頃。

あれこれ、咲いていました。

香りも良いから、花から花へ飛び回り、くんかくんか。

もちろん、
趣味のキャメラメンたちが ごった返して居りました。

彼らは人が写り込まないように撮ろうと頑張っているので、

 あえて

花に顔を突っ込んで廻ったり 超接近して撮ってみたりして、
なにげにフレームインして、お邪魔虫になってみたりして。



ちょっとした あまのじゃくなのです。




最近もっぱら、
しつこく うめうめ 言っておりますが

やっぱり、良いです。うめ。

枝もぐにゃぐにゃ、
色々と個性があって、
花は紅白、
香りは濃厚、

いずれも、妙~に雅びやかで、
やっぱり飽きないです。


これなんか、
 ↓



白いつぼみの点描の中に、ぽつんと咲いてる花が
ちらちら。

まだ 一、二分咲きの、奥ゆかしさ。

そして、
萼のみどり色と つぼみの白が 不思議にまざって、

妙なぼやけ具合をして、
そこだけなんだか神妙に、うすら幻想的に、
浮き立っていました。

こういうの、 “幽玄” というのかしらん。


白が、ぼんやり滲んで見える。
これがまた、なんとなく、

「雪」みたいで。



「いいなあ、、、 しぶい。」

気に入った。


相変わらず、梅の虜です。





というわけで、
ここのところ、しつこーく登場して頂いている、
梅。

梅嫌いの方にとっては(←って、そんな人が居るのか!?)
そろそろうんざりする感じになっていますが、

でも、
だって、
梅を拝めるのは、ほんとに、今のこの時季だけだから。


すでに
早咲きのものは 散り始めて



これもまた、
雪みたい。




そうこうしているうちに
季節は、着々と、
じんわりと、進んでいます。

梅は、そろそろ見納めでしょう。(しんみり...)


しかし、しんみりしてる場合でもなく!
次が来てます!




モクレンの、
毛がもしょもしょしてぷっくらしてる大振りのつぼみも、
すでにスタンバってます!


そして

(この前は なぜか間違えましたが、)

今度のは 正真正銘:

すでに咲いている “サクラ”も、

見つけました。
 
   ↓



寒桜(カンザクラ)、どどーん!





やっぱり、この色が来るとね。

春本番!という気持ちが、
俄然盛り上がって参りますね。

そわそわしてしまう。





ま、

そうは言いつつ、

まだまだ寒い日が続きます。

うっかり冷やさぬよう。
油断なさらぬよう。


なぜかやったらとお腹がすく冬。

雪が降りそうだ となると、
なぜか、雪見だいふくなんか食べたくなるんですけれど。





あらためて、節目

2010年02月14日 | 徒然 -tzure-zure-
あけましておめでとうございます。皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか。
旧正月でございました。
おもちやおせちではなく、チョコレイトが行き交う、お正月でしたね。


すっかり やりそびれていた初詣も
無事済ませまして、

いざ、気持ち新たに!


、、、と、思いきや;


さっそく パソコン(と、写真&音楽データを全部入れてるミニHDとの接続)の調子が
すこぶる悪く、
写真のアップも出来ない、、、.

というか
それ以前に、

今までの写真&音楽データが 「全消滅」してしまうのではないかと

なにやら
いみじく
危機的かつ 不穏な状況で、

もっぱら
ビクビクしています。

そんなこんなの、
2010年。


バックアップは、しっかりとっておきましょう。

たいがいのものは、失ったとて、まあ、
命に別状が無い限り、
問題はないのです。突きつめると、ね。
「命さえあれば、なんとかなる」と。

だから、
むしろ どんどん棄てて、失って、
極めて身軽になるのも、ひとつの生き様。
それは極端な話、「脱俗」的なことであって、ストイックすぎるので、
そこまでは行かなくていいと思うんだけども。

でもまあ、
モノっていうのは、すでにだいぶ溢れているので
いくらかまでは減らしてしまっても、ただ「生きる」上では、なんとなく支障はないわけです。

しかし

「これを失うと、やっぱり、精神的にダメージが、、」

というものは、確実にあります。命自体に、直接は、関わらないとしても。
物理的な生命 というよりは
精神的な生命 に密着しているような、もの。


自分の場合は 
音楽(=活力)だったり
写真(=思い出)だったり
でしょうか。
(“人”はともかく、“モノ”に限って言うと。)


そんな モノたちを
よりにもよって
たった一個の ちっぽけなHDに詰め込んで ノホホンとしてたわけなので

まあ、危ないったら。
ほんとに。


今夜のうちにバックアップをします。

皆さんも、気をつけて下さい。


今これ↓、自分に言い聞かせるために言うようなものですが、

『失ってからじゃ、遅いのです。』

かたちのないものは、特に。



人との“縁”や

“機会”や

その時々の ”感情”も

きっと、そうですね。

たまに、もう「自分のことだけで精一杯!」ってなってしまうと
つい、ないがしろにしたりしてしまったりも して、
そのせいで、永久に失う。、、そういう事も、まま、あります。

ひとつひとつを、大事にしなければ。


そうは言っても
何かの拍子に 無くなってしまう時は、来たりもするんだけど。

されど

ほんとうに 大切に思うのならば、
能動的に、積極的に、
入念に、

大事に、守らなければ。


たいがい 失って、初めて、やっと、気づいたりするんですけど
(自分もかなり、そういうタイプなんですけど、)

失ってからじゃ、遅いのです。

これ、とてもお説教くさいけど、むしろ今、
自分に言い聞かせています;



2010年は、
「前へ!前へ!変わらなきゃ!」と、とにかく無茶をしてでも突っ走る!
ってのではなく、

丹念にこつこつと、
ゆっくり確かに 地盤を固めながら

今あるもの と、あるがままの今 を大事に

護るべきものは、大事に護る

そういう年に。

したいと、願います。


いわゆる “ふつうのお正月”から
約ひと月半 経って

早速、いろいろと
出来てないところや、反省すべきところ、、もろもろ、、、
ちらちら気になり出したところです。


ここでもう一回、大きな節目ということで!軌道修正。
二回目のお正月なんて、良いチャンスです。
この点、
西洋も東洋も、どちらもないまぜに出来る日本に居られて、ラッキーだったと思います。


でも 本来、
正月からひと月目:つまり
「節分」こそが、その名の通りに、
まさに
“節目”として

言い換えれば
「再調整のための、ワンクッション」としての
“節目”として、
わざわざ設けてあるんではないでしょうか。ね。


たいがい最初は、勢いで、突っ走ってしまうものですもの。

ん?と思ったら、素直に立ち止まって、ちょこちょこ修正しつつ。




さて。

気を取り直して!

新年、張り切って、参りましょう。





私は、
まずは、バックアップからです;


ちなみに
初おみくじは、
「吉」と出ました。


かみきって、旧大晦日

2010年02月13日 | 徒然 -tzure-zure-
「あたたかい!」と書いたら
翌日、すごく寒くなったりしています。
なんなんでしょうか。逆予言。

そんな二月です。




今日は、旧暦でいうと、大晦日:十二月三十日。

つまり

明日は、旧正月。しかも

新月。しかも先勝。

なにやら
新しい始まりに、うってつけづくしです。




時候柄、
こっち(旧暦)の方が、しっくり来る気がします。


身も気もひきしめる、真冬らしい寒さ。

一方で

“初春” ということばにふさわしい、
ほころんだ梅の花。


どっちかというと、
梅の存在がでかいかな。

雪も降って

梅も咲き

まだ寒いけど

春のぬるい気配も まちがいなく感じる。

という

“境目”な感じ。

これでやっと
「初春!」
という気分になれるというものです。


明日は旧暦の、元旦。
そして、
新月。


ちょうど
係っていた仕事が一段落。
気づけば部屋もしっちゃかめっちゃか。
一回ここで大掃除もして、
一回、切り替えよう。


まっさらに また新しい気持ちで
また新しく始めよう。




ということで

昨日、
美容師の友人に 髪を切ってもらいました。


ということで ←というか、

たまたま予定がそうなったのだけど。


おかげで

スッキリ!シャッキリです!


「エアリー」になりました*
  ↑
 (美容院で覚えたてのワード)


髪を切ると、ほんとに、スッキリする。身も心も。
顔が変わる(笑
そして、運気が上昇する(笑
実際、
この友人に髪を切ってもらうようになってから、
仕事がぽこぽこ舞い込んだりする。

逆に、
髪がどんどん伸びて(伸びるのが速いのです)
どんどん重く、セットもめんどくさくなってくると
気分もなんか、晴れない。
なんか、重荷を抱えているようで。

そうなってきたら、とにかく
まず、髪を切る。


不思議だなーとも思うけど

さして 不思議でもない気もする。


切ってもらったら
にわかに 恰好も およろしくなった気がして(それは錯覚なんだけど)
うれしいから、表情も、シャキッとなるし
まず、意気揚々と、外に出かけて、
人と会いたくなる。
元気になる。


「髪は死んだ細胞」だと

どこかで聞いて 知って
なおさら納得。


「髪切るのって、デトックスだからねー。」
という友人。納得。


身と心は連動しているので

心が疲れると からだには「病気」として出たりするし
逆に
身に災難を負うと 心もひきずられて重く暗くなる。

この連動性は、なにげに、とても大事。
風邪をひいたときは、心も疲れている証拠。
心を休ませるために、からだが示す「休め!」のサイン。


だから、

まず 髪を切って

身を 軽く、すがすがしく、爽やかにすることによって、

心も オートマティックに連動してもらって

軽く、すがすがしく、爽やかに!

という算段です。





今朝は 地味ーーーーに、
細かい雪のような雨のような霧のようなものが降っています。

あたりまえのように、凍みるように寒いです。


おかげで、

キリッ!とします。





今日は、出かけます。

旧暦最後の、お茶のお稽古。

シャキッ!として来ます。


あと、

、、、大掃除!


今日は旧暦の大晦日。

新月寸前、
そして、大安。

なにやら 大きく動きどころです。


いきぬき

2010年02月09日 | 徒然 -tzure-zure-
今日も今日とて、
引き続き。翻訳仕事やっています。



なかなか粘っています。



おかげで、
家の中にばかり居て。ちょっと窮屈。
息が 浅く、薄くなっている気もする、、、。錯覚か。


でも
活けてある紅梅が まだ頑張って
むんむんの香りを放ってくれています。



なかなか粘ってくれています。可愛いのう。



、、ですが。


やっぱり、

外に出たい。




東の窓から見える 庭の紅梅も
だいぶ咲きそろって来て



できるだけ窓を開けっ放しにして、香りが舞い込むようにしているのだけど
そう簡単には、いかないようです。

とりあえず、部屋の梅の香りで満たされています。


しかし
一番好きな香り花:梅。

それを、自分の部屋から見下ろせるなんて、贅沢だなあ。
なんて

いい気持ちにしてもらっています。



、、が。

外に出たい。




アネモネも
3個目が咲いた。



4号に、5号も、
にわかに咲きそうです。

本日の、この温かさで、ますます勢いづくのかも。


となると、

外でも相当、春っぽい“動き”があるはず。


、、、、。


外に出たい。

春が蠢いている。

みすみす見逃すなんて、
なんとも もったいない!


ということで:

息抜きに、近くの「野川公園」に行きました。


川があり、
デッキ道が続く自然観察園があり、



雑木林っぽいところがあるのが ポイント高い、
宜しい公園です。





見事。
暑いくらいの陽気です。





 桜、、だと思います。







オオイヌノフグリ。だと思います。








節分草。
実は初めてちゃんと見た。

ひとつの花の中に、銀っぽい白、青、ピンク、黄色、

これでもかと、たくさん入っているのにびっくり。
この色の取り合わせで調和させるのは、難しかろうに。




青ざめた白が 浮き立って、とても幻想的。

気に入った。




枯れ始めた



ロウバイ。

この冬はずいぶん多めに、出逢えました。ありがとう。





いつも「変な花だなあ」と思うのだけど



マンサク。

コレを見ると「おお、山にも春が来た!」と思うのです。
早春に咲く、山の花だから。






まるまると太った カモ。

可愛い というより、
うまいかもしれない と思ってしまった。
飢えているのでしょうか。








白鷺。




久しぶりでもないはずだけど、
やっぱり
土の上を歩いただけで、なんか、ほっとした。


怖れていた通り:
ついつい 長い息抜きになってしまいました。







夜になっても

あたたかい!

(ふらふら散歩にうってつけだ、、、)


窓を開けてても

あたたかい!

基本的に 窓はできるだけ開けっぱなしておきたい種族なので、

あたたかいのは、ありがたい。


ついつい ぼーっとしてしまいそうです。




だがしかし。
頑張らねば。

生き抜くために
仕事をせねば。


「息抜き」って
なんか、考えたら、深い言葉だなあ。


「生き抜き」のために、「息抜き」も大事。




それは、さておき。

気を取り直して



頑張らねば。






無題

2010年02月08日 | 徒然 -tzure-zure-
頭では 大体 わかっているつもりでも
いざ そうなると
吃驚して、ただ、声を失くしてしまう。


不意打ちだ。

大事なものを 永久に失うことになるのは
いつだって
やっぱり 唐突で、
やっぱり、不意打ちだ。


英語だと “Unfair Surprise” というけれど

ああほんとに、「Unfair」だと。
なんていうか
途方に暮れるしかない というか
やりきれない。そんな気持ちになる。



きっと 今まさに どん底に居るはずの 友人は

むしろ
いつもよりも 凛とした顔で そこに居て
その姿を見たら、胸がぐっとつまって、
真っ白になった。


ぬるい生き方をしている自分が 恥ずかしくなった。


いつもどおりの 清冽然とした引き締まった微笑みを 小さく
こちらに向けてくれて

ますます うろたえてしまったのはむしろ
自分の方でした。

まだ それほどのものを たぶん何にも うしなったことがない
たぶん まだ全然何にも 解ってやしない
自分のほう。


友人は なんて強いんだろうかと、思う。

でも
明らかにダメージを受けているのも、わかる。


だけど、
なんといえば 正しいんだろう。

いつ
どういうふうに
何と声をかけえば、一番良いんだろう。


全然、無い。
出て来るべき 真っ当なことばが、ぜんぜん無い。


薄っぺらすぎる。
自分はまだ、すごく、薄っぺらい。
甘ったるい。
そして、弱っちい。
どうしようもないな。

なんなんだろう。
腹が立つ。
自分に。

何を 勘違いしてたんだろう。

自分ごときに 何ができると 思っていたんだろう。
思い上がるな。非力なくせに。偉そうに。
何様なんだ。馬鹿。


、、なんて、
自分のダメさを責めでもすれば、なんとなくレベルが上がるとでも 思ってるのか。
最悪だ。
自分の馬鹿さに、自分で酔うなんて。

ますます、馬鹿だ。




ちっぽけだなあ。





ちっぽけだ。







帰って来た

2010年02月06日 | 徒然 -tzure-zure-
   

ある時
羽を何かにひっかけて 傷つけてしまったので、
産みの親のもとに “里帰り”させていた

チョウチョが

春を目前に
再びわが家に 帰還して参りました。

 

見上げれば チョウチョが居る。


ああ、やっぱり嬉しい。


* * * *

もうひとつの、「帰って来た」は、
昨夜のこと。

けっこう寒い久留米より
2年ぶりに東京に “帰って来た”友人:アヤコンタと
懐かしいようで 案外久しぶりでもないような感じで
久しぶりに、再会しました。

馴染みの ”森”的な友人たちも集まってくれました。




某温泉旅館で、毎日毎日パンを焼いていた、パン職人:アヤコンタ。
何かの折に送ってもらって、凄い勢いで頂かせてもらったのだけど、

ほんと、美味しかった!



また食べたい。


アヤコンタは
相変わらず キラキラしてました。

キラキラというか、正確に言うと、
スパーク!明るい生命力が、スパークしてました。


久留米に居た時は、テレビはもちろん、パソコンも無かったんだって。
その代わり、
すごく動き回って、たくさん面白い人に会ったり(ほとんど休み無しの中!)
地元のラヂオを楽しんでたって。

「なにそれ!戦後~?*」なんて、笑ってしまったけど


考えてみれば

それで充分、楽しく生きて行けるわけだ。現代でも。

いや、
パソコンは、無いと、もう無理だな。





「会いたいな、とか、会えるはず!って想っていると、
 けっこうほんとに、叶ったりするんだよ!」

って、
実体験を元に、キラキラと、楽しげに嬉しげに語る彼女。

曰く、
「強くイメージを想い描いて、念じたものをピョッ、ピョッ、て、発信していると、
 ほんとに叶う。
 だから、
 なるべく良いイメージ、良いイメージを念(おも)って、放つようにしてる。」
と。


例えば パンに込める愛情とか思い入れとか 気持ちとかも
伝わる人にはものすごくちゃんと伝わる、と、わかるんだって。


「自分が作るパンは一個一個やっぱり、愛着が湧くし、
 作る時には、大事に大事に、思いを込める」
という彼女。

それはふつうに、料理にしろ、作品にしろ、うんうんそういうものだよねって、
とてもよく理解できます。

「思いが十分に入ってないもの、気が抜けた仕事は、
やっぱり、見た瞬間に、分かってしまうものだ」って。
この前一緒にプチ旅行させてもらった造園家さんも、そんなことを仰っていた。


だけど一方で、
自分が作るものに対して 愛情を込めるとか愛着が湧くっていう価値観が
そもそも「無い」
という人が、残念ながら居る。それもまた、事実だと。
それこそが「価値観の違い」で、
それが違う人間同士が共に働くとなったとき、一番難しい障害になるのだと。


本気で楽しみながら本気で頑張って来たアヤコンタが キラキラと語る話は
「ああ、なるほど」と、
素直に すんなり入って来るのでした。


その中でも:

「会いたい!とか、こうしたい!とか、
 念(おも)っていれば、けっこう、ほんとに叶う」

っていうことば。

『念ずれば花ひらく』というのに、似てるかな。

そういえば この前、ケータイを未だに持たない友人も
そんなことを言ってた。

「会いたい~~と想ってたら、会えるもんだよ。」と。本当に、心から強く願えば、
偶然か 必然なのか
ひょんな時に パッと会えたり、とか。
突然電話がかかってきたりとか。
想いは、けっこう、叶うんだと。

だから、逆に、
「怨念」だとか、「呪い」だとか、
全然よろしくない類の“念い”も、けっこう、
叶ってしまうわけで。

気をつけなきゃいけないと。


今回みたいに:
全然別の人から とてもよく似た話が出たときや、
全然別の場面で まるで同じモノと 短い期間に立て続けに出くわした時は
それは
(今の)自分にとって、なにやら大事な、「運命的なサイン」だと思っているので

今回の話も
「あ、これは、」
と、思ったのでした。


想い とか。念い とか。
まったく目に見えないので 不確かなようだけれど、
おそらく、
すごく大事なところ。


とても感覚的な話。


だけど

ここは素直に、信じてみようと思います。

叶いますように。
会いたい!という想いや キラキラしたイメージを、飛ばしてみよう。


届きますように。


とりあえず
「アヤコンタのパンが食べたい。」と、願ってみる。


 念 念 念 。。。。。





どこを向いて願えば、いいのかしらん。

やっぱり “恵方”?

その人が居そうな方向?

空?



どこでもいいのかな?


あ、もしかして

「宇宙」か。


* * * *


帰って来たチョウチョ。


やっぱり、わかりました。

“産みの親”の 「想い」が また新たに吹き込まれたんだな。
っていうことは。


包みの優しさからも
ちいさく添えられた 小さな手紙からも
どこかしこからも、滲み出ていた。


やっぱり
なぜか もう、その瞬間に、
ちゃんと、伝わって来るものなのでした。




早速、
くるくる 踊り始めました。





無愛想と金沢でない金沢

2010年02月04日 | 旅録 -travelogue-
節分の日は、お世話になっている造園家さんにくっついて、



「武相荘」というところと




「金沢文庫」というところにある「称名寺」に行って来ました。


久しぶりの小旅行。

部屋にこもりっぱなしの 内向き仕事が続いていたので、

リフレッシュ。



「武相荘」というのは



白州次郎と正子の旧自邸です。

町田のあたりにあります。

白州次郎は、
「マッカーサーを叱った男」



イケメンです。

昨年くらいにドラマ化したので、有名になったようです。




簡単に言ってしまうと、

ものすごく良いところでした!



想像してたよりも、ずっと。


なによりも、想像していたよりも ずっと深かったのが



雑木林です。

小高い丘のようになっていて

高く高く伸びていて

この写真の10倍は スケールがでかいことになっています。

これがとにかく、良かった!

林の奥にあるウッディな家も、これは武相荘ではありませんが、至極良い雰囲気でした。
森の中に住んでる感じが、うらやましい。




室内は残念ながら撮影禁止。

迷路のように小部屋がくっ付き合っている 古い農家家屋を改装したもので、

囲炉裏の間があって、
当時から床暖房完備の 白タイル張りの洋間(土間?)があり、
そこかしこ、随所に置かれた逸品の家具たち。

素敵な雰囲気。
特に囲炉裏。住みたいと思った。

そこにある調度品の数々は 逐一、
趣味人の粋なものたちばかり。

自分たちで手を加えていったという家の設えの すみずみに至るまで
趣味人の“心”が込められているので、

いちいち凄くて、
なんとも大変でした。


これは、問答無用で お勧めスポットです。


 ※武相荘のHP>>http://www.buaiso.com/


「武相荘で無愛想」

という ありがちなテーマで セルフ記念写真を撮ろうと思っていた
はずだったんですが

楽しくなりすぎて 無愛想になれませんでした。

というか、忘れていました。


森っぽいところは、やはり、テンションが上がります。



元々子供部屋だったという茶房にて お抹茶も頂きました。

黒楽の茶碗。





次に行ったのが

「金沢文庫」というところにある「称名寺」というお寺。

鎌倉時代の、真言律宗のお寺です。
北条なんとか時さんのお墓があったりしますが、


ここの見どころは 浄土式庭園です。
(上の写真参照)


浄土式庭園風の池に架かる、赤いベンガラの太鼓橋+平らな橋。




「作庭記」という、平安時代に編まれた造園家必修のマニュアル本みたいなのがあるのですが、

それを勉強していくと、ぐっと面白みがわかるという、
浄土式庭園。

むしろ、それを勉強してないと、「ただ池があるだけ」に見えて
面白みがほとんどわからないという、
浄土式庭園。



「なにこの石」
とかね。


「ここが見るポイントなんだよ」と教えて頂きながら
「へえ」「ほお」と。

私も目下、改めてちゃんと勉強やり直している最中です。







池面(イケメン)、キラキラ。






傾(かし)いでしまったイチョウ。



隅っこの方に



中世の隧道(ずいどう)=トンネル発見。

山肌を自力で刳り貫いたトンネル。必死さが伝わる。
こういうの、惹かれます。



残念ながら立ち入り禁止。


隧道の傍らには



登り道。

こういう、山に誘う道も、とても惹かれます。

岩肌に、樹の根があらわになっている。

こういう道が現れたら、だいたい、行ってしまいます。




境内のわきに



謎の広い空間。

たぶん池を掘って出た土を盛ったところであり

たぶんまた別の池庭があったとおぼしきところ。


「金沢文庫」って
羽田空港に行く時に乗る(というか、その時にしか乗らない)京急の、
羽田と逆方向に現れる駅名で、

金沢でもないのに 金沢って?

なにやら 気になってはいたのですが、
正体不明のままだったところ。


ついに行くことができました。




そんな感じで とっぷり観光気分になりまして



参道そばの「文庫(ふみくら)」というお蕎麦屋さんで



へぎそば(野菜天)を頂くという贅沢をかまし



真っ昼間から「越の寒梅」という美酒を頂くという贅沢もかまし

「正月みたいな節分ですね~*」なんて

久しぶりに「ぶらり旅気分」
ぜいたくのんびり、リフレッシュさせて頂きました。





雪梅如月

2010年02月02日 | 徒然 -tzure-zure-
昨日の夜から降った雪。






  *





 *


今 本の翻訳の仕事をしていて

結局この雪の夜は 徹夜でこつこつやっていたのです。

おかげで



定期的に

息抜き的に

雪の現在進行形で降り積もりゆく様子を 拝む事が出来たのでした。


  *

夜明け前の 蒼い時間。





 *





 月


  *






 *




窓から見える 紅い梅


樹に降り積もった雪は いちはやく融けて行きます。

やはり 樹の肌は あたたかいのでしょうかね。







紅いつぼみが増えてきました。


しょっちゅう メジロやシジュウカラが遊びに来ています。

最初は つぼみを食べ散らかしに来てるんだと思って

「こらッ!」って 目くじら立ててたんですが



この分なら ちゃんと咲きそうです。


 *


一方、

いちはやく たわわに咲いている 部屋の中の梅。





部分的に寂びてきて、早くも 紫ばんで来ています。


儚い。


昨日は「禅」だのなんだのなんて言ってましたが

積もり出してみれば 「うひょー*」って、

けっこう浮かれて テンションが上がってしまいまして


調子に乗って 窓を全開にしていたので


朝の突風にあおられて

梅が
倒れてしまいまして





こぼれ散ってしまいました。


トラジェディー!

カタストロフィー!


って 心の中で悲鳴を上げてしまったんだけど

畳に散った花びらの こぼれた感じが あまりに美しかったので

こぼれた水を拭きつつ、

撮る事に夢中になる。





二月二日。

白に紅。

なにやら清々しく、なにやら おめでたそうな
綺麗な一日でした。






翻訳の仕事は、なかなか。難航しています;


雪前の禅

2010年02月01日 | 徒然 -tzure-zure-
ああ。


雪が降っています。


雨の音が、おとなしくなったと思ったら。







おお、雪だ。

と、
嬉しくなって、窓をあけています。



電柱にくっついた街灯の 白い明かりのまわりにだけ、

大きな白い雪つぶが、さんさんと、斜めに
流れては 消えて行くのが
この部屋の 私のところから、見えています。




少し、みぞれまじりの、湿り雪のよう。


ぴちゃぴちゃ と、降ったそばから融けてゆく音も、

時折 夜の闇にまじって聴こえます。

積もらない雪かしらん。



だけど
ベランダの桟に、すこしずつ積もって来ています。



ああ、少しは積もるのかな。





なんだか、嬉しい。

うれしいけれど、とてもしずかなテンションで、うれしい。



とりわけ表に出ている指に ひんやりとした風が攻めて来て、
寒いは寒いけど、


なんとなく、窓を閉めたくないのです。



いや、きっとそろそろ閉めるけどね。



一時間ごととかに、開けたりしそうです。
今、どんなかなー?って。





寒さは「嫌い!」と、はっきり言えるけど、

雪は「好き!」と、はっきり言えるのです。


どこまでも 静かな遠い 遠い 深ーーーーいところに、心をもっていかれる。

そんな感じがするのです。


そんな感じが、たぶん、
とても惹かれるのです。





そういえば、


火を見つめているときも、
これと同じ気持ちが、湧いて来ます。


遠く 深く 暗く 静かなところに 静かに吸い込まれる。


自ずと
しばらく 全ての能動的な活動を停止して
ただその 炎の揺れ動きとか 雪の流れとかの

まるで静止したように 一瞬ごとに変わり続けてゆく ものの流れ というものを

ひたすら無言で 無音で じっと見つめ続けていたい。。。

という、、。


只管打坐(しかんたざ)?

静観?

、、、なんとなくそう、禅の修行僧的な、気持ち。





最近の 春めいたあたたかさは、

それはとても うれしいけれど

ぬるま湯のようで


久しぶりに 冴えた 
清らげに 洗われたような 澄んだ冷や風に 当てられて

少し、シャキッと
目が覚めたような心地がします。













 雪です。





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