新年明ければ なんでもかんでも 初ものづくし。
日曜日は、「初釜(はつがま)」でした。
初釜とは、
新春を迎えて初めて開くお茶会のこと。
場所は、
靖国神社の奥にある「洗心亭」というお茶室にて。
靖国神社の奥には
案外知られざる、立派な庭園と、お茶室があります。
「神池庭園」という。
明治11年にあらかた完成したものの、池周辺の地盤沈下が著しかったので、
平成11年から13年にかけて、二つの茶室と共に、修復工事がなされたという庭園。
また、
「洗心亭」および「靖泉亭」:
この二つの茶室は、
名匠といわれた数寄屋師・木村清兵衛氏の作を復原したとのこと。
建築学科の卒業設計で ここ靖国神社のことを色々調べたので、
ちょっと詳しめなのです。豆知識です。
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色とりどりの艶やかな晴れ着の渦に、
“逆・紅一点”的に、まぎれ込みました。
あでやか。
鮮やかな色や文様が、ひとつに凝縮されて、
巧みに織り込まれていて、
見てて飽きないですね。着物。
この色使い、色の取り合わせの妙とか。勉強になるなーと。
「ブログに載せて良いよ!」ってお達しが出たので、御写真、載せましょう。
お茶メイトのM女史。
お茶の世界に引き込んでくれた素敵な友人。
さすがに顔がばーんと写ってるのは、公にしちゃあ、あれなので。ちょい引き気味で。
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思想的な問題で 色々と取沙汰される 靖国ですが。
色んな人がごった返しているようです。賑わっていました。
神社自体の思想等については ここではとやかく申しませんが、
超巨大な三連鳥居や、
奥にこっそりある庭園を 巡回するっていうのも、ひとつの楽しみ方ですよね。
ちなみに、茶室は、普段は全然入れません。
予約を取るにも、1年前から手配しなきゃいけないそうです(しかも抽選制)。
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初釜のあとは、
科学と芸術の集い「宇宙とヒトをつなぐもの」ー古代~最新の宇宙図と南島の神歌・古謡ー
という ライブ付き講演会に行きました。
大手町の 日経ホール。
妙に出来立てっぽい、ガラスがきれいな「日経ビル」っていう建物の中。
敬愛する歌手:
UA(ウーア)さん目当てで応募して当たったので、
宇宙はともかく、いそいそと。
そしたら、
想像していたより 「宇宙」は、 すごかった。
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国立天文台にいる天文学者:
小久保英一郎さん(なんか爽やか癒し系で若かった)が
「ミタカ」っていうCGソフトを使って、
地球から 太陽系銀河 ~ 超銀河団 ~ 、、、、っていうふうに
どんどん何光年も
遠くへ
高くへ
宇宙の中を ぎゅいーーーーーーーーーんと 引っ張り上げてくれるという
はるかなる宇宙旅行を体験させてくれたのです。
とってもわかりやすい、端的な解説付きで。
それが、ほんとにすっごくわかりやすくて、
ぎゅいーーーーーんっ!て
脳が引っ張り上げられる感じもして、
とっても、面白かった!
今まで、
知ってるようで
知ったふりをして
実はよく知らないまま 放っておいていた
「宇宙って何だ」
ということや
冥王星が“惑星”から外された理由とか
シリウスってなんなのか とか
ほうき星はどこらへんを飛んでいる、何モノなのか とか
「アンドロメダ銀河」はどういう位置関係にあるのか とか
「銀河」とか
「クエーサー」とか「オールトの雲」とか「光年」とか
詩的な言葉ゆえ、気になってはいるものの、
正確にはよくわかってなかった 専門的な天文用語を
ものの一発、
数分の「ぎゅいーーーーーん!」の行程で学ばせてもらえて、
特に 厚く期待していなかったぶん、
なおさら、
大変面白かったのです!
そもそも「宇宙」っていうことばも、
「宇」は:「天地四方上下」(つまり上下前後左右、三次元空間全体)
「宙」は:「往古来今」(つまり過去・現在・未来、時間全体)を意味し、
「宇宙」のひとことで
時空(時間と空間)の全体を意味するんだそうです。
(漢代の書物・「淮南子(えなんじ)斉俗訓」によると。)
つまり、「宇宙」という語自体、すでに
「四次元」も含んでいるということ。
それのどこが驚きなのか。っていう方もいると思いますが、
自分としてはこれ、ちょっと、目からウロコだったので。豆知識。
ぎゅいーーーーーん。
*
後編はライブ。
UAは奄美の島唄を数曲歌いました。相変わらず、上手い。
そして、続いて登壇した「ハーニーズ佐良浜」、
これまた強烈なインパクトでした。
現在も神行事が行われる沖縄・宮古諸島の伊良部島、佐良浜地区で
神事を司るツカサを務めた島の女性たちによるユニット。
伝統的な神歌を広く伝えるために活動を始めたそうですが、
基本的に門外不出な、神歌。
おそろしく貴重です。
何と言っているかわからないことばの不思議な節が
延々と、ひたすら延々と、ぐるぐると、続きます。
不思議な時空間に引きずり込まれました。
歌い終わるや、MCも一切無くさらーーーっと舞台袖にはけて行ってしまいまして、
そのスパッとした終わり方も、強烈に、インパクト。
「これは、すんごく貴重な体験だった。」と
一緒に行った友人と、唸り唸り、「いや~~、」と、感嘆、ため息。
ちなみに、その友人は
私が大学で建築学科に行く前に属していた“宗教学”のときの、同窓。
だから、“宗教学”的に見ると、なおさら貴重だな、これは。と思うところなわけで、
ため息モノで、唸りどころなのでした。
そういえば 書きそびれていたけれど;
つい最近、彼が企画した 若手民謡歌手のライブに誘ってもらったばかり。
(そのエピソードは、また別途。)
そこで出逢ったのは、茨城や秋田の民謡。(なぜか秋田!)
身近なようで身近でなく、
知っているようで 実は知らなかった世界は、そこにも。
新年早々、
なにやら、未知なる世界がじわりじわりと、広がりつつあるような。
*
というわけで
ものの数時間のあいだに
31億光年
あるいは その先の
超銀河の網の目の その果ての
「すげー宇宙」まで、
バーチャルなりに ひとっ旅、してしまいました。
ぎゅいーーーーーーーんと、ひっぱりあげられて、
おかげでなんだか、
あたまの中のゴミが塵と飛んで行って、
すっかり クリアになったような。
宇宙パワーか。
*
たとえば、
樹のこずえの 先っぽの
冬芽に 目を凝らしたり
その先の 空ならば
よく見上げたりする。
けれど、
さらに その先の
「宇宙」までは、なかなか。
想いを馳せる事も、忘れています。
先に書いた “宇宙”の語源の通り:
「過去・現在・未来」という時間軸ともなると、なおさらに。
目の前に広がっている
空間の果てしない遠大さを 意識しつつ
時間の果てしない遠大さをも 意識する
案外忘れてしまうのが、
「日常」というもののよう。
また逆に、
「花」という ちいさなモチーフを 見つめるにつけ:
妙に不思議で 妙に巧みな 美しいシステムで出来上がっているその存在に
「ミクロな宇宙」を想うことも、あるけれど。
ミクロの中に広がる マクロ というか
小さなものの もっと奥深くに広がる“空間”までも 読み取ろうと、
意識を深く
なおかつ高く
さらに広く
なおかつ小さく
相反するようなどちらの方向にも ぐーーんと 意識の軸を伸ばしてゆくような
深く深くまで 沈めてゆくような脳的作業は、
普段は、なかなか。そこまで出来ない。
日常では、なかなか。
目に見える 光や影の ざわめきに つい、
気持ちを とらわれて。
見えないところまでは、なかなか見ようとしない
というか
普段 そんなところまで見ていられない し
普段 それどころじゃない
ってのが、
現実
だったり
「日常」。だったり、するんでしょう。
それは、幸か不幸か。
*
だから、
せめて、たまには。
ふと、憶い出した時に。
目の前に 見えているものよりも もっと遥か、
見えないところにある
もっと先の “宇宙” に、
意識を ぎゅいーーーーんっ!って、飛ばしてみるのも、
いいかも。
脳内で、ひとッ旅。
たまには、「すげー宇宙」まで。
*
ということで今後、
ノグチがなんだか、ぼーーっとしてる。。と見受けたら
「ちょっくら宇宙に行ってるようだ。」と思ってやって下さい。
もしくは、
「超眠い」とか、「超腹減った」とかのサインかもしれません。
*
目を飛ばしてみる。
いつもの風景から
ちょっと先の
宇宙まで。
*