歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

中秋色

2015年09月28日 | 徒然 -tzure-zure-


中秋の名月(旧暦八月十五日の月)。

そして翌日の満月、スーパームーン。







ふと、

カレンダーを改めて見てみれば、

はや、



9月が終わろうとしています(戦慄)




朝な夜な、



窓を開ければ、隣のキンモクセイの立派な生け垣が、ぷわんぷわん、幸せな香りを恵んでくれる、
贅沢な日々。



町のあちこちにも、同じ香りが満ちていて、

呼吸するだけでうっとり出来る、至福の季節です。





黄花コスモス、




うす紫のクジャクアスター、




マユミのピンクに、




真っ赤なヒガンバナ。


道ばたにちらほら散らばる色に、

本格的な秋が始まってしまったことを感じます。

そしてやって来るのは、



実りの実。


折しも、



お客様から、たくさんの栗を頂いたので、

栗ごはんを作りました。

ネットで「栗 皮むき 簡単」で検索して出て来たやり方で挑んだものの、 
結局、すげー時間がかかりました(2時間)。むき終えただけでもう、膨満感。




栗ごはんがようやく食卓に並んだのは、日付が変わる頃でした・・・




でも、
ちゃんと美味しく出来たので、良かったです。

でも、
ちょっと、いろいろ作りすぎました。





いも、くり、かぼちゃ。

私の大好きな黄色いものたち。



料理しているだけでも、うふふ、などと、ほくそ笑みたくなるんだから、

良い季節です。

ついついあれこれ、食べ過ぎてしまう季節でもあります。




というわけで、



今日も
たっぷり作って たっぷり食べすぎて、もうこのまま寝てしまいたいくらい、とろ〜んとなって来たので、
出羽三山の旅も、イギリスの旅も、書く気力が全然湧き起こりません!

なので、
箸休め、ということで。








出羽三山、修験の旅:2~羽黒山・現世うろうろ~

2015年09月19日 | 旅録 -travelogue-
宮古島ロスに陥るひまもなく、仕事がバタバタ回りだして、バタバタし始めた矢先に、
またもや連休に入ろうとしています・・・。連休明け、またバタバタだなあ・・。

そんなこんなな、今日この頃ですが。


お盆休みに訪れた、山形・出羽三山への旅。その2。



(前回までのお話・・・早朝から、羽黒山の長い石段を登る。山頂の三社合祭殿を参拝した後、ブナと杉に包まれた旧い登拝道の山道を下り、荒澤寺のある山裾に降り立ちました。)



降り立った地点は、人里はなれた、山の中腹を走る、車道。






川沿いに、車道。のみ。

人気は、なし。

車ばかりが、たまにびゅーんと、通って行きます。




ここらへんはもはや、人が徒歩で降り立つことすら想定されていないのか、
手持ちの「羽黒山周辺マップ」を見れば、「集落まで徒歩○○分」という情報も、一切無し。

集落まで何kmかさえもわからない、けど、ただやたら「ぐねぐね蛇行してそう」ということだけは、わかる。



車を停めている羽黒山の入口のある宿坊町へは、とにかくひたすら歩いて戻るしか、ありません。




ぐねぐね蛇行する車道の路肩を、せっせと歩いて、下っていきます。




「(旧道を下りて)失敗したかな・・」という思いが頭をかすめました、が、

そんな後悔の種は、




この花の香りで、ただちに打ち消されました。





クズ(葛)です。

「くずもち」や「くずきり」の、くずです。
なにげに、秋の七草の一つ。


フジにそっくりなクズ、

どちらもマメ科のつる性植物で、

どちらもマメっぽい実をつくり、
どちらも、濃厚な美しい香りを放ちます。



この艶のある色にふさわしい、

甘~い、うっとりするようなやさしい香りを、いっぱいに。

でも、
散った花びらは、全く香りがしません。



とてもキレイだけど。

生きていてこそ香る。そんな香りなのです。


食用(くず粉)または薬用に使われるのは根っこの部分ですが、、

先人は、よくぞまあ、根っこなんかに目をつけたなと、感心します。

 ※ちなみに、
  ちまたに出回っているくずもち、葛きりは、純葛粉(本くず)製じゃなく、
  いもなどのでんぷんで代用しているものが多いです。

  そういえば以前、奈良の吉野で初めて食べた「本くずきり」の美味しさは、衝撃でした・・・。



閑話休題。

そんな感じで、クズにうっとりしながら、

車しか通らないこの、山あいの道を てくてく歩いて、下りていったわけです。



夏の盛り以降、すんごいつるを 伸ばしに伸ばして、



樹木にからまり、そして、乗り越え、覆いかぶさり、

山の表面を丸ごと埋め尽くしているような光景を目にします。




ちょっと、あまりにも、、、な、覆い尽くしぶりなので、厄介な雑草扱い。

花も香りも、(葛きりも)とても素敵なんだけど・・・ちょっとやり過ぎ。

山の樹木までだめになっちゃいそうで。





そのほかにも、



ハギとか、



ルドベキア(大半魂草:オオハンゴンソウ)とか、


夏と秋の間くらいの風情が、ちらほら。


車でびゅんびゅん通り過ぎてしまうにはもったいない、自然の美しい景色が、
路肩のあちこちに、びっしり散らばっています。


花は無償の癒し。


しかし、




ちょっと長すぎ・・・。

かれこれ、1時間弱歩いて、





あ~~!

ようやく、やっと、現れてきました。人の生活感を感じられるような物体が。

そして、道がなんとなく平らになってきて、、、




ほどなくして、






滞在している宿坊のある町、「手向」集落に、舞い戻りました。


「手向」と書いて、「とうげ」と読みます。


羽黒山麓の、門前町。

遠方から来る参拝者たちを泊める宿を兼ねた、修験者たちの住まいが、
今も伝統の形を残し、ずら~っと、建ち並んでいます。

かつては300近くあったものの、明治の廃仏毀釈で激減。
現役で営業を続けている宿坊は、30件ほどだそうな。




入口には、決まって、鳥居風の冠木門(かぶきもん)があります。


そして、
どの家にもよく見かけるのが、



綱の飾り。

これは「延し綱」という飾りで、魔除けです。

年越しの神事でつくられる綱(大たいまつ)を再利用したものだそうな。





歴史の色濃い町を歩けば、新鮮な発見がありますね。






伝統的な、特徴的なものに惹かれたり、



なんてことないブロック塀も、よく見れば、変わった模様があったりして。

(家ごとに、いろんな趣向を凝らした浮き彫りパターンを見かけました。)





材木乾かし中の光景さえも、現代アートみたい。


というふうに、
この小さな集落を、歩いてうろうろ散歩してみました。




さらに、

この手向集落から“ちょっと”離れたところに、「庭園が国指定の名勝なるお寺」があるようなので、
そのまま歩いてみると、



道をまちがえたのか。

ずいぶん山あり谷あり、村越え畑越え、どう考えても迂回してるっぽいうねうね道を歩いて、



「こっちが近道だろう」と選んだ道が、やっぱり、近道でもなんでもなかったらしいと、やおら気づく。しかし時既に遅し。

いまさら引き返すには、ずいぶん来すぎたから、先に行くしかない。

私、これよくあるパターンです。


そして



やっとたどり着きました。

みんな、車で来てました。


でも、




たどり着くために、多少なりともヒーコラ苦労するからこそ、得られる感動が、ある!

と、言い聞かせる。



玉川寺。ぎょくせんじ、と読みます。

1251年(鎌倉時代)に、朝鮮高麗から渡来した僧が興した寺(曹洞宗の禅寺)だそう。

庭は、1450年代につくられたそう。


入ってすぐ、





池があって、ハスが咲いてる、キレイな庭が。




これがその、名勝の庭なのか~、、と思ったら、





この「前庭」はまだ“本番”じゃなくって、


肝心の庭園は、寺の本堂の奥に、ありました。









どうやら



すんごい広そうです。

飛び石の数がすごい。

池泉廻遊式庭園ですね。



池があって、



茶室もあって、




いろんな樹がある、



山が迫っています。



山に分け入ったところに、開山の祖たちを祀るお堂もあります。

そして、



立派な枝垂桜と



赤い毛氈(もうせん)がきりっと眩しい、腰掛け。




山の景と、池の景が、合わさって。


和、ですね。





隅から隅まで、うろうろ、延々、巡りました。



そして



さすがに疲れた。



しばし、ごろんとする。





玉川寺から、“ちょっと”歩けば、
出羽三山の入口になる「大鳥居」に行けそうだったので、

早速、歩いて、行ってみる。



田んぼのあぜ道を。




向こうに、鳥居が見えています。

近い近い。





こんな風景、車だけじゃあ、味わえない。


人っ子ひとりいない、田んぼの青い香りを、たっぷり、独り占めしながら。



来た来た


雲行き怪しいけど、その雰囲気がなんか、かえって神々しさを演出。




どーーん。

大鳥居~~。


周りは



田んぼのみ!


この鳥居をくぐってから、車で10分くらい行くと、手向集落に着きます。

ここで、雨がぽつぽつ、、、ちらつき始めまして、、、


時刻はとっくに昼過ぎの、1時。いちばん近くにある定食屋さんに駆け込みました。




見慣れない、どう考えても地元の特産っぽいメニュー、

「麦きり」定食を、頂きました。


うどんのような、そうめんのような、、、


それと、揚げたての山菜てんぷらが、とても美味しかったです。

他に客も無く、料理しているご主人と話すでもなく、とりあえずテレビが点いてたので、テレビを見ました。久しぶりに。

甲子園を、初めて、まじまじと、1回の表と裏の分、見ました。


野球観戦ほかスポーツ観戦全般に全く、全く、まっっったく、興味のない私の感想は、

「みんな、若くて、がんばってて、かわいいな。」以上です。



食後、

1時間に1~2本あるらしいバスも、雨脚が不穏で待ってられず、

「集落まで歩けば30分くらいで着くよ」というご主人の言葉を信じて、雨ぐらいなんだ、濡れてもいいやと、歩く。


出だし数分あたりでバスにすーっと追い抜かれたけど、気にしない。

ほんとに30分くらいで着いた。


マイ車に飛びついて、



町中の、温泉「ゆぽか」へ。


混んでた。


ゆっくりじっくり、疲れを流す。




その後、
次の宿のチェックインまで まだ時間的に余裕があったので、

よし、明日行く月山の情報を仕入れとこう、と、「月山ビジターセンター」へ向かって、ひた走る。


、、と、、。


その道は、まさにさっき、クズの花が咲いてる~とか言いながらひとり延々路肩を歩いていた、車ばかりがびゅんびゅん行く、ぐねぐね蛇行するあの道、まさにその道でした。

そして、

月山ビジターセンターは、山の旧道から降り立ってすぐのところにあった「荒澤寺」から、
徒歩1分のところにありました。


ただ、ご参考までに。

月山ビジターセンターで、いろんなパンフレットや地図の中に、



さっき行ったばかりの温泉の割引券を発見。



 く や し い







そうこうして、夕方。

今日の宿も、宿坊。



大進坊さんに、お世話になりました。


 ※わざわざ宿を変えたのは、手配が遅かったせいで、昨日の宿坊も今日のもそれぞれ1泊しか抑えられなかったため。




この宿坊も、精進料理に力を入れていまして、



ほんと、素晴らしかったです。



という感じで、“現世”=羽黒山 と その一帯を巡る一日は、無事終了。

現世をうろうろ彷徨った、という感じになりました。


ところで、「うろうろ」って、仏教用語から来てるそうです。

漢字で書くと「有漏有漏」、

煩悩の心が体の穴という穴から漏れて流れ出る、みたいな意味らしいです。逆に、煩悩を断ち切った状態を「無漏」というそうな。





さて、


翌日は、いよいよ、“過去世”=月山 へ、登拝します。

そしてさらに、

そのまま一気に、“来世”=湯殿山へ。


「生まれ変わり」の旅は、





 >> 続く。>>






夏と秋のはざまの歌庭〜そらまめライブ2015〜

2015年09月17日 | 造園 -creation-
去る、8月のお盆休み明けの、週末。


 (ミソハギと蝶々)

毎夏恒例行事となった、そらまめさんのおしゃべりライブ。

今年も、社長はギター伴奏でサポート。
弊社職人チームで、会場設営を担当させて頂きました。


2年前から毎年、担当させてもらっています。

最初のは



去年のは



こんな感じでした。

今年は、

「去年と同じ感じで良いよ」

とリクエストされましたが、

「去年と同じ」=「進歩が無い」「変化が無い」
というのも、つまらない(というか、そんなのやりたくない)。
バージョンアップしなければ、やり甲斐が無い。


実際問題の与条件として、
使う会場は全く同じ:銀座のギャラリーで、
使うハード(舞台)も、前回、前々回と全く同じもの。



変化をつけるには、ソフト(植栽)を変えるしかありません。
が、
時季が一緒で、予算も限られているので、用意出来る植栽も、大きな変更は不可能。


それに加え、
前回は 本番前日に設営出来たので、時間的にゆとりがあったのですが、
今回は、本番当日の朝、2時間で、
ハードも含め全部の設営を完了しなければならない。という、
よりタイトな条件だったので、


前回の反省点なども活かしつつ、よりシンプルに、簡単に、、と、頭をひねり、、、




マイナーチェンジ。



ほとんど一緒に見えるけど、

使う樹種数は減らして、
花モノも種類を絞って、
施工方法もより簡便化して、
実は、よりシンプルになっています。



前回、リスとか犬とか球体とか、多めに置いていた英国アンティークたちも、
売れちゃって在庫が減ったので、限られたものだけ。

対のブルドックは、再登板。





リハの風景。



そらまめさんは、歌がよりお上手に。




背景のグリーンは、前回よりシンプルかつ、よりしっかりめに、‘壁’らしく。
使った樹種は、常緑ヤマボウシをメインに。あと、タチバナとか、ビャクシンとかを、ちょこちょこっと。

「夏と秋のはざま」の季節感を意識して、

夏の元気さを引きずる常緑樹と、それと対比するように、
モミジと、白花のサルスベリと。



パニカムのチョコラータという、ブラウン系の草モノ、
黄色い小花がびっしり高く咲く、ルドベキア・タカオ、
秋の七草の一、オミナエシ(女郎花)で、
そよそよとした初秋の雰囲気を。

後方席からもなるべく見える(ないし、雰囲気を感じられる)よう、
高い位置に花が見えるように、まとめました。



植栽にすっぽり包まれて見えるようにしつつ、
もちろん、どの席からも出演者がちゃんと見えるように配慮します。

ライティングで、見え方がさらに全然変わります。



いざ本番。





ラジオDJのそらまめさん、語りはさすが。



歌は、しっとり聴かせつつ、
たまに歌詞が飛んだり、たまにとちったり。っていうハプニングも交えて、笑いもしっかり起こしつつ、
合唱ありの、アットホームな楽しいファンイベントになりました。






終演。




わずか数時間のための、歌庭。

「晩夏」という、
夏と秋のはざまの、
短くて、
長く感じていた夏の、すうっと引いて行く気配と、
じわじわ寄せる秋枯れの寂しさの気配に、特別胸がきゅんとなる季節に、ふさわしく。






撤収。




季節はじわじわ、変わって行きます。




(青花フジバカマと蝶々)





宮古島2015

2015年09月16日 | 宮古島 -miyakojima-
今年も行ってきました、宮古島・社員旅行。
もう4年目!



もうネタ枯れか?と思いきや。いやいや、まだまだ。
色々たくさん、ありました。

でも、

今回はだらだら連載的な引きずり方はせず(これ以上連載かけもち増やしたくない)、
もう、一発でいきます!





未明の調布を出発し、




早朝の羽田空港に到着したタイミングで、

鹿児島の親から心配のメールが。

さっきまで居た調布で、震度5以上の地震(たて揺れ直下型)があったと知らされました。
リムジンバスに乗っていて、全く気づかず。


飛行機も問題なく飛び、

9時台にはもう、宮古島。



まぶしいブーゲンビリア。


空港を出たとたん、むんっとした暑い湿気が、、、


、、、と思いきや、

あれっ?と思うくらい、ひんやり。
むしろ前日の東京(台風一過後の残暑ぶり返し)の方が、うざ暑かったです。


今年はまず、



知る人ぞ知る、パワースポットの石庭に行きました。

それから、



ビーチの見える海鮮レストランで、ランチ。
宮古そば御膳。

それから、



出来たばかりの、伊良部大橋を渡って、

伊良部島へ。


海の青が、やっぱりとんでもなく、きれい。







再会できて嬉しい、双子みたいに仲良しの、可愛い兄弟。





伊良部島の浜辺。




渡口の浜。

今回初のビーチは、ここ。




さっそく飛び込む。




お天気にも恵まれました。



「着替えたくさん持ってきたから、いいよいいよ!」と、ママのお許しも出たので。


可愛い。






それから、

伊良部島/下地島の名所、

通り池。




呑み込まれそうな、深い静かな藍。


鍾乳洞が陥没して出来た池で、海中洞窟で外海とつながっています。

ちょうど、ダイビングツアーの人々がぬっと浮上してきました。


そんな池を眺めるでもなく



やんちゃ度に拍車がかかってきた、弊社の天使部長。

飛行機でもらえたサングラスが、様になっています。


かくして、初乗り込みの伊良部島+下地島を一周し、

ホテルにチェックイン後、
どうしても早く海に行きたいアクティヴチームは、



前浜ビーチへ。

一時間足らずの、ひと泳ぎ。

(見えている橋は、来間島にかかる来間大橋。)

最初は「意外に水が冷たい!」と騒ぎ、

一回入ってしまうとあたたかくって、

むしろ陸に上がろうとすると「風が寒い!」

日が傾いて、風が強い頃合。

海にだらだら浸かっていたい、昼下がり。





ですが、海はささっと切り上げて、

夕方は、社長の実家へ。



伊良部大橋に落ちる夕日を眺めながら、



バーベキュー。



今年はまた面子が増えて、大賑わい。

ちびっこたちも、2歳から3年生まで、勢ぞろいで、おおはしゃぎ。
(子供たちの良い表情の写真が載せられなくて、残念;)




まんまるで、ゆっくり、落ちていく。

見事な夕焼けでした。



気づいたら太鼓叩きになっていた部長。


宴のあとは、社長なじみの小さな浜へ行って、

超絶満天のすごい星空を、堪能しました。


天の川の、天を大きく横切る、もやもやした白い筋まで、ちゃんと見えます。

流れ星も、2つ見ました ☆=

やっぱり、「あーっ!」って言って、終わっちゃうよね。



この満天の星空の下には、出来たばかりの伊良部大橋が架かっています。

この大橋の沿道に、ずらーーーーーーーっと、
街灯をつける計画が進んでいるそうです。

そうなったら、、、もうこの完璧な暗闇と完璧な星空の、完璧な景色も、だいぶ変わってしまうでしょう。。。

二度と見られなくなってしまう星も、、、






2日目も快晴。

自分を含むアクティヴアダルトチームは、

鍾乳洞探検の下見のため、ボラガー(保良川/泉)ビーチへ。




「干潮なら、歩いて10分で鍾乳洞の入口に着きます」

という情報でしたが、あいにく干潮でないタイミング。

とげとげしくてデンジャラスな、黒い荒磯を、恐る恐る歩いて、20分。

入口に、たどり着けず。

ひとしきり堪能して一汗かいて冒険はひとまず切り上げ、

いつもの



最強のビーチ:新城(あらぐすく)ビーチへ。


変わらぬ、透明なエメラルドの海。さんご礁に、熱帯魚。あたたかい海。

ひとしきり、シュノーケルに没頭。

後から、



子連れチームも合流。



2歳の天使も、初・宮古島。

この次男坊は、お兄ちゃんの平気っぷりを見ているせいか、全然怖がらず、動じません。

そして、とにかく、



超・可愛い。

癒されること、この上なし。






お昼。

ビーチにて、ボリュームたっぷりの宮古そばを食べた後、

アクティヴチームは、鍾乳洞探検へ。



さっき(朝)は黒い荒磯の岩場しか行くしかなく、大変だったところが、
干潮によって、浅瀬をスイスイ歩いていけるようになっていました。

もちろん、それを見計らって。



奇岩が立ち並ぶ浅瀬を歩いていくと、

朝は辿り着けなかった、鍾乳洞の入口に、とうとう到着!



裂け目の上には鳥居(的なもの)があり、ちゃんと手を合わせてから、くぐります。

この中には、パンプキン型の鍾乳岩がどーん!と聳え立っています。(海上3mくらいの高さの)




他のツアー客にならって、パンプキンの上から、エメラルドの滝つぼへ、飛び込み!

今までそういえば知らなかったスポット。今までやったことなかった、新体験でした。



帰りの浜。





湧き水のつくる、初々しい川の流れ。




見下ろし遠景。





その後、

宮古島の北端にある池間島に渡り、



名も無きプライベートビーチへ。


ここは、見るだけ。




ロープを伝って降り立ち、




ロープを伝って、登って、かえります。





池間島をつなぐ大橋から



未知の島、大神島が見えますが、

ここは長男は決して立ち入ってはならない、いわくつきの島だそうです。



そこから南下して、



砂山ビーチ。狭いけど、絶景ビーチ。

白砂の山を、上って、下って、辿り着きます。

ここも、見るだけ。


アクティヴチームもさすがに動きっぱなしで疲れたので、



砂山ビーチのすぐそばのカフェで



一休み。

なにげに著者近影。




赤花(アカバナ=ハイビスカス)。





それから、

ホテルへ戻ってバタバタと身支度を整え、

夕刻、

弊社社長主催のライブへ。



想像をはるかに超える超満員の大盛況でした。


この後、居酒屋で打ち上げして、

長い2日目は、終了。



3日目は、

天気予報だと、朝から雨の確率、60%。



でも諦めきれないアクティヴチームは、しっかり7時に朝食を食べ、8時前にスタート!

、、と勢いづいたところで、



車がバッテリー上がってて、エンジン動かず。
しばしのタイムロス。




仕切り直して、



残りの離島、来間島+来間大橋も、制覇へ。



小さな島の、小さなビーチ。



色とりどりの貝殻、サンゴのかけら。



白いカニ。

宙を浮いているようにサササ~~~って、走り去る。

そして、



ヤドカリ。宿を奪い合い、乗り換え合っている、奇特な場面に遭遇。

もみくちゃ。


そして、



ヤギにも、出逢いました。



この後、

未知なるゾーン:ドイツ文化村というスポットにも、ついに立ち寄り。



休館(半廃墟)になっているパレス館。



危なっかしそうで、天気も 意外にもってくれているので、

「海に行こう!」

と、南海岸を辿るも、
南海岸沿いのリゾートビーチは、逐一訪れど、あんまり気が乗らず、、、

結局、いつもの最強ビーチ:新城ビーチを目指すことに。

途中、




気になる「弁当」の看板に惹かれ、

導かれるまま、



村の集落をひとしきり彷徨い、、、




迷い、、、

あきらめたところで



新たなる看板に出会い、

これは呼ばれてる!と、



意気揚々、

ついに



たどり着いた、なぞのお弁当やさん!


あったーーー!!!



この旅一番の感動の瞬間でした。



エルナさんというとても美しいご婦人が自宅でやっている、小さなお弁当屋さんでした。

時ちょうど正午。地元のおじさんたちも、買いに来ます。

このお弁当を提げて、



ふたたび、新城ビーチへ!



お弁当は、フルボリュームで、さんぴん茶とお味噌汁までついて500円という、お買い得商品。

優しい薄めの味の、美味しいお弁当で、皆大満足。

あきらめないでよかった!出逢えてよかった!

初日に訪れたパワースポットのおかげかも!なんて、喜び合いました。



そして、



初・海中撮影。

iPhoneを入れて水中に潜れる透明のケースを借りまして。

でも、ぜんぜんうまく撮れなくて



もはやニュアンスのみ、、、




やっと撮れてても、ブレブレ、、、

これでもましな方、、、。ちなみにこれ、ニモで有名なあの魚(クマノミ)の、
大・中・小3匹の、かわいい家族の写真。




一番取りたかった、ラベンダー色に光るサンゴ。

ブレブレ、、、


来年こそ、水中で撮影できるなんらかの手段を、しっかり準備しようと決心。



ザバーン。


陸に上がる。



外からでも魚が見える、この透明度。








やどかり。


水中で無駄撮りしまくって、この時点で電池残量1%。

(宮古島に居る間、なんにもしてないのに電池ががんがん減って、朝の移動中にすでに50%切っていました。

 購入から2年越えて、時限装置が作動しているのでしょうか・・・。)




と、いうわけで、

そんなこんなで、ギューギューづめでもりもり盛り沢山になった、今年の宮古島。

いつもの自分の一人旅のギューギュー詰めモードにとても近くて、とても満足度の高い、おなかいっぱい!と感じる
旅になりました。

ベイビーたちと、のんびりスケジュールで、まったり戯れて癒されるのも良いけど、
がんがん動き回って、「遣り尽くしたー!」という達成感があるのも、良い。


同行のアクティヴメンバー(主に年の近い、弊社のお付き合い先の方々)に、感謝。


空港のA&Wで



久しぶりのハンバーガーを食べ、

昼下がり、



出立。帰京の途へ。


さらば、宮古島。









帰り着き、降り立った 夜の 東京。

キンモクセイの香りが、満ちていました。



、、、もう、すっかり秋になっちゃったんですね・・・。




さらば、2015年の、夏。










つるむらさき

2015年09月10日 | 料理 -kitchen-
夕方、スーパーで夕飯の買い物をしていたら、

「月山」

の文字が目に飛び込んで来ました。

「つるむらさき」という、今まで使ったことのない葉物で、ひとパックに8株くらい入ってて、199円(税別)。

あら、お安い!という思いもあって、直ちにカート入れ。



ついこの間(といっても一ヶ月程前)、旅したばかりの、月山(がっさん)。

そこで頂いた精進料理があまりに素敵で、お土産も「薬草茶」とか「きのこ茶」とか、、、地味で渋いのばかり。旅から帰った後もすっかり影響されて、山菜やら、きのこやら、胡麻豆腐やら、、に、つい手が伸びる日々でした。

そしてこの度見付けたのは、彼の地より来たりし、つるむらさきなる、未知の野菜。

こんな場所の普通のスーパーにも、繋がっていたなんて。





特別な旅で訪れた場所は、特別な愛着が湧くもので。
天気予報とかでもついつい、その土地の天気、見てしまいます。

そんな想いもあって、即断で買うことにした、つるむらさき。

帰ってから調べたら、茎も葉も全部食べられて、捨てる部分が無い!という、素晴らしきシロモノでした。




葉っぱはさっと湯がいて、豚しゃぶに和えて。白ごまとゆずポン酢で。

茎は、豆腐と一緒に、お味噌汁で。味噌は信州の。

茎の味はほんの少し苦めですが、クセもなく。
葉っぱはホウレンソウとモロヘイヤの中間みたいな、、、。

熱を通したら、少しぬるっとしたとろみが出る感じでした。モロヘイヤほどではないけど。

山の滋味。

松茸御飯と共に、美味しく頂きました。




つるむらさき‥‥Basella alba 蔓紫 ツルムラサキ科つる性一年草

東南アジア~中国南部原産
英名: Indian spinach, Malabar spinach
中華料理では 木耳菜(ムーアルツァイ)
ベトナムでは モントイ
日本では主に沖縄で栽培され、じゅびん(地紅)と呼ばれ、おひたしや味噌汁の他、じゅーしー(炊き込み御飯)の薬味ににも使われたり。
緑色のものが、山形や福島のあたりで栽培されている。

栄養価高し(ホウレンソウよりも)。ビタミンA、C、カルシウム、鉄などを非常に多く含む。




あ、沖縄 という単語が出て来ましたが、
沖縄も、特別想いのある、大事な土地です。

で、
もう間も無く、毎年恒例の、沖縄宮古島旅行が迫っています。
「わくわく」と同時に、旅行前の常である:仕事詰め込み・やることモリモリで、「バタバタ」で、

だいぶ、せかせか、しています。







出羽三山、修験の旅:1〜羽黒山〜

2015年09月07日 | 旅録 -travelogue-
早いもので、時すでに9月。

ここのところの懸案事項だった資格試験が ひとまずひと段落したので、
おもむろに再開します。







山形の霊場:出羽三山の三社詣での旅@盆休み、1日目。

幽かな雨まじりの、ひんやりとした空気の、山の朝。

6時半に、朝食を頂きました。



朝も素晴らしい精進料理フルコース。

山菜もお米も、なにもかも優しく、美味しい。
特に、
もっちり・ねっちょりのゴマ豆腐に、うっとり・にんまり。



お盆ゆえ、お供えがいっぱいの、立派な祭壇の傍らで、頂きました。


食後、すぐにチェックアウトして、
いざ、すぐ隣にある、羽黒山の入口:「随神門」へ。



早速、立派な石が。



この門をくぐると、



延々、石の階段が続きます。

まずは下り。

いざ、第一の山へ。



この階段を延々行くと、その先には
国宝「五重塔」と、「出羽神社」、そしてその境内には「三山合祭殿」があるのですが、




長〜〜〜〜い階段が、しばらく続きます。
2,446段あるそうです。
が、そんな数字、非日常的過ぎて、もはや数字で言われてもピンと来ない。

徒歩で4、50分かかるらしい。





さて、ところで。

お盆休みに馳せ参じて参りました、この「出羽三山(でわさんざん)」とは:

山形県の中央にある、月山(がっさん)・羽黒山(はぐろさん)・湯殿山(ゆどのさん)の総称で、
古くから修験道(しゅげんどう)の霊場として、重きを置かれていた場所です。
開山は1,400年以上前とのこと。

古代からの山岳信仰と、
自然への畏怖・感謝から発生する、自然神=八百万のカミ信仰(アニミズム)へつながる古神道を素地に、
仏教(特に密教。その他、浄土信仰や、法華経、道教、陰陽道なども)が習合(=混ざり合い)した、神仏一体の「権現(ごんげん)」を祭る信仰の場となり、
山伏が霊験(神秘的・霊的な呪術力)を高めるべく苦行を積む「修験道」の聖地の一つになりました。


主峰の月山(標高1,984m)を頂点として、
峰続きで一つの山(一山三嶺)とみなされており、
参詣も、三山を通して一つ。

羽黒山 = 聖観世音菩薩(仏)・伊氐波神(産土神)・稲倉魂命(穀物神)
月 山 = 阿弥陀如来(仏)・月読神(農耕神)
湯殿山 = 大日如来(仏)・大山祇神(山の神)・大己貴命(建国神)・少彦名命(医薬神)

というふうに、性質の異なる神様・仏様が、三様に祀られています。

そして、

1:羽黒山 = 現世
2:月 山 = 過去(あの世)
3:湯殿山 = 未来(来世)

三社をこの順に巡ることで(過去→現在→未来の順ではない)、生まれ変わり・よみがえりを果たせる、とのこと。

西の伊勢と並んで、一生のうちに参拝すべき地として、平安時代から数多の人に詣でられて来ました。




延々続く石段、
ひとつずつの段差(蹴上げ)が10cmくらい(とても低い)+踏み面がちょっと狭いので、非常に歩き難い。
一歩一歩、足の運びがいつもより細かめになります。

石段をしばらく下ると、



川と



橋に行き着きます。(祓川神橋)

山伏が、まずここで身を清める(名の通り、身を祓う川)という場所だそうです。



橋の向こうには、滝。(須賀の滝)




川、そして、それを渡る橋は、あの世とこの世の境+それをつなぐものとして、宗教的には非常に意味の重いものなので、
渡る時は、神妙になります。




橋のたもとにある灯籠の、ふっくらコケに萌えつつ。



橋からまた、石段の坂道に戻って、



大きな杉の木立を進むと、

巨大な杉に出会します。




その名を、爺杉(じじすぎ)と云う。
天然記念物。樹齢1,000年だとか。

爺だけ?婆は?
と思ったら、
やはり、かつては傍に「婆杉」(ばばすぎ)も、ちゃんとあったそうですが、
明治35年(1902)に、暴風で倒れてなくなってしまったそうな。

で、

爺杉のすぐ向こうに、



五重塔がちら見え。

巨大な杉木立の中に、ひっそりと。

随神門を潜ってから、程なくして辿り着きます。



国宝、五重塔。
杮葺素木造(こけらぶきしらきづくり)。



東北地方では最古の塔で、
なんと、平将門が創建したと云われています。
(ただ、今現存しているこれは、約600年前=南北朝時代に再建されたもの。)



小雨ちらつく早朝の、静かな森の中。

森厳。




濡れたクサギ。






そして、
この五重塔のあたりから、いよいよ登り坂が始まります。



一ノ坂、



二ノ坂、

途中、



脇道があって、
しばらく行った山肌にこっそり、小さな社があったり、



また戻って、



ほんとにデカい杉の並木と、

まだまだ続く石段、



また脇道があって、

かつて松尾芭蕉が停泊した「南谷」という、
かつては寺があったけど、廃れて。今は、庭の名残だけが見られるというゾーンへ行けるのですが、、、

片道15分くらいかかりそう。つまりは、往復30分。さてどうしよう、行くべきか行くまいか、、、しばし逡巡して、

結局、

行ってみることに。



しばらくはほんとに荒れてるばかりだったそうですが、
割と近年、ボランティアによって、綺麗に整備されているとか。



しばらく森の道を進むと、着きました。



池をめぐる庭があった模様。




と、廻っていたら、雨脚が急に強くなり、

ザンザン降ってきた。



念のため携帯していたポンチョ型のレインコート(一回使ったけど、ろくでもない代物=結局手も足もすごい濡れる)を
慌ててかぶると、
首筋に「バチッ!」というエレクトリカルな痛みが走って、
「なんだなんだ?」と思いながらも、雨も凄いからすぐ脱げないので、「気のせいかも」と思い直して、

、って開き直ろうと思った矢先にまた「チクッ!」と、首の後ろあたりに鈍い痛みがあり、

「あ、これは!」と手で探ると、何やら虫的な物体が、Tシャツの首筋あたりに潜り込みかけていて、
慌てて引っ掻き出す。

なんか、かゆい。痛がゆい。

蚋(ブヨ)、と確信。

ポンチョをぶわっと開いてかぶった瞬間に、どうやら紛れ込んだ模様。

スズメバチじゃなくてとりあえず良かったけど、

いきなりの大雨降らしといい、虫の仕打ちといい、あ、これは。
『脇道に逸れるな。本道をまっすぐ、ひた進みなさい』っていうメッセージかしら。なんて思いました。



ということで、そそくさと本道に戻りまして、

雨も弱まったので(ほらやっぱり!)

再び、こつこつ、石段の坂道を登る。

ひたすら石段の坂道が続く。

途中、



縁結びの神様だとか、摂社がちらほらあったりするけど、



脇目も振らず、



花は撮りつつ、

しかし延々、いつまで続く、まだ続くのか、永遠、まだ続くのか、奄々、悶々と想いながら、

坂を上り始めてから1時間弱、



パッと、ゴールあらわる。




まず出迎えてくれるのは厳島神社。



緻密な龍。

その他、東照宮とか、



沢山の摂社、



開山の祖・蜂子皇子の墓、中興の祖を祀るお社、
などなど、



いろんな神様、仏様の社が集まっている、羽黒山頂。



鏡池。平安時代の昔から、この池に鏡を投げて願掛けをした風習があったらしく、
歴代の鏡がたくさん発見されている池。(その鏡は、山頂の博物館で見られます。)



でかい鐘楼。五重塔に次いで古い、重要文化財。
大きな梵鐘は、建治元年(1275)の銘があるそうです。


そして、メインの



三社合祭殿。

冬には雪深くなって登拝できなくなる他の二社も参拝できるようにと、ここに三神を合わせて祀るようになったようです。



いつもは素通りする歴史博物館(人気ない)も、入ってみました。

鏡池から発掘された銅鏡は、季節の草花や鳥や蝶が緻密に細工された美しい工芸品で、
それだけでも、ああ、入って良かった、と思えるものでしたが、

それよりなにより、

たくさんの神仏が、ずらり、一堂に会しているのです。

かつてこの羽黒山ふくむ出羽三山には、山麓も含めて、たくさんの寺社がありました。

その寺社は、明治時代初めの「神仏分離令」による廃仏毀釈によって、滅茶苦茶にされました。
そこに祀られていた貴重な神仏像の多くも、散逸してしまいました。

一度失われたそれら仏像のうち、一人の有志によって蒐集された250体が、曾孫の代に、ここに再び奉納されたそうです。

羽黒山、月山、湯殿山。その三山をそれぞれ象徴する、
観世音菩薩、阿弥陀如来、大日如来。そして、その他、いろんな神様仏様。

たくさんの仏像がずらりと集められているのは、壮観ですが、
人気の無い、博物館のガラスケースの中で、、、お寺で正しく祀られている状態ではないので、寂しい気もします。


結局、開館と同時に入った自分以外は誰も入って来ず、
おかげでじっくり勉強しながら、がっつり巡回できたのですが、、、


明治になってすぐに行われた神仏分離令による廃仏毀釈。本当に、改めて、腹立たしい。

先立って近代化していた西洋に比肩すべく、富国強兵というスローガンを掲げて色んな大改造をやりましたが、
西洋=キリスト教的国家に比類する、絶対的・単一的な宗教基盤のある国家の体裁をつくるべく、「国家神道」なるものをつくり、仏教要素を排しました。
それによって、日本古来の、豊かに・複雑に混ざり合っていた信仰のかたちが、
否定され、破壊され、
滅茶苦茶にされました。


創造のための破壊。などというと格好良いかもしれませんが。

これって、いわゆる原理主義です。
最近、異教だからっていって、貴重な古代の遺産を破壊しているISISと、やってることは同じでしょう?

そう考えると・・・恐ろし過ぎます。明治。


人間が意図的に無理矢理つくったものは、やはり無理があるもの。
仏様は死にませんでした。
この出羽三山の、修験道も。




一度は破壊されながらも、脈々と受け継がれ、今も(古来のままとはいかずとも)古き豊かな信仰のかたちがこうして生き残ってくれていることは、ほんとに有り難いことです。
だって、一度失われたら、二度と取り戻せないことばかりだから。

こつこつと受け継いでくれた先人に、感謝。




と、
重くなっちゃったけど。


下山は、
昔の、旧い参詣道を、下りることにしました。

旧・月山参詣路。




そこは、杉と



ブナが、共存する森。

途中、

山伏が籠もる社(吹越神社/峰中堂)が中腹にあったりしますが、
平素はよほど人の往来がないのか、
閑散として、遺跡みたいな。





人気の無い、きわめて静かで穏やかな山道。





明るくて美しい、森の小径です。





石段より全然歩き易い、土のふわふわした、優しい道。



虫も。


コケも。



キノコも。



草花も。







独り歩いていて、
なんだかとても楽しくてたまらず、テンションが上がってしまいました。






終着点。




むしろ、かつてはここから登って行った、出発点。


車道にぶつかると、
向かいにお寺があります。



荒澤寺。

すぐ傍に川が流れていて、
ここで禊ぎをしてから、登拝をスタートさせていた模様。



女人禁制の碑。




お堂。

ここも人気が無くて、

静かでした。


いつしか、
雨はすっかり、上がっていました。




そういえば、雨って、‘浄化’でもあるんだよなあ、と、
ふと、想う。






 
 >>続く。>>

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