“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

市場と権力という本

2013年07月29日 10時32分05秒 | 臼蔵の呟き

市場と権力(佐々木実氏著作)

竹中平蔵の経歴を通じて、彼が果たした日本の政治経済への影響などを分析した書籍です。自分はまだ読んでいないので、これから手に入れて読んでみようと思っています。その理由は、小泉構造改革、規制緩和の起案者、推進者として経済界、自民党、官僚機構への影響が非常に大きな人物だからです。しかも、彼は経済界、官僚、自民党政権と人脈でもつながっており、いろいろな形で政治経済を操っている人物の1人ではないかと思います。彼は学者というよりは、新自由主義を信奉し、実業界(人材派遣会社の最高幹部)でのビジネス行い、自らが富裕層、多国籍企業の利益最大化のために貢献することをその主たる役割と自覚しているように思います。安倍自民党政権が経済対策で衆議院、参議院選挙で多数派となり、政治の右傾化、経済のグローバル化、多国籍企業の利益最大化政策を次々と打ち出す背景に彼のような政商(沢山)が関与しているのだと思います。そして、一見もっともらしい学説、理論(実際は理屈)を安倍、自民党、多国籍企業集団に与えている点で、犯罪的な役割を担っているように思います。

竹中の経歴です。一見すると経済学者のようですが、学者というよりは政商と称したほうが適切なのかもしれません。また、アメリカの経済学者、政治家とつながり、アメリカの多国籍企業のグローバル化のために日本で、政治的に貢献しているとも指摘されています。その経歴は、慶応大学の教官(彼のことをたいしたことのない経済学者という学者、知識人も多い)、人材派遣会社パソナグループ会長、日本マクドナルドのシンクタンク研究員、アサヒビール社外取締役などを歴任して、小渕内閣時代に、アサヒビール会長の樋口氏会長、中谷巌会長代理とつながりました。それらを使って小泉政権で政権中枢に入り込み、郵政の解体、民営化を主導しました。これらの過程で政界への人脈形成しました。

一ツ橋大学卒業後、日本開発銀行に入行し、アメリカハーバード大学、ペンシルバニア大学で研究員、ローレンスサマーズ(クリントン政権で財務長官、ハーバード大学学長、世界銀行上席副総裁)、ジェフリーサックス(開発経済学、国債経済学)の知り合いとなっています。アメリカの経済政策の中枢を担う人物とつながっています。

 ――『市場と権力』の「おわりに ホモ・エコノミカスたちの革命」で佐々木さんは、経済学者の宇沢弘文氏の一文を引用しているそうです。ベトナム戦争について当時のマクナマラ国防長官が、もっとも効率的で経済的な手段によって増税もインフレも起こさず戦争を遂行しているのに、非難されるのは心外だと発言した。この発言は、価値判断からの自由を標榜し、公正さや平等性を無視して、効率性のみを追求する近代経済学の基本的な考え方と同じだと宇沢氏は述べた。公正さや平等性を無視し、効率性だけを追求する知識人が現実の政治と結びつくと、どうなるか。

<竹中氏の代表的な発言>

サブプライムローンに端を発した問題が顕在化し始めていたさなかの08年44月、BS朝日・朝日ニュースター放送『竹中平蔵・上田晋也のニッポンの作り方』にて「民営化した日本郵政はアメリカに出資せよ」との見解を語った。

「サブプライムローンそのものが悪いわけではない、リスク管理が甘く慎重に審査して貸しつけていなかった、一義的には金融機関が」経営に失敗したということ、銀行としては証券化してリスク分散したはずが、結果的にリスクが社会中に広がってリスク拡散になってしまった。それが今回のサブプライム問題の本質」「グリーンスパン前FRB議長が行ったことに問題があったという穿った見方も強いが、誰かに責任を着せるのではなく前向きに対処を考えていかなければいけない。問題は誰にも予想できなかったこと」と一連の問題を評した。

その上で「『民営化された日本郵政はアメリカに出資せよ』と申し上げたい。ある国が政治的な意図をもってアメリカの金融機関を乗っ取ってしまったら、アメリカ経済が影響を受けるのではという懸念も出てきている。日本郵政は民営化したので、今はSWFではない。だからアメリカから見ると安心して受け入れられる民間の資金。アメリカに対しても貢献できるし、アメリカの金融機関に出資することで新たなビジネスへの基礎もできる」と述べた。

<サマーズメモの概要>

先進国では、環境保護の意識が高まり、汚染の処理にかかる費用が高くなる。したがって、最貧国に汚染物質などを保管、投棄することでコストが低減できる。とした理論を発表して、世界各国から批判された。日本で、原子力発電所が過疎化に悩む地方、海岸地帯に立地していることにも通じる考え方。北海道幌延町の地下に核廃棄物の最終処分、保管をしようとすることにも通じる俗説。


青葉城址にある戦跡の続き

2013年07月29日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き

こんにちは、蜂助です。

ギボウシ  擬宝珠(ぎぼうしゅ)から発音が変わったものです。擬宝珠とは、橋や寺院、神社などの伝統的建築物の装飾でとんがり頭みたいな形のものを言いますが、この花のつぼみがそれに似ていることから付けられたものです。(あまり似ていませんがね)この写真の葉を良く見ていただくと縁(ふち)が黄色くなっています。病気ではなく、園芸種でこのような葉に改良されているものです。山にあるオオバギボウシはウルイと呼ばれて、春の山菜として喜ばれます。ヌメリがあり、酢味噌和えなどで美味しくいただけます。このギボウシの葉も食べられると思いますが、黒いフナではなく金魚を食べるような感じでしょう。

先日、青葉城の伊達正宗像の話をしましたが、その続きです。青葉城の天守閣は現在はありませんが、その場所から仙台市内が一望できます。駐車場があるのですがここの道路や駐車場からは仙台市の土地ではなく、護国神社の持ち物です。駐車場が1時間400円と法外に高くなっていますが、しかたなく皆さんは使っているようです。

この護国神社は、靖国神社の地方分社のようなものです。1904年に招魂社を建設し、主に第二師団管内の戦没者を霊を祀っていました。1939年に護国神社と改称されました。1945年の仙台大空襲で焼失しましたが、戦後復元されました。ここにこのようなものがあります。

平成7年に作られたものです。鎮魂の泉という名前のものですが、戦争賛美をしているように思えてなりません。

青葉城の伊達正宗像の付近にこのようなものがあります。

東日本大震災以前の仙台観光案内を見ると、この塔の先には大きな鳥が乗っています。幅6メートル、重さ4トンもある鳥のブロンズ像がありましたが、東日本大震災で落下しました。この塔および鳥の像を作ったのは「昭忠会」ですが、現在はこの会が無いため、落ちた像を粗末な塩ビの波板で作った掘立小屋のようなもので仮に覆っているだけです。

この「昭忠会」が作ったので、この塔は「昭忠碑」と呼ばれています。昭忠会は、1899年に地元有志と第二師団有志で結成されました。昭忠碑は1902年に仙台の街から良く見えるように作られました。事実、街から良く見えました。1904年の日露戦争の直前です。1910年に朝鮮を植民地にする以前のことであり、日本が帝国主義にまっしぐらに突き進む時代の象徴です。

その鳥の名は「金鵄(きんし)」。金鵄は日本書紀に登場する金色のトビです。初代天皇の神武天皇が長髄彦と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、天皇軍が勝利することができたとされる鳥です。

こんな正体の巨大な金鵄像は伊達正宗像のように1944年の金属回収令の対象とはならず、戦後66年目の3月11日に落下したものです。

大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍の軍人軍属のみが対象とされていた勲章は「金鵄勲章」と呼ばれ、相応の戦功があった者にだけ授与されていました。大将や大臣などでも戦功がなければ受けることのできない、帝国軍隊の最高の勲章でした。その名前が「金鵄勲章」でした。

ほとんどの観光客は、この歴史を知らずに帰っていることでしょう。

この金鵄がまた碑の上に乗り、仙台市内を見下ろすことになることには賛成できません。