今朝の日経の「ポスト小泉 新春に聞く」欄に前米国務副長官・アーミテージ氏(61)のインタビュー記事があった。
ワシントン支局の秋田浩之記者のインタビューだが、日本通のアーミテージ氏がこの時期、何を言っているのか興味がある
ので読んだ。アーミテージ氏は記者の質問に以下の通り答えている。
「靖国参拝が米外交をやや複雑にしていることは疑いの余地はない。だが、小泉純一郎首相は平服で参拝し、参拝が個人的
な信念に基づくものであることも明確にした。首相が個人的な信念を持つのは許されるべきだ。中韓が怒るのは分かるが、
もう少し理解してもよいのではないか」(ポスト小泉候補と日中、靖国問題についてのコメント)。
「靖国は症状にすぎず、問題そのものではない。症状だけに注意を払っていると問題の核心を見失う。日中韓が理性的な
普通の関係を築けるかどうか、論議を傾けるべきだろう」(靖国問題と総裁選の争点についてのコメント)。
「日米は中国に人権、信教の自由、報道の自由を促さなくてはならない。中国が国際社会の有益なメンバーになるつもりなら
人権と自由、個人の尊厳を尊重する必要がある」。「中国が望ましい方向に向かわない可能性に備え、手を打っておくことも
肝心だ。日米の安全保障協力を強めるため、演習を増やし、相互運用能力を高めなければならない。憲法9条を巡る論議の
方向は好ましい」(中国の台頭についてのコメント)。
中国に対して日米が協力して相互運用能力を高めるよう努めなければならないというアーミテージ氏の指摘は正しいと思う。
また、「靖国は症状にすぎず、問題そのものではない」という指摘もさすがだと思う。靖国を問題にしているのは中国である。
そして、その裏に台湾問題を含む中国のアジア政策が見え隠れしている。
もっと言えば、中国がアジアにおける覇権を実現させるためには、どうしても日本が障害となる。常に日本を牽制しておか
なければならない。靖国は中国にとって格好の材料で都合のよいカードなのだ。確かに小泉総理の靖国参拝は国内外に大きな
波紋を引き起こした。だがその反面、靖国にこだわる中国の真意がどこにあるのか、そのことを日本人に考えさせる格好の
「教材」にもなった。
ワシントン支局の秋田浩之記者のインタビューだが、日本通のアーミテージ氏がこの時期、何を言っているのか興味がある
ので読んだ。アーミテージ氏は記者の質問に以下の通り答えている。
「靖国参拝が米外交をやや複雑にしていることは疑いの余地はない。だが、小泉純一郎首相は平服で参拝し、参拝が個人的
な信念に基づくものであることも明確にした。首相が個人的な信念を持つのは許されるべきだ。中韓が怒るのは分かるが、
もう少し理解してもよいのではないか」(ポスト小泉候補と日中、靖国問題についてのコメント)。
「靖国は症状にすぎず、問題そのものではない。症状だけに注意を払っていると問題の核心を見失う。日中韓が理性的な
普通の関係を築けるかどうか、論議を傾けるべきだろう」(靖国問題と総裁選の争点についてのコメント)。
「日米は中国に人権、信教の自由、報道の自由を促さなくてはならない。中国が国際社会の有益なメンバーになるつもりなら
人権と自由、個人の尊厳を尊重する必要がある」。「中国が望ましい方向に向かわない可能性に備え、手を打っておくことも
肝心だ。日米の安全保障協力を強めるため、演習を増やし、相互運用能力を高めなければならない。憲法9条を巡る論議の
方向は好ましい」(中国の台頭についてのコメント)。
中国に対して日米が協力して相互運用能力を高めるよう努めなければならないというアーミテージ氏の指摘は正しいと思う。
また、「靖国は症状にすぎず、問題そのものではない」という指摘もさすがだと思う。靖国を問題にしているのは中国である。
そして、その裏に台湾問題を含む中国のアジア政策が見え隠れしている。
もっと言えば、中国がアジアにおける覇権を実現させるためには、どうしても日本が障害となる。常に日本を牽制しておか
なければならない。靖国は中国にとって格好の材料で都合のよいカードなのだ。確かに小泉総理の靖国参拝は国内外に大きな
波紋を引き起こした。だがその反面、靖国にこだわる中国の真意がどこにあるのか、そのことを日本人に考えさせる格好の
「教材」にもなった。