1月17日
昨日から阪神大震災の報道が多い。
今から14年前80才前後の母と叔母を連れて神戸に遊びに行った事を思い出す。
丁度その日は神戸市内でショッピングを楽み、16日の四時頃ポートアイランドのホテルに宿泊した。
63才だった私と母達三人で楽しい夕食を済ませ12階の部屋に落ち着いた。
楽しい夢路を妨げられたのは17日午前5時過ぎだった。
トリプルでとった広い部屋で私だけが一寸離れた場所のベットだったが・・・
強い衝撃でベットから放り出された。 瞬間、二人の安否をと、這ってでも行こうとしたが・・、間仕切りになっていたチェストのとテレビや冷蔵庫が飛び交って立つことすら出来なかった、
何秒か(その時はとても長く感じた)の間でも何か叫びながら這って行ってみると二人はベットにしがみついてうずくまっていた。
まだ余震なのか12階だからか捕まっていないとたてない状況だった。
やがて揺れは収まり唖然とそれぞれの顔を見合わせ、地震の揺れだったことを確認した。
安堵する閑もなく服を着て階下に降りなければ・、としたとき<
ホテルの支配人がドアーから飛び込んできて「早くしたえ降りてください!!」と誘導されて階段を下りた。
幸いその間は余震もなく転げるようにして降りた記憶がある。
下のロビーは宿泊客が大勢、それぞれ無口のまま陣取っていた。 外は未だ夜明け前の静かさ・・みんな息を殺して状況を把握しようとしていた。
それから何度かの余震に不安な気持ちで肩を寄せ合った。 小人数より大人数、同じ状況に置かれたみんなは無事だったことに胸をなで下ろした。
じょじょに外は明るくなり、周囲の状況も見えてきた。
ポートアイランドは、見える限り崩壊したビルは見えなかった。 外はここの住人達が一杯右往左往して今までの街とは様子が変わっていた。
私たちも午後から外に出てみて驚いた。 道路は液化現象で至るところ地割れし海水が噴き出していた。
なにか、今までの端正に区画されていた街が一瞬にして映画の一シーンの様に様変わりしていた。
自然の力と人間の力との知恵比べの様に感じた。
そのうち帰宅や仕事を抱えた人の移動が始まるが、なにしろ三ノ宮に渡る橋が開通しないので余儀なく足止めをせざるを得なかった。
この自然の威力・・・目の当たりにして、到底人間の力なんて・・・と思ってしまった。
でも、私たち三人は皆さんの行為で無事に何日間か後に(京都在住の弟宅に一時避難)無事帰宅することが出来た。
大変な経験だったが、私たち三人は原爆にもめげずこの震災にもめげることなく生かされているのだな・・・と感謝した。
何時も思うことだが、人間は自然とゆう神の掌でもがいているだけに過ぎないのだと・・・
奢るなかれ・・・敬虔であれ・・そして、感謝を忘れるべからず・・・だと。
昨日から阪神大震災の報道が多い。
今から14年前80才前後の母と叔母を連れて神戸に遊びに行った事を思い出す。
丁度その日は神戸市内でショッピングを楽み、16日の四時頃ポートアイランドのホテルに宿泊した。
63才だった私と母達三人で楽しい夕食を済ませ12階の部屋に落ち着いた。
楽しい夢路を妨げられたのは17日午前5時過ぎだった。
トリプルでとった広い部屋で私だけが一寸離れた場所のベットだったが・・・
強い衝撃でベットから放り出された。 瞬間、二人の安否をと、這ってでも行こうとしたが・・、間仕切りになっていたチェストのとテレビや冷蔵庫が飛び交って立つことすら出来なかった、
何秒か(その時はとても長く感じた)の間でも何か叫びながら這って行ってみると二人はベットにしがみついてうずくまっていた。
まだ余震なのか12階だからか捕まっていないとたてない状況だった。
やがて揺れは収まり唖然とそれぞれの顔を見合わせ、地震の揺れだったことを確認した。
安堵する閑もなく服を着て階下に降りなければ・、としたとき<
ホテルの支配人がドアーから飛び込んできて「早くしたえ降りてください!!」と誘導されて階段を下りた。
幸いその間は余震もなく転げるようにして降りた記憶がある。
下のロビーは宿泊客が大勢、それぞれ無口のまま陣取っていた。 外は未だ夜明け前の静かさ・・みんな息を殺して状況を把握しようとしていた。
それから何度かの余震に不安な気持ちで肩を寄せ合った。 小人数より大人数、同じ状況に置かれたみんなは無事だったことに胸をなで下ろした。
じょじょに外は明るくなり、周囲の状況も見えてきた。
ポートアイランドは、見える限り崩壊したビルは見えなかった。 外はここの住人達が一杯右往左往して今までの街とは様子が変わっていた。
私たちも午後から外に出てみて驚いた。 道路は液化現象で至るところ地割れし海水が噴き出していた。
なにか、今までの端正に区画されていた街が一瞬にして映画の一シーンの様に様変わりしていた。
自然の力と人間の力との知恵比べの様に感じた。
そのうち帰宅や仕事を抱えた人の移動が始まるが、なにしろ三ノ宮に渡る橋が開通しないので余儀なく足止めをせざるを得なかった。
この自然の威力・・・目の当たりにして、到底人間の力なんて・・・と思ってしまった。
でも、私たち三人は皆さんの行為で無事に何日間か後に(京都在住の弟宅に一時避難)無事帰宅することが出来た。
大変な経験だったが、私たち三人は原爆にもめげずこの震災にもめげることなく生かされているのだな・・・と感謝した。
何時も思うことだが、人間は自然とゆう神の掌でもがいているだけに過ぎないのだと・・・
奢るなかれ・・・敬虔であれ・・そして、感謝を忘れるべからず・・・だと。