バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

弟も被爆者だった。

2009-01-20 12:26:15 | 原爆孤老のつぶやき・・
1月20日
今日から大寒ださすがに寒い。

明日から、冬の京都え行く。 
毎年のようにフラッとした遊山ではなく、弟のお見舞いだ。

彼も11才で被爆し、東京の音大卒業後、京都交響楽団のオケマンとして定年まで第二バィヨリンを勤めてきた。
その後、定年を目前にして首の付け根に癌が見つかり最後の演奏を終え、京大病院で手術をした。

その後、詳しいことは判らないが二の腕の筋肉なのか、神経なのか(私には判らないが・・)上下が難しく、現在では両手の肘から肩までが動かしにくく、食事や衣服の脱ぎ着に苦慮しているらしい。

彼も定年後の10年余り鮎釣りとお弟子さん達、退職後の同僚と演奏会を開いたり、スキーを楽しんでいたようだったが・・

去年の初め頃は上がらない腕を上からゴム紐でつり下げて(手首は動くので)演奏を楽しんでいたようだったが・・

いずれにしても、後の人生(子供はいない)夫婦がそれなりに元気で生きていく事に
切り替えた・・とメールがあったので、取りあえず姉と様子をみに行くことにした。

彼等夫婦も私も幸い充分生きてきた(姉は子供、孫がいるので)ので元気に終末を迎えるのみだと思っている。

ただ、姉は子、孫がいるのでそれなりの模様があるだろう。

生きていることに素直に感謝したい。

それにしても、半世紀以上過ぎても放射能の影響があるとは・・・
この地球上に核は存在しては行けないのだ。