バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

ロシア人墓地

2009-11-09 11:04:03 | トンボの旅日記
11月13日
目まぐるしくお天気が変わる。

旅から帰って一週間・・歳を取ると疲れは後から来るよ・・・なんてみんなに言われていたが・・・この二、三日パソコンに向かう事も出来ず、やたら日にちをやり過ごしていた。

四国旅の最後の日  11月3日
この日はホテルの朝食を和食にした。 ユックリ頂いたあとの珈琲を味わいながら今日の一日のスケジュールを考えた。

取りあえずもう一つの目的「ロシア人墓地」え行くことにしてタクシーに乗り、20分ほどでその墓地についた。。

 
その墓地は綺麗に掃き清められて初冬の暖かい日差しを浴びていた。
このお遍路の国ならではの思いを感じた。

墓石にはここで生涯を終えたロシア人捕虜の階級と姓名が刻まれていた。
一寸不思議に思ったのは、全墓石が一方に向いてたてられていることだ。
解説によるとここの人達が考えて「遙か故国であるロシア方向に・・」との配慮だったようだ。   ここで30分ほどウロウロしてタクシーを呼び道後市内に帰った。

3日は祭日で温泉本館のまえは若者、シニア、人人で一杯。  なんと平和なんだろうと・・・  それから土産物店の立ち並ぶ商店街を抜けて温泉駅前に出た。
 丁度正午になったのだろうぞろぞろとこのカラクリ時計の前に人が集まってきた。   
時報と同時に着物と袴を付けた若者が「坊ちゃん」の小説もどきに解説し始めた。   すると、今まで二段だったカラクリが上に延びて下からもう一段現れてきた。   
この時計を取り巻いていて観客達の盛んなシャッター音が鳴り響き、やがてしずしずとカラクリが元の時計台に戻っていった。
この、数分間のカラクリに私も興奮したが回りの人達も興奮ぎみだった。  といってもほとんど残ってがやがや言っているのはお年寄りばっかりだったが・・・
   そこを離れてすぐ後ろの駅では、坊ちゃん汽車の発車時間になっていた。
   
乗客達は切符を昔風の制服を着た駅員さんに渡しながら車内の堅いレトリックな椅子に腰掛けて発車を待っている。
やがて、機関車はメランコリックな汽笛を鳴らして、ホームに居並ぶ坊ちゃん、マドンナ、赤シャツの人達に見送られながら発車していった。

私は、なんとも新旧の入り交じったこの二泊三日の旅・・・複雑な気分を抱いて、松山観光港行きのリムジンバスに乗った。

港は快晴なヒカリに包まれて、美しかった。
高速艇に乗ってみたくて、運賃を奮発した。 フェリーと違って窓の直ぐしたが波頭だ。
心地良いエンジン音に揺られながら一時間で広島港に着いた。

上陸して、「あー船旅もいいものだなー・・」と、旅の余韻を楽しんだ。