
実は蕎麦嫌いだった時期がある。
あれは高校生くらいの時期だった。
今だから判るのだが、倒産した会社の取立て?に親父の知人に付き合わされて行ったのだ。
遠い親戚の爺様だったけど、その頃は羽振りが良くて、金貸しみたいなこともやっていたのだろう。
その爺様が金貸してたところが倒産して、お金は取れないから、品物で取り立てる。
与作の我が家にはトラックが有ったので、その爺様に「日当は払えないけど、品物で払うからトラックと人手貸してくれ。」と言われて出かけたのでした。
そこの会社の倉庫に着くなり、片っ端からトラックに荷物を積み込む。
その会社の人はすでに夜逃げしていたのだろうか?
誰に邪魔されることも無く、荷物をトラックに積み込んだように思う。
積み込んだ荷物は大きな肉の塊、ハンバーグ少し、大量の冷凍コロッケ・・・
そして大量の袋に入った生そば・・・
荷物から考えると、駅そばとか、立ち食いそばを卸してる会社だったのだろう。
私と親父とトラックを雇った爺様は、乗用車に入るだけ、ほんのちょっとだけを持ち帰り(その中に現金とか金銭価値の高いものが混じっていたかは定かではないけれど・・・)2トンのスーパーロングボディーのトラックに山積みされた、そばやハンバーグ・・・
「これが日当だ。」
唖然としたけど、積み込んだ荷物降ろすのも面倒で、そのまま持ち帰って来た・・・
そんな大量の食料、食いきれるわけも無く、帰り道に親戚関係に配り歩き、ご近所にも配り歩き、ちょっとした知人にも配り歩いたけど、無くならない大量のそばとコロッケ・・・
冷蔵庫に入りきるものじゃなく、冬の事だったので、雪に穴を掘って埋めた・・・
しかし、雪に埋めた物は、片っ端からタヌキが穿り返して食ってしまう。
多少の事は我慢できても、それでもタヌキに食われるのは我慢できない親父は冷蔵庫を新しく買った。
肉の塊とかはその冷蔵庫に入れてたと思う。
冷蔵庫に入ったのはほんの一部・・・
暖房が今ほど効かない家だったから、屋根裏部屋に積み上げられた大量のそばとコロッケの箱。
最初のうちは喜んで食べてました。
母も最初のうちは鶏肉入れて鶏そばにしたりしてました。
コロッケも毎日食べられる。
貧乏だったから、蕎麦もコロッケも毎日がご馳走だった。
たまに食べるハンバーグ(ハンバーグはちょっとしかなかった)も美味しかった。
しかし、毎日そばとコロッケです。
賞味期限などとっくに過ぎてもそばとコロッケ・・・
コロッケもちゃんと冷凍出来れば違っただろうけど、寒いとは言え、屋根裏に積んでた冷凍コロッケ・・・
だんだん揚げると中身がスカスカ・・・
だんだん衣だけコロッケに成って来た。
毎日そば煮る母も嫌に成ったのだろう、具の無いかけ蕎麦に成って来た。
朝と昼はご飯食べるけど、夜は毎晩蕎麦とコロッケ・・・
そんな黄金伝説の様な食生活が1~2ヶ月続いただろうか?
やっぱり夜はカレーとか、焼肉とか、たまにはご馳走が食べたい。
それでも減らない蕎麦とコロッケ食い続けてた。
ある日私は切れました・・・
もうやだ・・・
「そば、朝食う事に出来ない?」
親父「朝、そばじゃ力が出ないから仕事出来ないからダメだ。」
「俺、もう、そば食わない!」
「そば食うくらいなら、もう何も食わなくて良い!!!」
もう、一生そばは食うまいと思いました。
それから、母は、私の分だけはご飯出してくれるように成りました。
蕎麦を見向きもしなくなった私は残りの蕎麦がどうなったか?
記憶に残っていないのだが、思い出話をすると、父、母、祖母で食いきったらしい。
今は、ラーメンが好きだけど、蕎麦も大好きだよ。