
[あの木一本分の柿を買いたかった!]
糸桜里の湯に行く雪の道の車の中でばばちゃんはじじいにそう言いました。そしてじじいもしみじみ「うん」と応えました。
じじいとばばちゃんは奥会津只見の生まれです。
ばばちゃんは言うのです、子どもの頃雪の消え始めた柿の木の下で小さい豆柿を拾って食べた。おいしかった・・・
じじいも「うん」と応えて思うのです。
80年ほど昔、じじいが子どもだった頃、奥会津の柿は豆柿と呼ばれる小さな柿しかありませんでした。秋になると大きな柿の木に大きさ1.5cmほどの小さな柿がびっしりとなるのです。それは渋くて食べることは出来ませんでした。たぶん昔柿の渋(しぶ)を採るために栽培していたんだと思います。厚い和紙に柿渋を塗った渋紙は丈夫でいろんな用途がありましたから。
でも、じじいが子どもだったころはもう豆柿から渋を採る人はおりませんでした。
大きな豆柿の木には秋になるとびっしりとなっていた豆柿は冬になると雪の上に落ちるのです。そして雪が消える頃すっかり渋が抜けて雪の上のあちこちに表れるのです。
奥会津では木になっているもの、たとえば栗や柿などをとれば窃盗になります。でも木から落ちた物は子どもは自由に拾って食べて良いことになっていました。
消え始めた雪の上の渋の抜けた豆柿を見つけて食べるのは子どもたちにとっておいしいおやつでした。
子どもの頃のそんな思い出を持つじじいとばばちゃんです。冬空に輝いている美しい大きなみしらずの柿をみると、「ああもったいない、あの熟柿を腹いっぱい食べて見たい」と思ってしまうのです。
たとへ、あの柿の木の柿を一本分全部をもっらたとしても老体の二人です、柿を収穫するすべもありませんし、焼酎で渋を抜くことも出来ません。
でも、消え始めた雪の上の小さな豆柿を拾って食べたじじいとばばちゃんには、やがて椋鳥の餌になってしまう冬空の柿がすばらしい宝ものに見えるのです。
冬空に見える柿が美しく輝いて見えるのです。そしてやがて黒ずんで消えていく姿が悲しいのです。