さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

 月が出た出た銀山峠 煙(けむ)で汚れて化粧なおし

2014-01-21 | 日記


 銀山峠の上の丸い大きな月が精錬所の高い煙突の煙で汚れたけれども、化粧を直したきれいな月になって賑やかな盆踊りの輪を見ておられる。そんな意味なんでしょうか。

 これは柳津町軽井沢銀山の全盛時代に盆踊りの櫓(やぐら)の上で歌われた歌詞のひとつなんだそうです。

 軽井沢銀山はかつて柳津町軽井沢にあった銀山(現在は閉山)で、戦国時代後期から明治時代中期のかけて採掘された日本屈指の銀山で、最盛期には1000戸の家が軒をつらね郵便局や遊郭もあったといわれております。鉱脈が枯れ明治29年(1896)閉山、昭和に入って日本鉱業によって調査されましたが事業再開にはなりませんでした。





軽井沢銀山についてはネットのウィキペディア」によりました。写真は「軽井沢鉱山」及び「会津柳津軽井沢銀山の煉瓦造り煙突」からお借りしました


 私たちの町の諏訪町の南に大きな杉の古木があって、その下に小さな山の神さまの神社があります。越後街道の宿場町として栄えた坂下町に山の神の神社があるのは不思議ですけど、これは柳津町の軽井沢銀山とゆかりのある神社なんだそうです。



 軽井沢銀山が栄えていた頃、坂下町の商人は越後から仕入れた魚介類や塩、そして地元の米などを銀山に送って軽井沢銀山とは深い関係がありました。

 銀山には栄枯盛衰があって、銀の鉱脈が枯れ、それに凶作が重なり閉山同様になり銀山の人たちが離散する事態になった時がありました。そのおりゆかりの深い坂下の町人たちを頼って300戸の人たちが坂下に移住しました。その折銀山にあった山の神さまをここに移して祭ったといわれています。

 遠い遠い私たちの歴史のひとつがこの大杉の下の山の神さまにあったんですね。私は散歩のおりおり、かつて栄えた軽井沢銀山と私たちの町の歴史を思いながらしみじみお参りすることにしています。

  「山の神と軽井沢銀山」は井関敬嗣先生 会津坂下の伝説と史話によりました