さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

小さな小さな旅を楽しんで [Ⅱ]

2016-05-21 | 日記
 
中川聚落散策の続きです
[道の駅かねやま] の裏にこんな案内板がありました



 案内板にしたがって行って見ると80年ほど昔私が子どもだった頃の聚落で一般だった中門作り茅葺きの農家にそっくりの家が建っていて県の重要文化財に指定されているとありました。



  懐かしい中門作り茅葺き住居に私は嬉しくなって懐かしい昔の言葉が思い浮かんで来ました。

 「はいっとう、またきました」
 「よくきゃったなむ、あがってけやれ、まってだぞやー」
 
 私の子どもの頃、奥会津ではこんな挨拶を交わしながら家々を訪ね合い楽しんでいました。丁寧語なんですよ。「はいっとう」これは私が小学校1年から5年まで住んでいた小立岩の聚落で親しい家を訪れた時の挨拶の言葉です。そして私の古里の小川の聚落では「また来ました」と挨拶するんです。同じ奥会津でも聚落によって親しい家に入るときの挨拶は違うんですよね。 

 共通語に直してみます。
 「ごめんください。またおじゃましますよ」
 「よくいらっしゃいました。お上がり下さい。おまちしておりました」

 私は80年ほど昔の子どもの頃の心に帰って懐かしく嬉しくなっていました。

 「はいっとう」と挨拶して中門の入り口(写真左の入り口)から入りました。そしたら違うんですよ。この住居は私の子どもの頃の茅葺き中門作りの住居ではありませんでした。私の知っている中門造りの住居とはまるっきり違って貧しくって狭いんです。粗末な寝間と座敷のほかは全部土間なんです。驚いてしまいました。

 実はこの住居は古い農家を江戸時代の農家の造りに改築してこの場所に移築したと解説にありました。

 住居の左側の中門といわれる入り口から入ると雪隠(せっちん・トイレ)と馬小屋があります。馬小屋は人間が住む場所に隣接しています。馬も人間が同じ屋根のしたに住んでいたんですね。当時の農民にとって馬は家族でしたから。



 
「馬小屋小屋」から母屋に入ると「にわ」になります


 
 
「にわ」には「した炉」と





 
作業場があります



 これは玄米を白米にする精白用の道具です。右側の臼に玄米を入れて左側を足で踏んで右側の石を載せた杵を上下して玄米を精白するんですね。
   
 「にわ土間」の作業ばにはいろんな道具がありました。筵を織る道具、穀類を選別する唐箕(とうみ)や万穀(まんごく)が見えます。ここにはありませんけど江戸時代に収穫した穀類を処理したり選別したりする道具に千歯扱き(せんばこき)や土するす(どするす)などがよく知られています。



 
「にわ」に続いて「ちゃのま」があります





木のいすは見学者用に設置されているものです

 
 茶の間といっても土間に作った囲炉裏の周りに筵を敷いたものです。ここで一家団欒をし、来客をもてなして楽しんだんでしょうね。もちろん子供たちが暖をとって楽しむコタツなどあろうはずもありません。2mを越す積雪の厳しい冬に土間の囲炉裏の火を囲んで一家の皆さん寒さに耐えていたんでしょうね。

 家の中で土間でないのは「へや」と「座敷」だけなんですね。古老の私が子供だった頃の古老に聞いた話では、昔はへやは一家みんなの寝部屋で板敷きの上に藁を敷きその上に筵が敷いてあって麻布の袋な中に藁のやわらかい葉の部分をつめた布団で寝たと言っていました。でもそれはとても暖かいものであったと古老の古老の古老の昔語りです。 



 江戸時代と言えば農民が苦労して収穫した米の40%から50%はたとえ凶作であろうと飢饉であろうと年貢として収奪され、厳しい飢饉の折には生産者の農民の一部に餓死者が出てもたとえ足軽と言われるような下級武士の間でも餓死者は出なかったと聞いています。

 私は百姓と言われる貧しい農民の流れです。だからこの貧しい家に住んで土にまみれ水田の泥に這いつくばって耕作をし厳しい年貢の収奪に耐えて力を合わせて村を守ってきた百姓の先祖を偉いなあと思い尊敬してしまうんです。

ちょっと余計なことですけども

 このへやと座敷の写真で右上に上から縄でつり下げられているものにお気づきの方いっらしゃるでしょうか。これって勃起している男性ですよね。実は奥会津の古い農家の東側の屋根裏にはみんな飾りつけれてあるんです。それでは西側の屋根裏では?・・そうです女性が飾られているんです。それは古い時代には二つのものが飾られているところには疫病神や不幸をもたらす厄災神が近寄れないという民間信仰があったらしいと聞いております。それは盃を持った女性神像に寄り添った徳利を持っている男性神像の双体道祖神像や 、もちの正月に村外れで燃やす歳の神は必ず男性を表す大型のものと女性を表す小型のものがつくられそれを燃やす火であぶった餅を食べると一年間は無病息災に通じるといわれていることにも通じるなどと聞いたこともあります。


若かった頃三島町で撮ったモノクロ写真です


いや~最後にくだらないアホ話を書いてしまいました。ご免なさいね。

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2 コメント

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Unknown (野営人)
2016-05-23 11:57:31
道の駅かねやまの旧五十島家住宅は、私も昨年7月に沼沢湖でのキャンプの帰りに立ち寄りました。
当時の農家生活が想像でき大変興味深く拝見しました。
朝も夜もなく身を粉にしながら働きづくめの当時の農家の計り知れない苦労が垣間見た瞬間でした。
アウトドアを趣味に持つ私は今だからこそ土間のある家に憧れますが、その時代を生き抜いて来た先人たちのおかげで自分があるのだと尊敬と感謝の気持ちが湧いてきます。
馬も牛もですね・・・

ぼちぼち沼沢湖キャンプ場に出没する予定です。
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野営人さん (さんたろう)
2016-05-23 14:36:45
 江戸時代の貧しい農民の住居などまともに興味を持って下さる方などあろうはずもないと思いながら書かずにいられなかった私です。

だから、野営人さんにまともにしっかりと読んで頂いたことに感激し嬉しく思いまそた。本当にありがとうございました。

沼沢湖のキャンプお楽しみですね。
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