さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

豊穣の秋豊かに輝いて

2017-09-22 | 日記


稲刈る熟年のお二人の姿静かです 






ご主人がコンバインで刈り取られた籾を奥様が軽トラで受けて大型の籾の貯蔵施設カントリーエレベーターに往復して運搬するのです。熟年のご夫婦お二人さんの深い絆に支えられて稲刈りの作業は静かにそして早いスピードで進められるているのです。

刈り取りが一段落してひと休みなさっていらしゃるお方たちにお会いしました



最新式の大型コンバインをバックに二組のご夫婦が休んでいらっしゃいました。
「始まったなし」と会津弁の丁寧語で私は声をかけました。右側のご夫婦の奥様が「はい・・さんたろうさん掛けて一緒に休まんしょ」と言って下さいました。

右側のご夫婦は大型のトラクターや最新式の大型田植え機や大型のコンバインなどを使って稲作を中心に農業の大規模経営をなさっていらっしゃる方なんです。稲作だけでなく広い休耕田で蕎麦も栽培なさっていらしゃいます。私はこのお二人さんの田植えや稲刈りの様子を何度か撮らせて頂いているんです。

「これは産地から直送して貰った美味しいサツマイモなんです。食べて下さい」と奥様から手渡されたいもに奥様はさっとごま塩を振ってくださいました。美味しかったですよ。

お二人さんは左のご夫婦にこの田圃の稲刈り作業を頼まれて大型コンバインと軽トラで稲刈りをなさったんだと思います。

今のように大型の農耕機械などなかった時代の農業はすべての農作業を馬や牛などの家畜を使いながら人手でやっていました。ですから広い圃場での稲作をやっていらっしゃる農家では田植えや稲刈りの時は家族だけの労働では作業が間に合わず大勢の町の女の方と契約して作業を手伝ってもらっていたように思います。田植えや稲刈りは厳しい労働ですけけど一面華やかなお祭りでもあるんですよね。ですから厳しい作業の休憩の時には精一杯のご馳走を並べて作業をしてくださっ方に楽しんでもらっていたんです。

この写真で並んでいる休憩時のご馳走は稲刈り作業をなっさった奥様がお持ちになられたようです。私は大規模の農業経営なさっている方には田植えや稲刈りは大勢の人で楽しむお祭りでもあるので休憩のときはたくさんのご馳走を振舞う風習を大事に引き継いでいらっしゃると思いました。これはとても大事なこと尊いことなんだ、大規模稲作経営をなさる方はさすがだなと感激してしまいました。大規模経営の稲作をなさっていらしゃる方にとっては時代は変わっても田植えや稲刈りは単なる厳しい作業だけの場ではなくて心豊かなお祭りの時でもあるんですよね。おやつをご馳走になりながら感動してしてしまいました。ご馳走になりながら楽しいときをご一緒させていただきました。楽しかったんです。

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4 コメント

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稲刈り (おつーさん)
2017-09-23 15:47:05
最新式の大型コンバイン。驚きました。

子供の頃、家族やご近所の方で稲刈りやりました。
楽になりましたね。
写真で拝見してビックリ。
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おつーさん様 (さんたろう)
2017-09-24 18:38:36
コメントありがとうございます。
子どもの頃稲刈りをなさったんですか。懐かしい思い出なんでしょうね。でもつらいお仕事だったと思います。

今の農村は田植えも稲刈りもすっかり様代わりして稲刈りも田植えも熟年のご夫婦お二人だけで大型田植え機やコンバインそれに軽トラを使って作業を進めるようになっています。

写真の田植機で田植えをしているのがご主人で向こうの軽トラのところで赤い服装していらっしゃるのが苗を軽トラで苗を運んでいらっしゃる奥様なんです。

http://art29.photozou.jp/bin/photo/251140353/org.bin?size=1024
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稲刈り (M・H)
2017-09-24 19:06:02
昼間稲刈りをし、夜中にその稲を「ハデ」(稲を乾燥させるために作られたもの)に架けました。下から少年の私が稲束をハデの上に片足をかけて身体を支えている母に投げ上げました。ハデの上で受け止める人は身体の自由が効きません。ハデの上の人の受け取りやすい所に1葉一葉投げ上げなければなりません。
月が光々と冴え渡る深夜に、稲束を投げ上げていたことを時々思い出します。
そんな経験は、おそらく私だけでしょうね。
さんたろうさんのお陰で子どもの頃の記憶が蘇ってきました。有り難うございました。
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M・Hさん (さんたろう)
2017-09-25 14:39:57
稲はでに掛ける稲束を投げ上げる子供も、はでに掛けた梯子に乗って稲束を受けてはでに掛ける人も上手でしたね。なんか楽しい作業でした。

乾燥した稲束をおろしてむしろを敷いて足踏みの脱穀機で脱穀し唐箕で綺麗にした籾を一斗升で量ってカマスに詰めました。一家総出でホコリだらけになってそれぞれの持ち場の仕事を一生懸命やりました。子供は子供の仕事がしっかりとありましたね。

私がたぶん三歳の頃じゃなかったかな?、それまで土磨臼(どするす、土で作った手回しの磨り臼)で籾摺りをしていたのが、単気筒水冷のエンジンで籾摺り機をまわして籾摺りを磨るようになり、そのエンジンの大きなスットンスットンという音が怖くて泣いた記憶がかすかにあります。おそらく雷の音のように聞こえたんでしょうね。二階の屋根裏には千刃扱きとか土摺臼(どするす)など面白い道具がいぱいありました。うそみたいな昔です。
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