JR只見川第一橋梁にレンズを向けてルンルンして撮りました
これは柳津発電所ダムの只見川湖です。広々とした水の青が美しく、右下には川井新道の旧道が見えています。明治初年に駒啼かせ街道の険しい峠道を避けて馬車も通れるようにと只見川の山沿いに作られた険しいへつり道でした。
今はすっかり崩れ果て通行不能の廃道になっていますけど昭和46年(1971)新しく駒啼かせトンネルが開通されるまではバスもトラックも通る国道252号線沼田街道でした。
私は古里の奥会津只見に車で帰省するときはいつもこの道を通っていましたし、若かった私はホンダカブというミニバイクに乗って通ったいろんな思い出のあるへつり道でもあるんです。懐かしいです。今はもうへつり道が崩れて危険な場所もあると聞いていますけどいつか訪ねて歩いて見たいと思っています。
ご一緒のお若い撮り鉄さんです。私は三島町で作って下さった安全なビュウポイントの場所に三脚をセットしてベンチに腰掛けて列車を待ちました。若い撮り鉄さんは怖いような雪の急斜面に立って列車を待っていました。どんな写真をお撮りになったんでしょうね。見て見たいです。
いつも素通りしてばかりで気がつきませんでした。
そう言えば、旧沼田街道を歩いて来られた方のサイトがありました。
↓
http://yamaiga.com/road/r252_koma/main.html
四回に分けてレポートされております。
(既におわかりでしたらお許しください。)
今ではかなり危険な道のようですね。
行かれる場合は十分にご用心してください。
河井新道が生きていた時代でも険しいへつり道でしたけどこんなに崩落して危険な廃道になっていることなどまったく知りませんでした。90歳近い私には無理な道だということがよく分かりました。
でもやっぱり私には懐かしい道です。思い出いっぱいの道です。昨年JR只見線の桧の原駅を訪れて探訪したとき、檜原集落のおばあさんに「駒啼かせトンネルが出来て川井新道が廃道になってからこの集落には誰も来なくなってすっかり寂れてしまった」と聞きました。
檜原集落は川井新道がなかった江戸時代にも駒啼かせ峠を通る沼田街道の大事な宿駅でしたし、川井新道を通る街道もこの集落を通っいたんです。かつては江戸時代の跡もある賑々しい集落だったんです。
そんなこんなで新の頃にでもこのレポートとは逆の方向、檜原集落から安全に通れるところまで訪れて昔を懐かしむつもりです。
この旧川井新道探索レポートはとても役に立ちました。有り難うございました。
この場所だと思うんですがが映し出されてましたね
海外からの観光客を誘致と言うことでの話題でした
奥会津の只見川を列車での観光を台湾の方々へ
地元の方がPRしておりました
場所取りも大変ですね
どうぞ
お足下にお気をつけてパチリを!!!
この場所は三島町が只見川第一橋梁のビューポイントとして急な斜面にいろんな高さごとに4箇所ほど安全な写真撮影の場所を造り柵を回しベンチをしつらえてあるんです。それぞれのポイントへの道が急な斜面に作られ安全なようにと階段とチェーンがしっかりとつけれているんです。そんなこと地元近くの一般の人たちはほとんど知りません。でも東京・千葉・長野・・茨城などの撮り鉄さんたちには有名な場所のようなんです。SLの通る日などは皆さん3時間でも4時間でも三脚を立てて場所を確保しているみたいなんです。私の町の近くの喜多方市とか三島町とかほんと観光誘致に熱心なんです。私の町などはホンとのんびりなんです。でもそれはそれでいいようにも私には思えてもいるんですよ。