東天紅の花って私がそうう呼んでいるタチアオイの花のことなんですよ。
80数年前、5-6歳の子供だった頃真夏の花タチアオイが咲くと幼かった私達は「トッテコイノー」の花が咲いたと喜んだんですよ。
当時の集落でちょっとした家では鶏を飼っていました。鶏卵は現金収入にもなりましたし、病気をしたときなどの栄養食にもなりました。でも今のように誰でもいつでも食べられるポピュラーな食べものではなくて、すごく高価で貴重な食べものでした。鶏卵は私など子供のときに見たことはありますけど食べたことは一度もありませんでした。一度でいいから食べてみたいなといつも思っていました。
当時の鶏の飼い方は、今のように雌鳥だけが一列にならんだゲージに入れられて身動きがとれない状態にされひたすら餌を食べて卵を産むだけの工業生産するみたいな飼い方ではないんです。
昼間は10数羽を家の裏庭などで放し飼いにし、夜は鶏屋(とや)に入って休むんです。放し飼いされてる鶏は「とーとー」と呼べば餌をもらえると思って寄ってきました。
卵は鶏屋(とや)の木の箱の中に藁を敷いて巣をつくておくとそこに産みました。飼い猫などは自分の家の放し飼いの鶏など決して襲いません。同じ家族と思っていたんでしょうね。
その頃の鶏は緊急な時は飛びました。放し飼いされていた鶏がイタチにでも襲われたんでしょうか、屋根の上に飛んで避難しているのを見たことがあります。
鶏の群れの中には一羽の雄鶏が飼われてていました。有精卵を雌鳥が抱いて孵化させ雛を作る必要がありましたから。
雄鳥(おんどり)は雌鳥とちがって大きくて輝くような綺麗な羽をもっていて脚には鋭い蹴爪(けずめ)を持ち、頭には赤い大きなとさかを持っていました。
雄鳥は朝しらむとすぐに「東天紅(とうてんこう)」と 鬨(とき)をあげ夜が明けたのをみんなに告げました。雄鳥は昼間もときおり自分の威厳を示すためでしょうね赤いとさかの頭を振り上げて鬨(とき)をあげたりもしました。
幼い子供の私たちはその雄々しく猛々しい姿に感動しあこがれていました。そしてその「東天紅」の鳴き声は私たちには「トッテコイノー」と聞こえていたんです。
夏になってタチアオイの花が咲くと子供たちは嬉しくなるのです。当時のタチアオイはいまのタチアオイのようにカラフルではなくてどうゆうわけか赤色一色でした。子供たちはその赤い花の花弁を1枚抜きとって付け根の所を薄くさいて鼻の頭にはるのです。そして集落の中を大声でトッテコイノー(東天紅)と叫んで廻るのです。子供たちはすっかり雄々しく美しい雄鳥になりきっているんです。
当時の5-6歳頃の子供っは、ちょっとした仕草でほかの鳥などになりきって楽しむことができるんですね。両手を広げピーひょろろと鳴きながら空き地を輪を描いて廻れば鳶になれますし、夕方ミョウガの葉を口にくわえて吸いながらきょきょきょきょと鳴らせばよたかになれるんです。たれが一番上手か競いあって楽しんだものです。
といううようなことで子供の私たちはタチアオイの花をトッテコイノー (東天紅)の花とと呼んでいたんですよ。懐かしい思い出です。
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