
いま、早春の野辺に小さな白い花が一面に咲いています。
植物図鑑で見たら「ノミノフスマ」とありました。はこべの仲間で花弁(はなびら)は5枚なのに1枚ごとに2つに割れているので10枚に見えるんだそうです。
「ノミノフスマ」、おかしな名前がついていますが、小さな葉を蚤の夜具に見立ててつけた名前なんだだそうです。
「蚤の衾(ふすま)」ね!
私は小さな頃、蚤のいるふすま(夜具)に寝ていました。
今の若い人たちには「蚤」といってもなんのことやらわからないでしょうね。
太平洋戦争以前の貧しかった時代、お金持ちの家は違いますけど庶民の家ではどこの家でも夜になると畳の隙間から2~3mmの茶褐色で、プラスチックで出来ているように光った固いからだの虫が出てきて布団の中に入り蚊と同じように人の血を吸って生きていたのです。
「気持ち悪るぅ~」と皆さん思うでしょうね。
でも、私たち兄弟なんかは「かわいい~}とさえ思っていたんですよ。
つかまえようとすると3mmほどの小さな蚤はピヨンとはねて50センチは跳んで逃げてしまうんです。よく見るとしっかりした強い足をもっているんです。
羽根はないけれども6本足の可愛い昆虫です。
子供の私たちは朝起きるとそっと布団を抜け出し、静かに布団を少しっずつはいでこの蚤を取るのが楽しみでした。2~3匹は必ず取れたのです。
だから大人たちは年に2回「清潔法」といって隣近所一斉に家の中の大掃除をするのです。畳はみなはいで外に出し、2枚ずつ山形に組んで日光に当てしまう前に棒で叩いて埃をだし、床には新聞紙を何枚も敷いて「蚤取り粉」という緑の粉をいっぱい播いて畳を敷きました。
でも、蚤は多分床下からあがってくるんでしょうね、蚤がいなくなることはありませんでした。
それが、戦後アメリカさんからDDTという強力な殺虫剤が導入されあっと言うまに蚤は絶滅してしまいました。
今の人たちは布団の中に蚤が3匹もいたんでは眠れませんよね。
でも、蚤は蚊と違って刺されても腫れたりかゆかったりしなかったんです。刺されたあとは少しもありませんでした。
なん百年も蚤と人間が同じ夜具の中で暮らしているうちに、人間には蚤への耐性ができ、蚤の方でも人間にわからないように血を頂くすべを身につけていたのかもしれません。上手に共生していたんですね。
小さな白い花から、皆さんの知らない貧しかった時代のおかしな話しをしてしまいました。ご免なさい。
父が畳の隙間にDDTの白い粉を吹きつけていました。
ノミ・・・覚えています。
虱はもちろん蚤も遠い昔のことになりました。じじいの懐かしい思いでです。70年も昔のことです。