映画「桜田門外の変」を見てきた。
12月6日の記事の情報の通り、たしかに水戸浪士たちが次々に切腹、自刃。切腹する時も顔だけ映すような中途半端なことはせず、正面から全身を映していた。斬られれば遠慮なく血が飛沫き、喉を突けばビシャビシャととめどなく溢れ出て来る。この映画の見どころは流血の場面なんだ!という監督の意思がドンと伝わってくるようなシーンの連続だった。
大沢たかお演じる関鉄之介ら水戸藩士たちは、大老井伊直弼による尊王攘夷派への弾圧「安政の大獄」に憤り、大老襲撃を計画。脱藩に成功した数十名が、大老襲撃班とその後の薩摩藩挙兵の準備をする班に分かれ計画を実行に移す。
映画の前半、ペリー来航からこれまでの経緯を挟みつつ襲撃直前から当日の模様が描かれる。
そして大老襲撃。雪が降りしきる中、ゆるゆるとこちらへ進んでくる登城の行列。その眼前に計画通り浪士の1人が訴状を掲げて走り出る。「さがれ!」と怒鳴る供侍をいきなり斬り捨て、他の浪士が駕籠めがけて短筒を放つ(その弾は大老の腰を貫き、大老は駕籠の中から動けなくなる)。その音を合図に浪士たちがいっせいに駕籠と行列に襲いかかる。
供侍たちは雪避けのための柄袋を被った刀をすぐに抜くことができず、数で劣る水戸浪士たち斬られ、あるいは藩邸へ遁走してゆく。シーンとしては10分ぐらいだろうか?真っ白な雪の上至るところに血だまりを作りつつ壮絶な斬り合いが続き…、襲撃班の中でただ一人の薩摩藩士有村次左衛門が大老を駕籠から引きずり出し、その首を一刀のもとに斬り落とす。
その後浪士たちは、闘死した1人をその場に残し散り々に逃げていく。しかし重傷の4人は途中で切腹、あるいは刺し違える。中でも首を挙げた有村次左衛門(二代目 坂東巳之助)の最期は、路傍の石に腰かけた姿勢で大刀を左脇腹に突き立て、さらに脇差を抜いて喉を貫くという壮絶なシーンだった。
大老襲撃は成功したが薩摩藩は挙兵せず、その準備のため上方にいた浪士たちも各地で捕えられたり自刃したりした。計画の首謀格の浪士親子は、街中で捕り方に囲まれた際茶店の店先で腹を切りかける。しかし「店先が汚れる」という店主の言葉に刀を腹に突き立てたまま近くの武家屋敷まで移動し、座敷を借りて親子共々自刃して果てる。子役の自刃シーンが見れなかったのは残念だった。
襲撃を指揮した主人公関鉄之介は全国を股にかけた逃亡生活を送るが、ついに「変」から2年後水戸藩の取り手に捕縛され斬首される。
この映画、浪士たちを英雄視することも逆に非難することもなく、色々深く考えさせる内容だった。「自分たちは井伊大老1人を殺すために何人の命を巻きこんだのか(正確ではないけど、だいたいこんな感じ)」という主人公のセリフが印象的だった。
大老が暗殺されることによって時代の流れは加速したと思う。「変」に関係した犠牲者たちは時代を早送りするための生贄に捧げられたような感じに思えた。
※ちなみにこの映画には、いわゆるリョナが好きな人も楽しめるシーンもある。主人公の妾が拷問にかけられるシーンなのだが、両手を縛られて吊るし上げられ、腹と背中を木刀で打ちのめされたり、“石抱き”をさせられてたり。口の周りを吐いた血で汚しているようなシーンはTV時代劇ではなかなか見られないと思う。
12月6日の記事の情報の通り、たしかに水戸浪士たちが次々に切腹、自刃。切腹する時も顔だけ映すような中途半端なことはせず、正面から全身を映していた。斬られれば遠慮なく血が飛沫き、喉を突けばビシャビシャととめどなく溢れ出て来る。この映画の見どころは流血の場面なんだ!という監督の意思がドンと伝わってくるようなシーンの連続だった。
大沢たかお演じる関鉄之介ら水戸藩士たちは、大老井伊直弼による尊王攘夷派への弾圧「安政の大獄」に憤り、大老襲撃を計画。脱藩に成功した数十名が、大老襲撃班とその後の薩摩藩挙兵の準備をする班に分かれ計画を実行に移す。
映画の前半、ペリー来航からこれまでの経緯を挟みつつ襲撃直前から当日の模様が描かれる。
そして大老襲撃。雪が降りしきる中、ゆるゆるとこちらへ進んでくる登城の行列。その眼前に計画通り浪士の1人が訴状を掲げて走り出る。「さがれ!」と怒鳴る供侍をいきなり斬り捨て、他の浪士が駕籠めがけて短筒を放つ(その弾は大老の腰を貫き、大老は駕籠の中から動けなくなる)。その音を合図に浪士たちがいっせいに駕籠と行列に襲いかかる。
供侍たちは雪避けのための柄袋を被った刀をすぐに抜くことができず、数で劣る水戸浪士たち斬られ、あるいは藩邸へ遁走してゆく。シーンとしては10分ぐらいだろうか?真っ白な雪の上至るところに血だまりを作りつつ壮絶な斬り合いが続き…、襲撃班の中でただ一人の薩摩藩士有村次左衛門が大老を駕籠から引きずり出し、その首を一刀のもとに斬り落とす。
その後浪士たちは、闘死した1人をその場に残し散り々に逃げていく。しかし重傷の4人は途中で切腹、あるいは刺し違える。中でも首を挙げた有村次左衛門(二代目 坂東巳之助)の最期は、路傍の石に腰かけた姿勢で大刀を左脇腹に突き立て、さらに脇差を抜いて喉を貫くという壮絶なシーンだった。
大老襲撃は成功したが薩摩藩は挙兵せず、その準備のため上方にいた浪士たちも各地で捕えられたり自刃したりした。計画の首謀格の浪士親子は、街中で捕り方に囲まれた際茶店の店先で腹を切りかける。しかし「店先が汚れる」という店主の言葉に刀を腹に突き立てたまま近くの武家屋敷まで移動し、座敷を借りて親子共々自刃して果てる。子役の自刃シーンが見れなかったのは残念だった。
襲撃を指揮した主人公関鉄之介は全国を股にかけた逃亡生活を送るが、ついに「変」から2年後水戸藩の取り手に捕縛され斬首される。
この映画、浪士たちを英雄視することも逆に非難することもなく、色々深く考えさせる内容だった。「自分たちは井伊大老1人を殺すために何人の命を巻きこんだのか(正確ではないけど、だいたいこんな感じ)」という主人公のセリフが印象的だった。
大老が暗殺されることによって時代の流れは加速したと思う。「変」に関係した犠牲者たちは時代を早送りするための生贄に捧げられたような感じに思えた。
※ちなみにこの映画には、いわゆるリョナが好きな人も楽しめるシーンもある。主人公の妾が拷問にかけられるシーンなのだが、両手を縛られて吊るし上げられ、腹と背中を木刀で打ちのめされたり、“石抱き”をさせられてたり。口の周りを吐いた血で汚しているようなシーンはTV時代劇ではなかなか見られないと思う。
桜田門外ノ変―時代を動かした幕末の脱藩士 | |
黒沢 賢一 | |
宮帯出版社 |
図説 拷問全書 (ちくま文庫) | |
秋山 裕美 | |
筑摩書房 |