続・切腹ごっこ

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洋装の切腹 弐

2010-06-23 | ★白虎隊
前回の続き。

 2つめの疑問は、軍服とはいえ洋装での切腹を恥ずかしく思ったりはしなかったのか?ということ。
 一般的な現代人がイメージする切腹シーンというのは、まず忠臣蔵の浅野内匠頭のような白装束姿での切腹だろう。ある一定よりも年齢が上の人なら軍服姿の切腹もイメージに入っているかもしれない。
 幕末に育った白虎隊士たちのイメージも専ら和装での切腹だったはずだ。白虎隊の少年たちが洋装の軍服を見かけるようになったのはいつからだろうか。鳥羽伏見の戦い以降にフランス式の軍制が採用されたと言われているので、その頃からか。
 白虎隊士たちが選んだのは切腹か自刃かに拘わらず、刀を使った自殺には違いない。もし手持ちの銃弾が残っていたとしても上級武士の子息が鉄砲で自殺するとは思えない。刀は武士の魂という意識もあったと思うので、刀を使って自殺するという選択以外には考えられない。(まぁ、普通に考えて鋭利な刃物を持っていればそれを使わないテはない、とも言えるんだけど)
 刀に拘りはあるとして、問題の「服装」についてはどうなんだろう?洋装の軍服姿でしばらく調練したりしていたとしたら、頭の柔軟な少年たちのこと、戦装束としての違和感はすでになかったかもしれない。また母親や親族が作ってくれた服であれば洋装だろうが何だろうが気にしなかったかもしれない。もしかしたら逆に…、最新の服装であり、おそらく同じ「白虎隊士」でも身分の低い武家の子息は着ることができなかったであろう洋装の軍服を着ているというエリート意識のようなものを持っていたかもしれない。洋装での切腹を誇ることはあっても恥ずかしいと思うことなどは無かった、かもしれない。
 
 全く推測の域を脱しないのが自分でもイヤになってきた。白虎隊の資料を見直したら、白虎隊士たちの洋装への意識を知るヒントが見つかるかも。

 洋服での切腹史という言い方があるとすれば、この時期から始まったのだろう。ある程度肯定的に見られていた切腹の歴史というのは太平洋戦争終戦ととも終わるが、擬似的な切腹としての「洋装の切腹」は現代人である自分の中にもまだ生きている。

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2 コメント

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切腹の衣装 (Y)
2010-07-09 20:17:45
白虎隊士も武士なので、常日頃から何かあれば切腹しなければならない、という意識は持っていたものと思いますが、いざ自身が腹を切る際の服装にまで意識があったのかは分かりませんね。「俺は、和装だ」「オレは、戦っているこの姿で潔く腹を切る」とか。いざ、腹を切る時、軍服の前ボタンを開けたら中は白いワイシャツだったとか。史実はどうだったのでしょうね。剣術の優れた同胞の介錯で切腹。介錯人もすぐ後を追い切腹。それが何度も床を共にした仲だったとしたら。妄想は尽きませんね。
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切腹友達 (ゴッコ)
2010-07-09 22:43:58
Yさん、コメントありがとうございます~

毎日、藩校から帰ってきたらまず自室で切腹の作法の復習をするっていうのは白虎隊の話だったかな。どの時代のどこの藩の話か忘れたけど、そんなこともやってたらしいですね。文字通り常日頃から切腹を意識せざるをえないですよね。
白い洋服のシャツを死装束の白と同一視したりしてたのかな~ 洋装での切腹をしなければならないとしたら、服装は白いものを選ぶんでしょうかね、当時の武士たちは。

「あいつになら介錯をまかせてもいいな」「俺も腹を切る時はあいつに介錯してもらおっと!」みたいな会話を半分冗談半分真剣にしてたかもしれないですよね。逆に「あいつには頼みたくない」ってのもあったかも。
介錯後、仲間の血がべっとり付いた大刀で切腹、血が混じりあうのが嬉しかったり…。
「あいつとあいつはできてるから、絶対刺し違えるか、片方が深手を負って苦しくなったらもう片方が介錯してその後すぐに後を追って腹を切るだろうな」みたいな会話もささやかれてたりするかも。あの二人の中には割って入れないっていう関係、恋人同士じゃなくて友達同士でもありましたよね。
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