続・切腹ごっこ

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妊婦腹裂き

2010-09-02 | ★女の切腹+グロ
 宋の第七代後廃帝武烈天皇武田信虎(武田信玄の父)、この三人に共通することと言えば?

 答え・「妊婦の腹を裂いた(裂こうとした)」という逸話があること。


 今、「読むだけですっきりわかる世界史」の古代編・中世編を読んでいる。その中で南朝宋(西暦420年~479年)の“第七代の後廃帝(劉(りゅういく))が妊婦の腹を裂こうとした”とある。続けて「日本書紀」に記述されている武烈天皇像とそっくり、とも。

 後廃帝は9歳で皇帝に即位し、即位後も街に刃物を持って出歩き手あたり次第に人を殺したり、ニンニクばかり食べている将軍の腹がニンニク臭いのか調べるため将軍の腹を裂いたりしたとか。妊婦の腹も裂こうとしたが、妊婦は腹を裂かれる前に針治療により子供を出産したため未遂に終わった。彼は、後に次の王朝「斉」の初代皇帝になる蕭道成の手にかかり15歳で殺されている。“廃帝”というのは廃嫡された皇帝の呼称らしい。
 もっとも彼が暴君として描かれたのは、禅譲(実質的には簒奪)を正当化するためだとも考えられている。中国では古代から、歴史書というのは現在の王朝が前の王朝のことを書くことによって客観性を保つというのが常識だったそうだ。なので、前王朝の最後の方の皇帝をこき下ろす必要があった。

 「日本書紀」に記述された武烈天皇も、似たような残虐行為を行っている。後廃帝が未遂に終わった妊婦の腹裂きを行い、胎児を見たという。武烈天皇には子が無かったため、次代の継体天皇は遠い親戚から選ばれた。武烈天皇~継体天皇の前後で、実質別の王朝に変わったのではという説もある。そういう点でも後廃帝と武烈天皇の立場は似ている。
 「読むだけで~」の著者は後廃帝の逸話が日本に伝わり、日本書紀編纂の時に使われたのではないか?と言っている。

 3年前の大河ドラマ「風林火山」で仲代達也演じる武田信虎が、寛地谷 しほり演じるミツの腹を裂いたというエピソードがあった。信虎の逸話としてはこの話は有名なようだが、やはり前例(後廃帝や武烈天皇)をもとにして、後に作られたイメージかもしれない。

 ともかく「妊婦の腹を裂く(そして胎児を見る)」というのは、いつの時代も残虐な行為の筆頭に挙げられることなのだろう。
 ちょっと違う見方をしてみれば、この行為は誰でも“思いつく”ことなんじゃないだろうか。あのパンパンに張った腹に刃を走らせたら熟れた実が弾けるように中身が飛び出るんじゃないか、と。普通の人は「いやいや、オレはなんて酷いことを想像しちまったんだ。こんなこと考えたら超ド級ドSじゃないか。さっさと忘れよう。」と想像をすぐに封印するかもしれないけど。

読むだけですっきりわかる世界史 古代編 ピラミッドから「三国志」まで (宝島SUGOI文庫)
後藤 武士
宝島社
古代天皇系図―初代神武天皇~第50代桓武天皇
荊木 美行
燃焼社


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