4人会のKRHが、教えてくれた映画がある。
生まれ来る前の記憶を持つ子どもたちがいて、その彼らを追ったドキュメンタリー映画。
映画では、記憶を持つ子供と出会ったドクターが誠実にその経験を語っていた。
生まれる前は、大仏みたいな神様がいて、一緒にお母さんを選ぶ、らしい。
地球を見下ろすテレビのようなものを見ていて、母親を選ぶ。
なんだかおもしろい。
大事なポイントは、この「自分で選ぶ」こと。
父と母を自分で選び、その二人を幸せにするために生まれてくる。
ボクは、この考え方が好きだ。
同じ話をする多くの子どもたちがいるという。
しかしながら、科学的な根拠はどこにもないわけで、それが本当かどうかは確かめようもないこと。
映画ガイア・シンフォニーの、何番かで紹介されたアーヴィン・ラズロ。
天才ピアニストであり、同時に哲学者、世界賢人会議「ブタペストクラブ」の会長でもある彼が提唱する理論がある。
「この世界とは何か?どうやって生まれたのか?我々はなんなのか?」と40年以上にわたって研究し続けてきたひとつの答えが「量子真空」理論。
難しすぎて、ここでは説明しきれないので、興味のある人は自分で調べてみてください。
宇宙を湖に例えると、そこに石を投げると波紋が起きる。
もう一つ別のところから石を投げると、新しい波紋が、最初の波紋とぶつかる。
すると、また新しい波紋が生まれる。
この新しい波紋は、1番目と2番目とは違う波紋だけれども、それぞれの波紋の記憶を継承している。
つまり、この宇宙で起きるこのあらゆることは、量子真空と言う場にすべて記憶され、さらにその量子真空が、あらゆる場をつないでいる。
こういったことを、物理学者でもあるアーヴィン・ラズロが語るのだけれど、科学はまだそれを証明しきれていない。
でも、こういった事柄は、つまり、生まれる前の記憶があるのかどうかもそうだけれど、本当かどうかは実はあまり大事ではないのかもしれない。
生きていくうえで、自分がどういう思想を持ち、どういう立場から物事を見据え、いかに生きていくのかが大事であって、目くじら立てて前世があるとかないとか論じる必要は、ボクにはあまり感じない。
ただ、そう思うだけなんだけれど、その立場に立っていた方が、自分が生きやすいだけ。
確かに、うちの下の娘も、3歳ごろに生まれる時のことをよく語ってくれていた。
おなかの中がどうだったとか、出てくるときはこうだったとか・・・・。
「覚えていたよね」
と、確認すると、
「そうだったっけ?忘れちゃった」
と、けんもほろろ。
千桂子先生によると、「ちゃんと忘れる、それでいい、それこそが神様との約束」なのだそうだ。
生まれ来る前の記憶を持つ子どもたちがいて、その彼らを追ったドキュメンタリー映画。
映画では、記憶を持つ子供と出会ったドクターが誠実にその経験を語っていた。
生まれる前は、大仏みたいな神様がいて、一緒にお母さんを選ぶ、らしい。
地球を見下ろすテレビのようなものを見ていて、母親を選ぶ。
なんだかおもしろい。
大事なポイントは、この「自分で選ぶ」こと。
父と母を自分で選び、その二人を幸せにするために生まれてくる。
ボクは、この考え方が好きだ。
同じ話をする多くの子どもたちがいるという。
しかしながら、科学的な根拠はどこにもないわけで、それが本当かどうかは確かめようもないこと。
映画ガイア・シンフォニーの、何番かで紹介されたアーヴィン・ラズロ。
天才ピアニストであり、同時に哲学者、世界賢人会議「ブタペストクラブ」の会長でもある彼が提唱する理論がある。
「この世界とは何か?どうやって生まれたのか?我々はなんなのか?」と40年以上にわたって研究し続けてきたひとつの答えが「量子真空」理論。
難しすぎて、ここでは説明しきれないので、興味のある人は自分で調べてみてください。
宇宙を湖に例えると、そこに石を投げると波紋が起きる。
もう一つ別のところから石を投げると、新しい波紋が、最初の波紋とぶつかる。
すると、また新しい波紋が生まれる。
この新しい波紋は、1番目と2番目とは違う波紋だけれども、それぞれの波紋の記憶を継承している。
つまり、この宇宙で起きるこのあらゆることは、量子真空と言う場にすべて記憶され、さらにその量子真空が、あらゆる場をつないでいる。
こういったことを、物理学者でもあるアーヴィン・ラズロが語るのだけれど、科学はまだそれを証明しきれていない。
でも、こういった事柄は、つまり、生まれる前の記憶があるのかどうかもそうだけれど、本当かどうかは実はあまり大事ではないのかもしれない。
生きていくうえで、自分がどういう思想を持ち、どういう立場から物事を見据え、いかに生きていくのかが大事であって、目くじら立てて前世があるとかないとか論じる必要は、ボクにはあまり感じない。
ただ、そう思うだけなんだけれど、その立場に立っていた方が、自分が生きやすいだけ。
確かに、うちの下の娘も、3歳ごろに生まれる時のことをよく語ってくれていた。
おなかの中がどうだったとか、出てくるときはこうだったとか・・・・。
「覚えていたよね」
と、確認すると、
「そうだったっけ?忘れちゃった」
と、けんもほろろ。
千桂子先生によると、「ちゃんと忘れる、それでいい、それこそが神様との約束」なのだそうだ。
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