今日はグロース日記はちょっとお休み。
しばらく、ファンタジーをアップしてなかった。
本を読む暇もない夏だったのだけれども、そろそろ秋の気配。
読みためた本のことを少し書いてみようと思う。
ノートンの『床下の小人たち』のシリーズや、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』は、大好きな小人が出てくるお話。
もちろん、指輪物語やホビッとの冒険も小人族は出てくるけれども、サイズが違う。
いわゆる妖精のような小さな小さな小人たちのお話。
最近は、「ちいさいおじさん」らしき存在も巷では噂されているけれども、これは「ちいさいひとたち」の素敵なお話。
『木かげの家の小人たち』 いぬい とみこ
8月は、日本にとって終戦を迎えたつき。
数々の戦争にまつわるテレビドラマや、イベントが企画されていた。
ボクが小さいころ、「終戦記念日」と言う言い方をしていたけれども、最近は「終戦の日」や「敗戦の日」と言う言い方になっているみたい。
確かに「記念」ではないかもしれない。
第2次大戦の始まるずっと前に、英国から来ていたミス マクラクランが、横浜から船で帰ることになります。
そのときに、達夫少年にバスケットを手渡します。
「この中にいます『小さい人たち』のために、ミルクを運んでくださいますか。毎日、窓のしきいのところに、一ぱいのミルクを出しておくのです」
そしてポケットから「青空の一部がとけこんだような素晴らしいブルーのコップ」を、達夫に差し出します。
誰にも知られないように、達夫が世話をするその小人たちは、達夫の屋敷の誰も出入りしない書庫の一番上の棚に住まいを設けます。
この小人たちは、人間の数倍の時間を生きることができ、達夫は成人して家族ができ、子どもが生まれると、やがてその子供たちにその世話をバトンしていきます。
物語は、達夫のむすめのゆりと、小人たちのお話として展開していきます。
著者のいぬいとみこさんは、この物語をこんな風に始めます。
「物語の前に
ひとはそれぞれこの地上のどこかに「だれもゆけない土地」を持っています。その人自身のいちばんたいせつな、愛する者の住んでいる「ふしぎな土地」を。」
この始まりの一行で、ボクは小さかった頃の自分に一気に引き戻されてしまった。
だれもゆけないし、だれも招待することのできないその場所は、安心の場所でもあるし、さみしさの場所でもある。
小人なんて世なんかにはいない、はずなのだけれども、それはカタチを変えて必ず人の心の中には生きている。
ボクには小人はいなかったのだけれども、気配を感じる「誰か」や「どこか」の存在には気づいていた。
そんな、曖昧模糊とした世界を、だれもが心の中に物語として持っている。
河合隼雄先生が、このファンタジーの世界を大人が受け入れることで、悩みや苦悩に向き合うことができるのだということを繰り替えし著書で書いていた。
本当に、物語を、ボクの心を豊かにしてくれる。
ちなみに、この本には続編があって、机の上でその出番を待っている。
しばらく、ファンタジーをアップしてなかった。
本を読む暇もない夏だったのだけれども、そろそろ秋の気配。
読みためた本のことを少し書いてみようと思う。
ノートンの『床下の小人たち』のシリーズや、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』は、大好きな小人が出てくるお話。
もちろん、指輪物語やホビッとの冒険も小人族は出てくるけれども、サイズが違う。
いわゆる妖精のような小さな小さな小人たちのお話。
最近は、「ちいさいおじさん」らしき存在も巷では噂されているけれども、これは「ちいさいひとたち」の素敵なお話。
『木かげの家の小人たち』 いぬい とみこ
8月は、日本にとって終戦を迎えたつき。
数々の戦争にまつわるテレビドラマや、イベントが企画されていた。
ボクが小さいころ、「終戦記念日」と言う言い方をしていたけれども、最近は「終戦の日」や「敗戦の日」と言う言い方になっているみたい。
確かに「記念」ではないかもしれない。
第2次大戦の始まるずっと前に、英国から来ていたミス マクラクランが、横浜から船で帰ることになります。
そのときに、達夫少年にバスケットを手渡します。
「この中にいます『小さい人たち』のために、ミルクを運んでくださいますか。毎日、窓のしきいのところに、一ぱいのミルクを出しておくのです」
そしてポケットから「青空の一部がとけこんだような素晴らしいブルーのコップ」を、達夫に差し出します。
誰にも知られないように、達夫が世話をするその小人たちは、達夫の屋敷の誰も出入りしない書庫の一番上の棚に住まいを設けます。
この小人たちは、人間の数倍の時間を生きることができ、達夫は成人して家族ができ、子どもが生まれると、やがてその子供たちにその世話をバトンしていきます。
物語は、達夫のむすめのゆりと、小人たちのお話として展開していきます。
著者のいぬいとみこさんは、この物語をこんな風に始めます。
「物語の前に
ひとはそれぞれこの地上のどこかに「だれもゆけない土地」を持っています。その人自身のいちばんたいせつな、愛する者の住んでいる「ふしぎな土地」を。」
この始まりの一行で、ボクは小さかった頃の自分に一気に引き戻されてしまった。
だれもゆけないし、だれも招待することのできないその場所は、安心の場所でもあるし、さみしさの場所でもある。
小人なんて世なんかにはいない、はずなのだけれども、それはカタチを変えて必ず人の心の中には生きている。
ボクには小人はいなかったのだけれども、気配を感じる「誰か」や「どこか」の存在には気づいていた。
そんな、曖昧模糊とした世界を、だれもが心の中に物語として持っている。
河合隼雄先生が、このファンタジーの世界を大人が受け入れることで、悩みや苦悩に向き合うことができるのだということを繰り替えし著書で書いていた。
本当に、物語を、ボクの心を豊かにしてくれる。
ちなみに、この本には続編があって、机の上でその出番を待っている。
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