ビルボがしぶしぶ森の中を歩いていると、焚き火が見えました。
「人の肉を長い間食ってない」
愚痴を言いながらヒツジ肉をうまそうに食べている3人の巨大なトロル達がいました。
本当は逃げ出したかったビルボですが、手ぶらで戻る気になれず、思い切って近づきます。
そして・・・、案の定見つかってしまいます。
ビルボを心配してやってきたドワーフ達も、結局トロルにつかまってしまうのです。
3人のトロルが「こいつらを今食べるのか、後で食べるのか」ともめているうちに、魔法使いのガンダルフがやってきます。
トロルは夜の生き物。日の光を浴びてしまうと、石になってしまいます。
ガンダルフが3人のトロルをからかいながら混乱させているうちに、朝がやってきます。そして、ついに火の光を浴びてしまったトロルたちは石になってしまうのです。
助かったビルボ達はトロルのすみかを探し、食糧や宝物を手に入れ、川のそばにこっそりと埋めました。
―――*―――*―――*―――*―――*
さあここで、「石になってしまう」という象徴的な出来事が起きます。
石になってしまう物語は、他にもたくさんあります。
つい最近映画化されたファンタジーの大傑作『ナルニア国物語―ライオンと魔女』でも、白い魔女に「石化」された森の住人たちが多数出てきました。
出典:『ナルニア国物語』岩波少年文庫
またグリム民話にも、no.6『忠義のヨハネス』に、この「石化」が登場します。
弁慶の「立ち往生」も同じですね。
私たちの町中を見渡して「石化」したものといえば、石ではありませんが、銅像などのモニュメントがありますね。
長く記憶にとどめておきたいこと、忘れてはならないようなことなどの象徴です。
それは無くなってしまったのでも、消えてしまったわけでもなく、その状態のままそこに「時間をとどめている」のです。
「凍りつく」体験・・・だったらわかるかもしれませんね。
過去の記憶が鮮明にそのときのまま変わらずに心に残っているのです。
こんな風に私たちの心の中にも、「石化」してしまっている記憶があるかもしれません。
このあたりは、アートワークセラピーコースの集中のセッションで実際に取り組んでいきますが、ボクの「石化」してしまった記憶をお話しましょう。
小学校の、たぶん3年生くらいのことです。
ある時いつものように父親と母親の3人で食事をしていたときに、父親が
「温泉でも行くか」
とボクに向かって言いました。
臆病なボクは、すぐに母親を見ました。
しかし、母親は何も言いません。
すると、父親は
「どうする?」
とまたボクに言います。
何度母親を見ても、何も言ってはくれません。
どうやら、父親はボクと「二人で」・・・「二人だけ」で行こうといっているのです。
「あ・り・え・な・い!!!」
しかし、怖くて何もいえないボクは断るわけにもいかず、そのまま「父と二人だけの旅行」を約束させられてしまったのです。
帰り道、どういうわけか、ボクはウキウキしていました。
だって、うれしかったんです。
「おとーさん」と二人だけになること、ボクだけが「おとーさん」を独占することが。
待ち合わせは新宿でした。
一人で行きました。
もう3年生ですからね。
春先の暖かい週末でした。
新宿に向かう朝は、とても気持ちよく、よそ行きの服を着て、買ってもらったリュックをしょって・・・・
言われた通りの列車の指定席の番号に座っていれば良い、と言われていました。
時間よりも早くホームに行き、扉が開いてから、ボクはすぐに指定席に座り、父親を待ちました。
父親は、いつも時間に遅れます。
食事の時は、ボクと母はいつも必ず30分以上は待たされました。
そして、そのときもいつもと同じように、父親はなかなか来ないのです。
いやな予感がしました。
時間が迫ってきて、一人ぼっちのボクは次第に焦ってきました。
今でも覚えています。
「もし来なかったらどうしよう」
「ベルがなったら、どうすればいいんだろう」
「電車を間違えたのかな」
「時間が違うのかな」
「誰に聞いたらいいんだろう」
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
そして、ついに発車のベル
リーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
(つづく)
クエストアートワークセラピスト養成スクール
「人の肉を長い間食ってない」
愚痴を言いながらヒツジ肉をうまそうに食べている3人の巨大なトロル達がいました。
本当は逃げ出したかったビルボですが、手ぶらで戻る気になれず、思い切って近づきます。
そして・・・、案の定見つかってしまいます。
ビルボを心配してやってきたドワーフ達も、結局トロルにつかまってしまうのです。
3人のトロルが「こいつらを今食べるのか、後で食べるのか」ともめているうちに、魔法使いのガンダルフがやってきます。
トロルは夜の生き物。日の光を浴びてしまうと、石になってしまいます。
ガンダルフが3人のトロルをからかいながら混乱させているうちに、朝がやってきます。そして、ついに火の光を浴びてしまったトロルたちは石になってしまうのです。
助かったビルボ達はトロルのすみかを探し、食糧や宝物を手に入れ、川のそばにこっそりと埋めました。
―――*―――*―――*―――*―――*
さあここで、「石になってしまう」という象徴的な出来事が起きます。
石になってしまう物語は、他にもたくさんあります。
つい最近映画化されたファンタジーの大傑作『ナルニア国物語―ライオンと魔女』でも、白い魔女に「石化」された森の住人たちが多数出てきました。
出典:『ナルニア国物語』岩波少年文庫
またグリム民話にも、no.6『忠義のヨハネス』に、この「石化」が登場します。
弁慶の「立ち往生」も同じですね。
私たちの町中を見渡して「石化」したものといえば、石ではありませんが、銅像などのモニュメントがありますね。
長く記憶にとどめておきたいこと、忘れてはならないようなことなどの象徴です。
それは無くなってしまったのでも、消えてしまったわけでもなく、その状態のままそこに「時間をとどめている」のです。
「凍りつく」体験・・・だったらわかるかもしれませんね。
過去の記憶が鮮明にそのときのまま変わらずに心に残っているのです。
こんな風に私たちの心の中にも、「石化」してしまっている記憶があるかもしれません。
このあたりは、アートワークセラピーコースの集中のセッションで実際に取り組んでいきますが、ボクの「石化」してしまった記憶をお話しましょう。
小学校の、たぶん3年生くらいのことです。
ある時いつものように父親と母親の3人で食事をしていたときに、父親が
「温泉でも行くか」
とボクに向かって言いました。
臆病なボクは、すぐに母親を見ました。
しかし、母親は何も言いません。
すると、父親は
「どうする?」
とまたボクに言います。
何度母親を見ても、何も言ってはくれません。
どうやら、父親はボクと「二人で」・・・「二人だけ」で行こうといっているのです。
「あ・り・え・な・い!!!」
しかし、怖くて何もいえないボクは断るわけにもいかず、そのまま「父と二人だけの旅行」を約束させられてしまったのです。
帰り道、どういうわけか、ボクはウキウキしていました。
だって、うれしかったんです。
「おとーさん」と二人だけになること、ボクだけが「おとーさん」を独占することが。
待ち合わせは新宿でした。
一人で行きました。
もう3年生ですからね。
春先の暖かい週末でした。
新宿に向かう朝は、とても気持ちよく、よそ行きの服を着て、買ってもらったリュックをしょって・・・・
言われた通りの列車の指定席の番号に座っていれば良い、と言われていました。
時間よりも早くホームに行き、扉が開いてから、ボクはすぐに指定席に座り、父親を待ちました。
父親は、いつも時間に遅れます。
食事の時は、ボクと母はいつも必ず30分以上は待たされました。
そして、そのときもいつもと同じように、父親はなかなか来ないのです。
いやな予感がしました。
時間が迫ってきて、一人ぼっちのボクは次第に焦ってきました。
今でも覚えています。
「もし来なかったらどうしよう」
「ベルがなったら、どうすればいいんだろう」
「電車を間違えたのかな」
「時間が違うのかな」
「誰に聞いたらいいんだろう」
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
そして、ついに発車のベル
リーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
(つづく)
クエストアートワークセラピスト養成スクール
(何故だか心の中のBGMは、『天国と地獄』…。笑)
き、気になるーーー
先生の話もおとぎ話のようで、ワクワクするです。