自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

『鍵の秘密』 古市卓也

2011-07-13 08:04:51 | ファンタジー
子どもの頃、ボクは電車通学をしていました。


当時は、私立の小学校は「おバカな子どもが行く学校」とか、「お坊ちゃまがいく学校」とか言われていて、あんまりそういう学校に通うのが好きではありませんでした。



ボクは結構自分で言うのもなんだけど「賢い子ども」だったし、もちろん「おぼっちゃま」でもなかった。


単に、オヤジが事業家でお金持ちだったおいうだけ。


そしてボクと母親はひっそりと暮らす比較的質素で貧しい部類に入る生活をしていた。


自分の生活と、学校の友達の生活のギャップ。




クルマで見送りされる友達もいたし、お弁当の中身が断然違う友達もいた。



子ども心に、複雑な心境だったのをよく覚えています。




電車通学するという事は、地元に友達がいないということ。


家に帰っても、母親は仕事に出かけていましたから、カギっ子少年で、独り遊びしかしていませんでした。




そのせいか学校の行き帰り屋、家に一人でいるときに、いろんな妄想をしたのを覚えています。



たとえば、タイムマシンで行った先の時代があるという事は、今の自分以外にもう一人、いやもっとたくさんの自分がいるのかもしれない、そいつは今何をしているんだろうとか、


この世界の裏側があって、もう一つ別の世界が同時進行しているんだと思って、急に後ろを振り返ってみたり、


今周りにいる人たちは、ボクを見張っている奴らで、ただ通行人を装っているだけでボクが突然歩いている足を止めたらびっくりしてぼろが出るんじゃないかとか・・・・・



自我が肥大していく子どもの頃だったからこそ、いろんな妄想をしていたんだと思いますが、そうやってさみしさを紛らせていたのかもしれません。



『鍵の秘密』古市卓也


もう何か月も前から、オフィスのデスクにおいてあった本があります。


ファンタジー大賞の奨励賞を受賞した作品です。



ただ、分厚い本で、持ち歩くのに不便なのでずっと置きっぱなしだったというわけです。



でもついに読む本が無くなってしまい、持ち歩くようになって数週間。



久しぶりに「歩きながらでも読みたくなる」展開でした。



ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』のような設定なのですが、この「鍵」を使って扉をあけることで「この世界」ではない世界への扉が開いてしまうのです。



鍵がかかっていれば、その扉はそのカギによって違う世界への扉に変わる。


それが引き出しのカギであろうと物置のカギであろうと。



そして、主人公の少年が通う学校そのものが、もう一つの世界ではそのままとてつもない「城」なのです。



この少年に託された使命は、「城で進んでいる陰謀を止めること」


おまけに2年前に突然失踪した父親がもしかしたらその世界に閉じ込められているかもしれない。



鍵を開けてその向こうに広がる世界を想像する事は、恐怖でもあるし同時にワクワクする。



漆黒の暗闇があったり、人の気配がしたり、灯のともる薄暗い廊下だったり。



そちら側の世界の住民にとっては、突然のように扉のない空間に少年が現れて悪霊呼ばわりされる。



ボクは、この世界と現実世界をつなぐ鍵のストーリーにのめりこんでしまった。


心を捉えて離さない、という理由は、それが個人的なことだけでなく普遍的な意味合いを持つからなのですが、久々にファンタジーを読んだという実感。


いやぁ、それにしても重たい本だった。








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