お芝居の根源には遊びがござる。
「遊び」は人を楽しませ、学ばせ、驚かす、演劇人には必要不可欠の要素でござんす。遊びにより発見し発展させる、そんなワークショップを画策しています。まずは「ごっこ遊び」。我々は原っぱで鼻水垂らして遊ぶガキなんだ!という劇団のモットーは全ての基本かもしれません。大事なことだと思います。それはガキっぽくするということではなく、身も世もなく夢中になっている様子が一番純粋な演者の姿なんだということ。 さあ、死ぬ気で遊ぼうぜ!
お芝居の根源には遊びがござる。
「遊び」は人を楽しませ、学ばせ、驚かす、演劇人には必要不可欠の要素でござんす。遊びにより発見し発展させる、そんなワークショップを画策しています。まずは「ごっこ遊び」。我々は原っぱで鼻水垂らして遊ぶガキなんだ!という劇団のモットーは全ての基本かもしれません。大事なことだと思います。それはガキっぽくするということではなく、身も世もなく夢中になっている様子が一番純粋な演者の姿なんだということ。 さあ、死ぬ気で遊ぼうぜ!
例えば、珈琲を楽しむ まず香り。次に飲むぞとながめて、一口。苦みと渋みと酸味と甘み(珈琲が甘いことを多くの人は知りもはん)。次々と味が口の中に広がる。口中微涼を生ずるが如し。見る、聞く、嗅ぐ、触れる、味わう・・・。感覚を大事にする。
空気に臭いはありますか?風に音はありますか?食べる前に味を想像しますか?感覚は意識しなければ無意識に埋没してしまうのです。感覚を澄ませば味わいは何倍にも・・・。 我々はここから始めなければいかんのです。
今年の夏、またドアーズのワークショップ(7月末~8月初の内1日)やらせていただきます。今度は~疾風怒濤編~、乞うご期待!
今日、イベントの準備中、脚立のステップを踏み外して向こう脛を打った。まだ痛い。うずく。
元々、子供の頃から高いところは苦手です。30年ほど前から舞台で脚立に上ることが多くなり、一、二間の高さなら平気になりました。しかし、今日久しぶりに一間ほどの脚立にてっぺんまで乗って下りるときにスカッと一段踏み外しました。人生も踏み外す男ですから、ステップの一つや二つ朝飯前です。木も上るより下りる方に集中せよと兼好法師も言うております。でも向こう脛を打ちました。打撲+擦過傷で歩くの痛いです。一言で言うと、歳ということですね。身体が不細工に言うことをきかなくなってきているということ。 残念
何事も始めるより終わらせる方が難しいのです。皆さんも御油断なく。
こういうのもありましたね、「本当に好きなことというのは、やりたいことではなく、止められないことだ。」って。益々、難しい。終わりはあるが、それは終わらせるのか、単に終わるということか。・・・ま、その時が来ればわかるさ。
さ、次に向けてオーバーホールしよっと
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能々吟味有るべきもの也。」(「五輪書」)
言わずと知れた宮本武蔵の言である。千日(約3年)を経た練習は一生の技として身につくという。3年ぐらい愚直にがんばったことはありますか?私は高校の3年間を思い出します。引退もせず、3年間芝居漬けでした(おかげで今でも「ういろう売り」はそらで言えます)。その身につけたものを確かめに演劇学校に行き、2年。己のしてきたことが間違いではないと確信できました。そして世間様の荒海にも揉まれ、何とかここまでやって来ました。万日(約10年)継続することで、少しは量質転化(量が蓄積されると質が変化する)したのでしょうか?・・・いやぁ、まだまだ「吟味有るべきもの」なのでしょうね。
「いつでも今が初めて」のような芝居をする。何十回繰り返していても「今が初めて」、「生まれて初めて」の芝居。全て身につけて、全て捨てる。身につけないと捨てられない。今やっと捨てられるところにいるようです。ただやっぱり感覚的で頼りない。自信もない。「ぬた~ん」ってなかなかできない。
「ぬた~ん」って。
☆「3月のライオン」(映画)面白かったです。神木君「ぬた~ん」やった。ええやん。