台本は粛々と進むのさ。
大衆演劇を知り得たのはここ十年来の収穫です。小劇場はもとより、新劇、狂言、ミュージカルにオペラと、いろいろ吸収してきました。しかし、劇団浮狼舎に入って初めて大衆演劇というものに目が向きました。座長の神原自身がその舞台にも立ち、また浅からぬ縁あって作品にも大いに影響を及ぼしていたからでしょう。
この劇団に入ってからというもの、私(島上)の中の演劇の垣根は劇的に取り外されてきました。時の先駆者は皆、アングラと言い得る存在だと(師匠もまたそうであったと)わかってから、何だか仕切りのようなものがすっかりなくなってしまって自由になりました。元々、私は「高校演劇」だとか「新劇」だとかの名称に違和感を持っていました。みんな「芝居」でいいじゃねぇかと。「演劇」というと、未だに日本人には理解できません(残念ながら学校教育の完全な失敗です)。だから「芝居」でいいの「芝居」で。
そこで大衆演劇です。
田舎歌舞伎や村芝居もありますが、今も普通に毎日どこかで必ず上演されている大衆演劇は、芝居というものの原点のように思われるのです(あくまで私個人の感想ですが)。そんな大衆演劇を更に叩いて、伸ばして小劇場風にしたのがうちのネオ大衆演劇。もうお客さんが面白けりゃそれでいいんです。形は様々。その定かならぬ形が形になろうという今、やめてしまうのも一興かしらね。
昨年とは打って変わって、歴史的にはな~んにもなかった文化八年。巷にゃこんなお話があったんだよ…と。さらっと(刀はぶんぶん振るけどね)演っちゃいましょう今年も!