昨夜はすっきりした三日月。よく晴れていました。携帯で写真を撮りたかったのですが、私、携帯電話を忘れて出勤していたので写真はありません(@_@)
私には兄弟姉妹がおりません。兄妹の感情を想像するのはかなり困難を伴います。それどころか親族すべてと繋がりが希薄なものですから、…もうそれは推して知るべし、と。
お役の人物は自分と同じではありません。ではどうやってお役になるのか?
まず互いの違いをよく見つめます。そうすると共通点も見えてきます。何が違うかが分かれば、どこに自分をやればよいかが分かります。まずは素材(要素)を整理します。かなりの紆余曲折があるとは思いますが、最終稽古で自分がお役そのものになっていたらそれで良しとしましょう。
以下、その紆余曲折について。
ジョン・G・ランボー曰く、戦争に勝つには「自分が戦争そのものになればいい」。ならば、芝居を成すには芝居そのものになればいい、ということになる。言うは易く行うは難し…そう簡単ではない。作品(物語)そのものになるなど、もはや禅問答である。
役に自分がどう近づけばよいのか?それは、自分の中に既にあるものを使って試してみるしかない。実験あるのみ。人間の頭の中だけで考えたことなど、小賢しく矮小なものでしかない。芝居とはそんな小さなものではないのである。ことばと同じく外に出して、人に向けて初めて意味を成すもの。故に実験あるのみ。その反応結果で日々発見があり、理解が生じ、感慨が生まれる。その先に自分のお役の姿がある。斯くして稽古場は実験室(ラボ)となる。
それらを成せば自然、最終的には、お役そのものになっていよう。いや、融合と言ってもいいか。台本(ほん)の人物+αの実在のお役がそこにはあるだろう。自分が生きている人間である以上、必ず立体的なものになっているはず。どうか自信を持たれよ。
以上、抽象的なお話でした。月がきれいだったので許されてくりゃれ<(_ _)>