先日、母が他界しました。享年92歳でした。
母は、80歳を超えてから、心臓の僧帽弁置換術、乳がんの切除手術といった大手術を乗り越えて来ました。が、身体への負担は大きかったようで、手術した心臓はもちろん、肺、腎臓など、内臓が軒並み悲鳴を上げ、多臓器不全との診断を受け、24時間常時酸素吸入が必要な身体になってしまいました。
担当医の先生からは、数年前から「いつ心臓が止まってもおかしくない状態です。」と言われていましたが、普段の母は、とてもそんな身体とは思えないほど元気で、食欲も旺盛でした。数ヶ月前からは、私が晩酌を始めると、「ちょっとくれ。」と言ってビールを飲んだりもしていました。
今年4月、母にとって義弟にあたる叔父が亡くなり、6月に四十九日法要が行われたのですが、「どうしても行きたい。」ということで参列させていただき、御斎の席で親戚の皆さんと楽しそうに談笑し、とても嬉しそうにしていました。しかし、その翌日、疲れが出たのか、家で転倒し、左大腿骨を骨折してしまったのです。
入院して担当医の先生から言われたことは、「通常の治療では骨をつなげる手術をするのですが、内臓がとても手術に耐えられる状態ではない。生きているのが不思議なくらい、内臓の状態は悪いです。」ということでした。
結局、対症療法で痛みを軽減させながら様子を見ていく、ということになりましたが、その後は、日に日に弱っていくのがはっきりとわかりました。気丈で、これまで弱音を言ったことがないような母でしたが、調子はどうかと聞く私に、「せつない。」と答えるようになり、横浜から見舞いに駆けつけてくれた次女に、「おばあちゃんがいなくなっても、お父さんと仲良くね。」などと言うようになってしまいました。
そして… 母は逝ってしまいました。その日の夕方、私が見舞いに行くと、今お風呂に入ってきたところだ、と言って、看護師さんにお茶を飲ませてもらっていました。弱って来てはいるけれど、まだまだ大丈夫だな、と思って家に帰った、わずか5時間後のことでした。聞けば、夕食も普通に食べ、特に変わった様子もなかったのに、突然呼吸が止まり、そのまま逝ってしまったということでした。入院してからの1ヶ月、辛そうにしていることもありましたが、ひどく苦しむということもなく、大往生でした。
母は、貧しい家の長女に生まれ、幼い頃から家の手伝いや、幼い弟妹の面倒を見、学校もろくに通えなかったようでした。「もっと勉強したかった。」と話していたことを覚えています。
父と結婚してからも、長男の嫁として気苦労が多い中、気弱な性格の父が様々なストレスのはけ口をお酒に求めるようになり、いろいろと苦労は絶えなかったようです。母は、離婚を考えたこともあったそうですが、まだ幼かった姉と私のことを思うと出来なかった、という話もしていました。
そんな、苦労続きの中でも、母は常に明るく、前向きでした。決して弱音を吐かず、そして、自分のことよりも人のことを気遣うような人でした。
母の息子で良かった… 今、しみじみとそう感じています。
お母さん、本当に、本当にありがとうございました。
母は、80歳を超えてから、心臓の僧帽弁置換術、乳がんの切除手術といった大手術を乗り越えて来ました。が、身体への負担は大きかったようで、手術した心臓はもちろん、肺、腎臓など、内臓が軒並み悲鳴を上げ、多臓器不全との診断を受け、24時間常時酸素吸入が必要な身体になってしまいました。
担当医の先生からは、数年前から「いつ心臓が止まってもおかしくない状態です。」と言われていましたが、普段の母は、とてもそんな身体とは思えないほど元気で、食欲も旺盛でした。数ヶ月前からは、私が晩酌を始めると、「ちょっとくれ。」と言ってビールを飲んだりもしていました。
今年4月、母にとって義弟にあたる叔父が亡くなり、6月に四十九日法要が行われたのですが、「どうしても行きたい。」ということで参列させていただき、御斎の席で親戚の皆さんと楽しそうに談笑し、とても嬉しそうにしていました。しかし、その翌日、疲れが出たのか、家で転倒し、左大腿骨を骨折してしまったのです。
入院して担当医の先生から言われたことは、「通常の治療では骨をつなげる手術をするのですが、内臓がとても手術に耐えられる状態ではない。生きているのが不思議なくらい、内臓の状態は悪いです。」ということでした。
結局、対症療法で痛みを軽減させながら様子を見ていく、ということになりましたが、その後は、日に日に弱っていくのがはっきりとわかりました。気丈で、これまで弱音を言ったことがないような母でしたが、調子はどうかと聞く私に、「せつない。」と答えるようになり、横浜から見舞いに駆けつけてくれた次女に、「おばあちゃんがいなくなっても、お父さんと仲良くね。」などと言うようになってしまいました。
そして… 母は逝ってしまいました。その日の夕方、私が見舞いに行くと、今お風呂に入ってきたところだ、と言って、看護師さんにお茶を飲ませてもらっていました。弱って来てはいるけれど、まだまだ大丈夫だな、と思って家に帰った、わずか5時間後のことでした。聞けば、夕食も普通に食べ、特に変わった様子もなかったのに、突然呼吸が止まり、そのまま逝ってしまったということでした。入院してからの1ヶ月、辛そうにしていることもありましたが、ひどく苦しむということもなく、大往生でした。
母は、貧しい家の長女に生まれ、幼い頃から家の手伝いや、幼い弟妹の面倒を見、学校もろくに通えなかったようでした。「もっと勉強したかった。」と話していたことを覚えています。
父と結婚してからも、長男の嫁として気苦労が多い中、気弱な性格の父が様々なストレスのはけ口をお酒に求めるようになり、いろいろと苦労は絶えなかったようです。母は、離婚を考えたこともあったそうですが、まだ幼かった姉と私のことを思うと出来なかった、という話もしていました。
そんな、苦労続きの中でも、母は常に明るく、前向きでした。決して弱音を吐かず、そして、自分のことよりも人のことを気遣うような人でした。
母の息子で良かった… 今、しみじみとそう感じています。
お母さん、本当に、本当にありがとうございました。
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