五十代半ばを過ぎ、「もう一度試合に出場したい。」という気持ちが沸き起こり、考えた末、「60歳、還暦を迎えたら、もう一度試合に出場しよう。」そう密かに心に決めたのでした。ところが…
57歳の夏、胃がんの告知を受け、胃の全摘手術を受けたのです。試合出場どころか、空手を続けていけるのか、指導を続けていけるのかさえわからない状況に陥ってしまいました…
それでも、術後1ヶ月ほどで指導に復帰し、その後、半年、1年と時が過ぎていく中で、今までどおり稽古をこなし、ライトコンタクトですが、自由組手も行えるまでに回復して行きました。この間は、とにかく稽古が出来る、指導が出来るようになれば、という思いだけで、試合出場など頭の片隅にもありませんでした。
そんな中、新型コロナの影響で大変な社会情勢になって行きました。長期間の稽古休止、やっと再開出来ても、稽古時間の短縮やマスクを着けての稽古を強いられる等、従来どおりの稽古が出来なくなり、また、全日本大会も2年続けて中止となってしまいました。そして、気がつけば私も還暦を迎えていました。もはや、試合出場など願っても届かない状況になっていました。
そんな中、二年続けて中止となっていた極真館様主催の春季全日本大会が、今年は開催されることを知ったです。
以前、「演武」というタイトルのブログでも述べましたが、私は、「リラックスした状況でなら難なく出来ることも、試合や審査、演武といった、緊張や不安、恐怖という自身の心の弱い部分と向き合わなければならないような、特別な状況下でも出来なければ、本当に出来るとは言えない。」と考えており、「自分自身を緊張感のある特別な状況下に置き、自分自身にプレッシャーをかけ、そんな中で実力を発揮するための稽古」を欠かしてはならない、と思っています。51歳を最後に、試合から遠ざかった私にとって、この「緊張感のある特別な状況下で実力を発揮する稽古」は、大会での演武でした。毎年秋の型競技錬成大会の際に演武を行うことが、私にとっての大切な稽古でした。
しかし、胃がんの手術後、私はそんな「緊張感のある特別な状況下での稽古」を行わずにいました。術後の体力の衰えや体調変化等で、演武をやろうという気力も、覚悟も出来なかったのです。全くお恥ずかしい限りです。
そんな私でしたが、還暦を迎えたこともあり、いつまでも自分を甘やかしていてはダメだ、と一念発起し、道場生の皆に、60歳になろうと、代表師範という立場になろうと、挑戦する姿勢を示そう、何より、自分を厳しく律しようと、四年ぶりに錬成大会で演武を行いました。そして、演武を行ったことで、再び「還暦になったらもう一度試合に出場したい。」という昔の思いがよみがえってきました。
そんなところに、極真館様から、今年は春季全日本大会を開催します、とのご連絡をいただいたのです。もはや覚悟を決めるしかありません。思い切って型競技大会に出場申し込みをしたのでした。
以前大会に出場していた頃は、「試合も稽古の一環」という思いと同時に、「出場するからには結果を出したい。」という思いがありました。しかし今回は、「結果は二の次。もう一度試合場に立ちたい。試合の独特の緊張感の中に身を置くことで起こる、自身の心の中の様々な葛藤に立ち向かい、持てる力をどこまで出せるか。61歳という年齢でどれだけの型を打てるか。自分自身に挑みたい。」という思いでの出場でした。
そして迎えた試合当日。確かに緊張はしましたが、試合場で型を打っている間は、楽しくて仕方ありませんでした。予選、決勝とも20点以上の高得点をつけていただき、結果は準優勝。思ってもみない好成績でした。
61歳になり、癌という病を乗り越え、再び試合場に立つことが出来た…。本当に、本当に幸せな時間でした。
これからも、現状に満足することなく、常に自分自身に挑み、精進を続けて行こう、そういう覚悟をあらためて持たせてくれた全日本大会出場でした。
全日本大会を開催し、出場させてくださった、極真空手道連盟 極真館の盧山初雄会長、岡崎寛人館長はじめ、極真館の諸先生方、大会関係者の皆様に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/61064d5918a4b269c0b9b84c4bd90f6e.jpg)
追記その1
試合後、極真館の盧山初雄会長にご挨拶させていただき、「還暦の記念に出場させていただきました。」と申し上げたところ、「次は古希があるから。」と返されてしまいました。70歳まで生きていたら、また出場しなければ…(^_^;)
追記その2
全日本大会当日、二女が会場まで応援に来てくれ、三年ぶりに会うことが出来ました。そして、
「相変わらずチャレンジする姿を見られて嬉しかったよ。予選も決勝も、お父さんの型の方が良かったよ。」
と言ってもらえました。また、当日は仕事で来られなかった長女も、後日試合の動画を見て、
「私が審判だったら、父の型の方に高い得点つける。」
と言ってもらえました。
もちろん、娘たちは優勝出来なかった私を慰めるために言ってくれているのは重々承知ですが、それでも、娘たちが「お父さんの型の方が上」と言ってくれたことは、準優勝したこと以上に嬉しかったです。本当に、本当に、ありがとう。
追記その3
長女から、「来年以降も父には出場してもらって、脅威&驚異の名物オヤジになってほしい。」と言われてしまいました。そっか~、よし! 来年以降も、あの世に行くまで毎年出場してみるか!?(^◇^;)
空手道新武会ホームページ
57歳の夏、胃がんの告知を受け、胃の全摘手術を受けたのです。試合出場どころか、空手を続けていけるのか、指導を続けていけるのかさえわからない状況に陥ってしまいました…
それでも、術後1ヶ月ほどで指導に復帰し、その後、半年、1年と時が過ぎていく中で、今までどおり稽古をこなし、ライトコンタクトですが、自由組手も行えるまでに回復して行きました。この間は、とにかく稽古が出来る、指導が出来るようになれば、という思いだけで、試合出場など頭の片隅にもありませんでした。
そんな中、新型コロナの影響で大変な社会情勢になって行きました。長期間の稽古休止、やっと再開出来ても、稽古時間の短縮やマスクを着けての稽古を強いられる等、従来どおりの稽古が出来なくなり、また、全日本大会も2年続けて中止となってしまいました。そして、気がつけば私も還暦を迎えていました。もはや、試合出場など願っても届かない状況になっていました。
そんな中、二年続けて中止となっていた極真館様主催の春季全日本大会が、今年は開催されることを知ったです。
以前、「演武」というタイトルのブログでも述べましたが、私は、「リラックスした状況でなら難なく出来ることも、試合や審査、演武といった、緊張や不安、恐怖という自身の心の弱い部分と向き合わなければならないような、特別な状況下でも出来なければ、本当に出来るとは言えない。」と考えており、「自分自身を緊張感のある特別な状況下に置き、自分自身にプレッシャーをかけ、そんな中で実力を発揮するための稽古」を欠かしてはならない、と思っています。51歳を最後に、試合から遠ざかった私にとって、この「緊張感のある特別な状況下で実力を発揮する稽古」は、大会での演武でした。毎年秋の型競技錬成大会の際に演武を行うことが、私にとっての大切な稽古でした。
しかし、胃がんの手術後、私はそんな「緊張感のある特別な状況下での稽古」を行わずにいました。術後の体力の衰えや体調変化等で、演武をやろうという気力も、覚悟も出来なかったのです。全くお恥ずかしい限りです。
そんな私でしたが、還暦を迎えたこともあり、いつまでも自分を甘やかしていてはダメだ、と一念発起し、道場生の皆に、60歳になろうと、代表師範という立場になろうと、挑戦する姿勢を示そう、何より、自分を厳しく律しようと、四年ぶりに錬成大会で演武を行いました。そして、演武を行ったことで、再び「還暦になったらもう一度試合に出場したい。」という昔の思いがよみがえってきました。
そんなところに、極真館様から、今年は春季全日本大会を開催します、とのご連絡をいただいたのです。もはや覚悟を決めるしかありません。思い切って型競技大会に出場申し込みをしたのでした。
以前大会に出場していた頃は、「試合も稽古の一環」という思いと同時に、「出場するからには結果を出したい。」という思いがありました。しかし今回は、「結果は二の次。もう一度試合場に立ちたい。試合の独特の緊張感の中に身を置くことで起こる、自身の心の中の様々な葛藤に立ち向かい、持てる力をどこまで出せるか。61歳という年齢でどれだけの型を打てるか。自分自身に挑みたい。」という思いでの出場でした。
そして迎えた試合当日。確かに緊張はしましたが、試合場で型を打っている間は、楽しくて仕方ありませんでした。予選、決勝とも20点以上の高得点をつけていただき、結果は準優勝。思ってもみない好成績でした。
61歳になり、癌という病を乗り越え、再び試合場に立つことが出来た…。本当に、本当に幸せな時間でした。
これからも、現状に満足することなく、常に自分自身に挑み、精進を続けて行こう、そういう覚悟をあらためて持たせてくれた全日本大会出場でした。
全日本大会を開催し、出場させてくださった、極真空手道連盟 極真館の盧山初雄会長、岡崎寛人館長はじめ、極真館の諸先生方、大会関係者の皆様に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/61064d5918a4b269c0b9b84c4bd90f6e.jpg)
追記その1
試合後、極真館の盧山初雄会長にご挨拶させていただき、「還暦の記念に出場させていただきました。」と申し上げたところ、「次は古希があるから。」と返されてしまいました。70歳まで生きていたら、また出場しなければ…(^_^;)
追記その2
全日本大会当日、二女が会場まで応援に来てくれ、三年ぶりに会うことが出来ました。そして、
「相変わらずチャレンジする姿を見られて嬉しかったよ。予選も決勝も、お父さんの型の方が良かったよ。」
と言ってもらえました。また、当日は仕事で来られなかった長女も、後日試合の動画を見て、
「私が審判だったら、父の型の方に高い得点つける。」
と言ってもらえました。
もちろん、娘たちは優勝出来なかった私を慰めるために言ってくれているのは重々承知ですが、それでも、娘たちが「お父さんの型の方が上」と言ってくれたことは、準優勝したこと以上に嬉しかったです。本当に、本当に、ありがとう。
追記その3
長女から、「来年以降も父には出場してもらって、脅威&驚異の名物オヤジになってほしい。」と言われてしまいました。そっか~、よし! 来年以降も、あの世に行くまで毎年出場してみるか!?(^◇^;)
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