昭和55年(1980年)、「第3回裏日本空手道選手権大会」が開催されました。私はこの年の春に就職し、勤務先の寮に入って1年間の研修を受けていたため、道場に稽古に通えるような状況ではなく、大会は欠場しました。それでも大会当日は会場に行くことが出来、先輩や後輩たちの試合に声援を送りました。
この第3回大会、過去2回の大会を連覇したU先輩は出場されず、S先輩が優勝されました。S先輩はとても稽古熱心な先輩で、道場稽古には、自宅から片道10キロ近い距離を走って通われていました。また、全日本大会はノートを片手に観戦され、気がついたことがあるとすぐにその場でメモしてご自身の稽古の参考にされていたとお聞きしました。私は、S先輩のそんな姿勢から、空手に対するひたむきさを学ばせていただきました。
また、この第3回大会には、大山倍達総裁が初めてご臨席くださいました。会場の体育館前で、先生や先輩方と整列して大山総裁をお迎えし、間近に総裁のお姿を見ることが出来たときはとても興奮し、緊張したのを覚えています。

大山総裁と現極真館館長 盧山初雄先生の直筆サイン入りの大会パンフレット。私の宝物のひとつです。
昭和56年(1981年)、20歳になった私は、就職先の研修を終え、新潟県旧白根市(現新潟市南区)に転勤となっていました。当時、旧白根市には極真会館新潟支部関川道場白根分支部があり、第1回、第2回裏日本大会を連覇されたU先輩が分支部長として指導されていました。私は仕事の傍ら、時間を見つけて稽古に通いました。
当時、関川道場白根分支部はU先輩のほか、Kさんという方が指導員をされていました。Kさんは私よりいくつか年上で、私のことをいろいろ気に掛けてくださり、かわいがってくださいました。
昭和57年(1982年)10月、「第4回裏日本空手道選手権大会」が開催され、私も3年ぶりに出場しました。白根分支部からは、Kさんもいっしょに出場しました。この大会では、1回戦、2回戦を判定勝ちで勝ち進み、準々決勝まで進むことが出来ました。準々決勝で対戦したのは、 I 選手でした。 I 選手は新発田支部の選手で、第3回大会では第3位入賞、今大会優勝候補の1人でした。私は、戦う前から I 選手の実績に萎縮してしまい、何も出来ないまま下段回し蹴りで一本負けを喫してしまいました。それでも、ベストエイト入りしたことで、表彰式では、殊勲賞を頂き、初めて大会で入賞することが出来たのでした。
いっしょに出場したKさんは、準々決勝でもう1人の優勝候補S選手に中段突きで一本勝ちし、決勝に進出しました。決勝では I 選手に敗れたものの、見事準優勝されたのでした。
大会での入賞、それは、とてもうれしいことでしたが、反面、試合内容はとても褒められたものではなく、敗れた試合などは、精神的な弱さを露呈したひどい内容でした。「もっともっと強くなりたい。肉体的にも、そして精神的にも。そのためには稽古しかない!もっともっと稽古しなくては。」そう決意した第4回大会でした。

第4回裏日本大会を終えて
この第3回大会、過去2回の大会を連覇したU先輩は出場されず、S先輩が優勝されました。S先輩はとても稽古熱心な先輩で、道場稽古には、自宅から片道10キロ近い距離を走って通われていました。また、全日本大会はノートを片手に観戦され、気がついたことがあるとすぐにその場でメモしてご自身の稽古の参考にされていたとお聞きしました。私は、S先輩のそんな姿勢から、空手に対するひたむきさを学ばせていただきました。
また、この第3回大会には、大山倍達総裁が初めてご臨席くださいました。会場の体育館前で、先生や先輩方と整列して大山総裁をお迎えし、間近に総裁のお姿を見ることが出来たときはとても興奮し、緊張したのを覚えています。

大山総裁と現極真館館長 盧山初雄先生の直筆サイン入りの大会パンフレット。私の宝物のひとつです。
昭和56年(1981年)、20歳になった私は、就職先の研修を終え、新潟県旧白根市(現新潟市南区)に転勤となっていました。当時、旧白根市には極真会館新潟支部関川道場白根分支部があり、第1回、第2回裏日本大会を連覇されたU先輩が分支部長として指導されていました。私は仕事の傍ら、時間を見つけて稽古に通いました。
当時、関川道場白根分支部はU先輩のほか、Kさんという方が指導員をされていました。Kさんは私よりいくつか年上で、私のことをいろいろ気に掛けてくださり、かわいがってくださいました。
昭和57年(1982年)10月、「第4回裏日本空手道選手権大会」が開催され、私も3年ぶりに出場しました。白根分支部からは、Kさんもいっしょに出場しました。この大会では、1回戦、2回戦を判定勝ちで勝ち進み、準々決勝まで進むことが出来ました。準々決勝で対戦したのは、 I 選手でした。 I 選手は新発田支部の選手で、第3回大会では第3位入賞、今大会優勝候補の1人でした。私は、戦う前から I 選手の実績に萎縮してしまい、何も出来ないまま下段回し蹴りで一本負けを喫してしまいました。それでも、ベストエイト入りしたことで、表彰式では、殊勲賞を頂き、初めて大会で入賞することが出来たのでした。
いっしょに出場したKさんは、準々決勝でもう1人の優勝候補S選手に中段突きで一本勝ちし、決勝に進出しました。決勝では I 選手に敗れたものの、見事準優勝されたのでした。
大会での入賞、それは、とてもうれしいことでしたが、反面、試合内容はとても褒められたものではなく、敗れた試合などは、精神的な弱さを露呈したひどい内容でした。「もっともっと強くなりたい。肉体的にも、そして精神的にも。そのためには稽古しかない!もっともっと稽古しなくては。」そう決意した第4回大会でした。

第4回裏日本大会を終えて