山下公園に面しているメルパルクに
年に一度くらい行く用事があるのですが
今回は久しぶりにほんの少し公園を散歩しました。
若い頃良く行ったところです。
丁度黄砂が降っていて沖は霞んでいました。
私はマスクをかけて散歩です。
氷川丸の纜に鴎が並んでいます。
黄砂降る中にありけり氷川丸
纜に並ぶ鴎やつちぐもり gura
バラ園は芽吹きを待つばかりです。
最寄りの駅(みなとみらい線の元町・中華街4番出口)まで
歩き出したら「横浜人形の家」3Fでひな人形展をやっているのが
目に入りましてふと足が引き込まれた感じで入りました。
2月9日から3月9日まででした。
横浜人形の家HPはこちらからどうぞ。
公園通りから直接4階に上るエレベーターもありますし
外階段から二階に上がりますと
写真の左手が人形の家です。
入口の外にあった青い目のお人形
中は勿論撮影禁止です。
なかなか見ることのできない雛人形、雛道具が
展示されていましてその数500点ということです。
ひな人形の貌は作られたその時代の美を表現しているのでしょうか。
~雛に見る宮廷文化の華やぎ~というサブタイトルですが
確かに華やぎですね。それでいて見ていると落ち着いてきます
から不思議です。やはり備わった気品・品格によりましょうか?
3階のひな人形のみ見て帰ろうと思っていたのですが
2階では野口雨情の「青い目の人形」のメロデイが流れていて
のぞいてみたのですが、自分の知らないことが如何に多いことか
思い知らされました。
大正末期、米国人の雇用を脅かすとして
日本移民の排斥運動が起こったと言うことです。
1926年米国人宣教師シドニー・ルイス・ギューリック博士の
提案により12739体の青い目のお人形が集まり
船に乗せられ横浜港に入港、日本全国の学校に
友情人形として送られました。
その後日米開戦(昭和16年)によって全国の友情人形は
焼却処分になったということですが
現在300体が見つかって残っているとのこと。
その答礼人形として第一回は1927年(昭和2年)春
市松人形58体が横浜港から送られたということです。
青い目のお人形も
市松模様の日本人形も飾られていましたが
かなり大きい立派なお人形です。
野口雨情の「青い目の人形」はそれより
前から歌われていたということですが。
青い目をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド
日本の港についたとき
いっぱい涙を浮かべてた
「私は言葉がわからない
迷子になったらなんとしょう」
やさしい日本の嬢ちゃんよ
仲良く遊んでやっとくれ
子ども頃に良く口ずさんでいましたが、こういう時代背景が
あったことをこの歳になって知りました。
しんそう学苑館林研修4月入学生を募集中です。
詳細は下記までお気軽にどうぞ。
しんそう館林木戸 電話 0276(74)0956
読んで下さってありがとうございました。
形をなおすしんそう館林木戸
年に一度くらい行く用事があるのですが
今回は久しぶりにほんの少し公園を散歩しました。
若い頃良く行ったところです。
丁度黄砂が降っていて沖は霞んでいました。
私はマスクをかけて散歩です。
氷川丸の纜に鴎が並んでいます。
黄砂降る中にありけり氷川丸
纜に並ぶ鴎やつちぐもり gura
バラ園は芽吹きを待つばかりです。
最寄りの駅(みなとみらい線の元町・中華街4番出口)まで
歩き出したら「横浜人形の家」3Fでひな人形展をやっているのが
目に入りましてふと足が引き込まれた感じで入りました。
2月9日から3月9日まででした。
横浜人形の家HPはこちらからどうぞ。
公園通りから直接4階に上るエレベーターもありますし
外階段から二階に上がりますと
写真の左手が人形の家です。
入口の外にあった青い目のお人形
中は勿論撮影禁止です。
なかなか見ることのできない雛人形、雛道具が
展示されていましてその数500点ということです。
ひな人形の貌は作られたその時代の美を表現しているのでしょうか。
~雛に見る宮廷文化の華やぎ~というサブタイトルですが
確かに華やぎですね。それでいて見ていると落ち着いてきます
から不思議です。やはり備わった気品・品格によりましょうか?
3階のひな人形のみ見て帰ろうと思っていたのですが
2階では野口雨情の「青い目の人形」のメロデイが流れていて
のぞいてみたのですが、自分の知らないことが如何に多いことか
思い知らされました。
大正末期、米国人の雇用を脅かすとして
日本移民の排斥運動が起こったと言うことです。
1926年米国人宣教師シドニー・ルイス・ギューリック博士の
提案により12739体の青い目のお人形が集まり
船に乗せられ横浜港に入港、日本全国の学校に
友情人形として送られました。
その後日米開戦(昭和16年)によって全国の友情人形は
焼却処分になったということですが
現在300体が見つかって残っているとのこと。
その答礼人形として第一回は1927年(昭和2年)春
市松人形58体が横浜港から送られたということです。
青い目のお人形も
市松模様の日本人形も飾られていましたが
かなり大きい立派なお人形です。
野口雨情の「青い目の人形」はそれより
前から歌われていたということですが。
青い目をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド
日本の港についたとき
いっぱい涙を浮かべてた
「私は言葉がわからない
迷子になったらなんとしょう」
やさしい日本の嬢ちゃんよ
仲良く遊んでやっとくれ
子ども頃に良く口ずさんでいましたが、こういう時代背景が
あったことをこの歳になって知りました。
しんそう学苑館林研修4月入学生を募集中です。
詳細は下記までお気軽にどうぞ。
しんそう館林木戸 電話 0276(74)0956
読んで下さってありがとうございました。
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