今回も『◯◯年前の今日』でお付き合いください。
いまから17年前の1998年2月18日は・・・
長野オリンピックの開催期間中だった為、
臨時列車が増発された篠ノ井線を撮影していました。
こちらは定期列車ではありますが・・・
下回りがグレーな事からも分かるようにJR東海の115系です。
『快速 みすず』として飯田線内から長野駅まで乗り入れていました。
撮影場所は明科駅の長野寄りと思います。
写真左側に架線柱らしきモノが立っていますが・・・
これって、留置線?でも作る予定があったのでしょうか(謎)
さらに・・
この写真の跨線橋の下辺りの勾配を見ていて・・・
この写真を思い出しました。
こちらは1979年3月27日、長野から松本へ向かう
篠ノ井線の列車内から撮影した写真でして・・
何処で撮影したのかが分かりませんでした。
ただ、この前のコマは姨捨駅。
次のコマは松本駅での撮影だった事に加え、
165系の向かう先の勾配具合と曲り具合などから
もしかすると明科だったのでは??と思いついたのですが・・・
ただひとつ問題点が!!
それは、山の遠近感に少々無理があるかな?という事です。
でも、山の稜線は似てなくもないような・・・^^;
思いっきり、的外れの可能性もありますが・・
真相や如何に??
いまから17年前の1998年2月18日は・・・
長野オリンピックの開催期間中だった為、
臨時列車が増発された篠ノ井線を撮影していました。
こちらは定期列車ではありますが・・・
下回りがグレーな事からも分かるようにJR東海の115系です。
『快速 みすず』として飯田線内から長野駅まで乗り入れていました。
撮影場所は明科駅の長野寄りと思います。
写真左側に架線柱らしきモノが立っていますが・・・
これって、留置線?でも作る予定があったのでしょうか(謎)
さらに・・
この写真の跨線橋の下辺りの勾配を見ていて・・・
この写真を思い出しました。
こちらは1979年3月27日、長野から松本へ向かう
篠ノ井線の列車内から撮影した写真でして・・
何処で撮影したのかが分かりませんでした。
ただ、この前のコマは姨捨駅。
次のコマは松本駅での撮影だった事に加え、
165系の向かう先の勾配具合と曲り具合などから
もしかすると明科だったのでは??と思いついたのですが・・・
ただひとつ問題点が!!
それは、山の遠近感に少々無理があるかな?という事です。
でも、山の稜線は似てなくもないような・・・^^;
思いっきり、的外れの可能性もありますが・・
真相や如何に??
的は外れていたようですが(汗)、感謝感激です!!
リンク先の画像を見てきましたが、平瀬信号場に間違いないですね(驚)
わざわざお調べ頂きまして、ありがとうございました♪
また、架線柱のご解説もありがとうございます。
これが木製だったなら、旧線も疑ったとは思うのですが、
見た目の綺麗さに騙されてしまいました^^;
冬には積雪もあるだろうと思うのですが、風化し難いのでしょうかね??
旧線とのご教示、ありがとうございます。
見た目は新しそうなので、建設途中のモノかと思っていました。
新線のトンネルは勿体ないですね・・
篠ノ井線が複線化されていたなら、現在とはまた違った流れに
なっていたのでは??と考えてしまいます。
1枚目の留置線?ですが、ここは明科~西条間の新旧付け替えの分岐点で、架線柱が真新しいように見えますが、篠ノ井線電化が73年で付け替えが88年で、旧線の電化使用期間が15年ほどで、何年か前に私が訪れた旧線上にあった潮沢信号所跡などにも新しい様な架線柱が何本もあったので、この写真の柱も旧線時代のものと思われます。
さて2枚目の場所ですが、似てはいるように見えますが、新線切り替えが88年なので79年当時に線路が新線の右上上り勾配になっているのは符合しません。しかし篠ノ井線に他にこの写真のような後ろに山が見える駅はないですね・・・。と、あきらめかけましたが、どうやらここの様です!http://morikoro2.web.fc2.com/staguide/stations/shinonoi/hirase/index.html
線路の勾配・曲がり具合、左に背の高い木が何本かある様子が一致しています。
明科―西条間は電化されてから新線に切り替えられましたから、明科駅の長野寄りで架線柱だけ残っている所は、元の線路敷ではないかと思います。新線はトンネルも複線仕様で掘られていますが、高速道に押されて複線化が実現しないのは残念でもあります。