ショッポーの趣味部屋

鉄道・旅行・散歩・・たまにグルメ?の、のんびりブログです。

オーテーの思い出

2022-04-05 22:14:50 | 旧 構内係の部屋

今回は昨日投稿しようと思っていた画像で・・・

 

タキ44000形式の44159です。

 

1996年11月、篠ノ井線でのEF64貨物を撮影中、一際

綺麗な同車に目が止まり撮影したように思います。

 

『オーテー(OT)』と呼ばれていたこの青いタンク車を

1980年代に某操車場で構内掛として働いていた頃に

よく扱っていました。

自分のいた操車場は、周辺の石油プラントから出荷される

油類も多く、特に青いタンク車で組成された列車の行き先

は南松本や西上田だったような記憶です。

入れ換えにより組成された貨車の両数は覚えていませんが、

20〜30両位だったでしょうか。

その編成は突放により出発線へと据え付けます。

時にはその列車の牽引機がすでに待機している事もあり、

そんな時は少々緊張したものです。

貨車には手ブレーキが備えられていて、この画像では車体

右側の白い手すりのあるデッキ上の、大きなハンドルを

ガラガラ回す事により、ブレーキ操作をします。

勢いよく突放された20〜30両のタンク車は満載状態。

一両あたり44tなので、単純計算で1000t前後。

それを一人でブレーキ操作し、目的の位置に停める訳です。

ブレーキをかけた時の、タンク内の油が波のように動く感覚は

今でもよく覚えています。

速度が速過ぎる時は、一両のブレーキ力では足りないので、

2両目に乗り移り操作する事もしばしば。

 

そんな危険な突放作業故、いろいろと事故もあり・・・

自分が退職する頃には出発線への据付作業は全て入換機関車に

よる押し込み作業となっていました。

 

なんてな事を思い出した、1996年晩秋の篠ノ井線でした。

 

 

 

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タキ64000の思い出

2021-06-05 14:28:19 | 旧 構内係の部屋

今回は久しぶりに『構内係』時代の思い出話を。

 

自分の働いていた操車場は工業地帯の近くで、

出入りする貨車の割合もタンク車が多数を

占めていました。

いま思えば、趣味的にも大変興味深い貨車も

いたはずですが・・・

当時は鉄道趣味から遠ざかっていたため、

あまり気に留める事もなかったのですが・・

 

ある日の点呼時に、『近々、日本一大きな

タンク車が入ってくるので扱いに注意』

といった報告がありました。

 

『日本一大きなタンク車』

流石にこの言葉には興味津々(笑)

果して、数日後にその貨車が入ってきました。

 

形式名はタキ64000。

その名の通り、64t積みのタンク車です。

異径胴の長〜いタンク体に、三軸台車を装備。

威風堂々としたその姿は、まさに日本一!!

写真に撮らなかった事が悔やまれます。

 

こちらは後年になって購入した安達模型のキット。

購入してから30年ほど経ちます^^;

 

タキ43000の大型版といった感じでしょうか。

 

三軸台車を履いたタンク車は50t積みの

タキ50000がいましたが、それよりも断然

スタイリッシュ。

早く組み立てたいところですが・・・

”腕”の問題があり、なかなか着手出来ません。

 

閑話休題

このタキ64000は全2両という小世帯で、

たしか『根岸駅常備』だったかと思います。

黒い大きなタンクにカルテックスのマークが

似合っていました。

自分が在籍していた間に数回入って来ましたが、

返す返すも写真を撮らなかった事が悔やまれます。

 

 

 

 

 

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目印の話

2018-12-22 22:31:32 | 旧 構内係の部屋
今回は久しぶりに『構内係の部屋』書庫への投稿です。


1980年代に某操車場で構内係として働いていた頃。
当時は未だ様々な貨車が存在していました。


それらの貨車の入換で行われるのが『突放(とっぽう)』です。
簡単に説明すると・・・


その前に、まずは役割から。
入換は、ひと班5人体制で全体を指揮する『操車』
転轍機を操作する『転轍』
貨車を切り離す『切り屋』
貨車を連結させる『受け屋』が二人。といった案配で・・


『操車』の指示で貨車を推進で機関車が押す。
ある程度の速度で『切り屋』が連結器のピンを外し、機関車がブレーキを掛けると・・
貨車だけが惰力で走って行き、それに『受け屋』が飛び乗り、手ブレーキを掛けて
ある速度まで落とし、停まっている貨車に連結させるのですが・・・
三本の線を使い、次から次へと”突放”しているため、『受け屋』は一回の貨車に
ず~っと乗っている訳には行かず、飛び乗ってブレーキを掛け、速度を落とすと、
飛び降りて貨車を”流し”、次にやって来る貨車を待つわけです。


そこで問題となってくるのが『手ブレーキ』の位置。
車体側面の両側に付いているタイプならば良いですが、片側にしかないタイプが来たら、
ちゃんと『手ブレーキ』のある側で待ち受けなければいけませんよね。


そんな時、一目で『手ブレーキ』が左右どちらに付いているか判る目印が・・
イメージ 1
↑で示した『二本の白線』です。
これにより、夜目でも『手ブレーキ』の位置が把握できるという”優れもの”です(笑)


両側にあるタイプは白線も両側にあり、タンク車やコンテナ車など、『手ブレーキ』が
デッキ上にあるタイプは、そのデッキのステップが白く塗られているという案配です。


そんな目印が頼りの突放でしたが、新米のうちは貨車を”流す”速度を上手く捉えられずに
貨車同士を強く当ててしまったり、途中で停まってしまう”不連結”を作ったりして、
先輩の『操車』にドヤされたりしたのも、今となっては良い思い出です。






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踏切の思い出。

2017-08-26 21:45:14 | 旧 構内係の部屋
今回は久しぶりに構内掛として働いていた頃の思い出話を。

当時働いていた操車場からは、3本の専用線が出ており、
それぞれいくつもの踏切がありました。
工場地帯ですので、各工場への出入り口や、大型トラックなどが
バンバンと行き交う片側二車線の大きい道路を横切る踏切など
大小様々です。


中でも、(仮にU線としておきます)は、沿線の石油ターミナルから
積み出されるタンカー列車が主で、列車本数の設定も多く
需要が高まる冬場などは重連牽引となるほどの線です。


そのU線から操車場へ戻る列車は、途中の運河橋を乗り越えて来るため
橋を下り切ると結構なスピードになっています。
何せ油類が満タンのタンカー列車ですから(汗)


自分たち構内掛も機関車に添乗して操車場へと戻るのですが・・・


やがて緩やかなカーブを曲がると場内信号機が見えてきます。
その手前には大きな踏切があります。
厄介な事に、その踏切の直ぐ近くに大きな交差点があり、トラックが
踏切を支障していることが極稀にありました。


幸いな事に、事故になったことはありませんでしたが、そんな理由から、
場内信号と踏切の安全が見えてくるまでは、いつもヒヤヒヤしたものでした^^;


そんなU線とは対照的に、朝夕一本ずつの列車設定しかないC線がありました。
こちらは、沿線に点在する工場への化学薬品を積んだタンク車と、埠頭へと
陸揚げされた穀物類を積んだワム車が主な荷でした。


このC線にも大きな踏切が数ヶ所ありました。


ある冬の日の夕方。
埠頭での入れ替えを終え、工場から数量の空車タキを連ね、操車場へと戻る時に
踏切の遮断桿を壊してしまった大型トラックがいました。
列車は緊急停止し、トラックの運転手さんは平謝りです。
壊してしまった遮断桿を弁償してもらうため、トラックを保線事務所まで
案内する事になり、その案内役を自分がする事に・・・


列車は一足先に操車場へと発車していきました。
トラックの助手席に乗り込み、『さて、それじゃあ行きますか』と言うと、
運転手さんが申し訳なさそうに『埠頭で先に荷下ろしだけさせてもらえませんか?』と
お願いされてしまいました。
たぶん、着荷の到着時刻の約束事でもあったのでしょう。
何も考えずに、『いいですよぉ』と了承。
埠頭の事務所でストーブにあたりながら、運転手さんに買ってもらった
缶コーヒーを飲みつつ、しばらく待ちました。


そんなこんなで埠頭を出る頃には陽もとっぷりと暮れ・・・
無事、保線事務所へと案内し、構内本部へ戻ってみると・・・


帰ってきた自分を見て、みんなが驚いています・・・??
なんか、全体的に騒ついているし・・・


直ぐに助役が飛んできて、『こんなに遅くまで何してたんだ!!』と、怒っています。
どうやら、あまりにも自分の戻りが遅いので、どこかへ連れ去られちゃったのでは??
と、大騒ぎになっていたそうです^^;


当時は、『遮断桿の弁償がしたくないくらいで、どっかへ連れ去るわけないじゃん!』
なぁんて思っていましたが、電話の一本も入れるのが社会人としての常識ですよねぇ(反省)
まぁ、その辺のことは”若気の至り”ということにしておいてください^^;

イメージ 1
こちらの画像は再掲かと思われますが、工場地帯の踏切ということで・・・


1978年7月2日、鶴見線 浅野駅?にて。


長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。




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カンテラの思い出。

2014-02-10 19:33:05 | 旧 構内係の部屋
一昨日から昨日にかけて、東京では45年ぶりという
27cmの積雪でしたが、昨日今日で大分融けてきましたね。


昨日の雪景色を見ていて、'80年代前半に某操車場で
構内係をしていた頃の事を思い出しました。


操車場で雪といえば、『カンテラ』です。


『カンテラ』をご存知でない方の為に簡単に説明しますと
早い話しが小さな石油ストーブです^^;
(融雪カンテラで画像検索すると出てきます)
これを可動部が凍結しないように、転轍機の下で燃やすわけです(電動転轍機のみ)


自分のいた操車場は、いくつあるのか数えた事もないほど
沢山の転轍機があり、電動のモノも沢山ありました。
冬になる前に『カンテラ』を置くスペースを掘っておき、
雪の予報が出ると、いよいよこの『カンテラ』をセット。
そして、いざ降り出すと一斉に点火します。


夜などは、あちらこちらで小さな炎が揺らめき、
独特の雰囲気がありました♪
などと呑気な事ばかりも言ってられなく・・・
燃料の補充を怠ると、すぐに不転換が発生してしまうため、
こまめな燃料補充が必要で骨が折れました。


さらに・・・
置く位置を間違えると、枕木が燃えてしまいます^^;


遠目に見て、『お~、よく燃えてるな~♪』と思い、
近づいてみると枕木が燃えている・・・
そんな事が何回もありました(苦笑)




イメージ 1
こちらは雪景色ではありませんが・・・
1994年9月17日、男鹿線 男鹿駅で撮影した転轍機です(手動ですが・・汗)




近年では、電熱による融雪機が大勢を占めているようで
『石油カンテラ』の出番も少なくなっているようですね。


あの幻想的な風景も、昭和とともに遠くになりつつあるのでしょうか・・・






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