今回は久しぶりの『反省部屋』書庫への投稿です。
1993年2月20日早朝。
前日深夜からの、横川駅での客車『能登』や『シュプール号』の
バルブ撮影を終えた帰り道。
久しぶりの”完徹”でハイテンションになっていたショッポーさんは、
ものはついでと、上りの『能登』も都内で撮影することに・・・
時刻的に尾久界隈ならばなんとか露出も上がるだろうと目論んだようですが、
結果はご覧の通り・・
F4のオートフォーカスが追てゆけず・・
散々な結果に・・・
普段ならば『置きピン』するであろう状況で、なぜオートにしたのか・・
そもそも、雪を抱えた62を踏切付近で正面がちに狙ったほうが良かったのでは?
悔やんでも悔やみきれません。
”完徹”明けのテンションが高いだけの状態で狙うべきではなかった・・・
嗚呼・・・
1993年2月20日早朝。
前日深夜からの、横川駅での客車『能登』や『シュプール号』の
バルブ撮影を終えた帰り道。
久しぶりの”完徹”でハイテンションになっていたショッポーさんは、
ものはついでと、上りの『能登』も都内で撮影することに・・・
時刻的に尾久界隈ならばなんとか露出も上がるだろうと目論んだようですが、
結果はご覧の通り・・
F4のオートフォーカスが追てゆけず・・
散々な結果に・・・
普段ならば『置きピン』するであろう状況で、なぜオートにしたのか・・
そもそも、雪を抱えた62を踏切付近で正面がちに狙ったほうが良かったのでは?
悔やんでも悔やみきれません。
”完徹”明けのテンションが高いだけの状態で狙うべきではなかった・・・
嗚呼・・・