青シソの実を取りました。
朝漬けに入れたり、かき揚げに入れたりと重宝します。
洗って、さっとゆでて、タッパーに入れて冷蔵庫に
入れて、保存すると結構持ちます。
旭川に単身赴任していた時は、味噌や醤油漬けにしても
食べていました。
季節を感じさせる食材です。
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孫娘の七五三の着物は買ってはありましたが、
家内が右手首を骨折したため、サイズ合わせが
できないままでした。 着物を持って、孫娘に
会いに行くか、来てもらうかのタイミングが
なかなか一致しないので、メールで、採寸して
もらいました。
リボン
半襟
リハビリの成果か、孫の為か、何とか家内の右手でも
半襟が縫い付けられる様に、なってきました。
孫の寸法は、この衣装のままで、着付けで調整できる
範疇なので、ラキーでした。
やれやれ
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まだ、見ていない行田のたんぼアートに
行って来ました。 とにかく、稲刈りが
終わったら、見られないと、あっせって
行きました。
実際には、毎年10月半ばの刈り入れでした。
今年は、行田を舞台にしたTBS日曜劇場のPRで
陸王のたんぼアートもありました。
入場料の20%offクーポンを忘れて行きましたが、
入り口でQRコードの表示があり、スマホを
かざすとクーポンがダウンロードできたので
助かりました。 ガラ携からスマホに替えて
初めての、クーポン割引の恩恵に浸りました。
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隣町、本庄市の気になるスポットに行って来ました。
1.本庄市立歴史民俗資料館
旧本庄警察署で、134年前の建物ですが、戸建て
住宅のデザインになりそうな建物でした。
建て増しで若干迷路のような内部ですが、懐かしさを
感じさせます。
ここには、笑う埴輪がありました。
3体で紹介されていましたが、1体は貸し出し中か
展示されていませんでした。 管理人に聞くと
展示品に関する知識はなく、鍵管理のみの、シルバー
さんの様でした。
もう一つ気に入った埴輪が
日傘でしょうか? 良い味出しています。
こちらも良かった
実用的な弥生時代より、凝った飾りのある縄文の
土器の方が情熱的ですね。
2.旧本庄商業銀行煉瓦倉庫
ちょっと前まではケーキ屋さんだったところ。
繭を担保にお金を貸していた銀行の繭の貯蔵倉庫で
内壁を漆喰を塗って、温度の安定化を図っていた。
本庄市では、この倉庫の保存のため漆喰を剥がし
耐震補強をして、公開し、貸し出しもしていました。
壁の漆喰の剥がし具合が抜群で、PCの壁紙に
ぴったりですよ
3.塙保己一記念館
群書類従を編纂した塙保己一。
これしか知りませんでしたぁ~。
編纂とは?? 編集して出版することとありました。
日本の古代からの、重要と思われる書物を集めて
編集しなおして、版木を起こしなおして出版。
かなり借金をしながらの事業だったらしく、子孫の
代までかかり返済したようです。豪商の鴻池からは
借金と援助をしたようで、金持ちながら良い事を
していますね。
驚いたことに、群書 類従の版木は、東京の空襲の際も
何とか類焼を免れ、出版可能とか。
また、デジタル化もされて、資料文献としても、
未だに研究に使われているとのこと。
盲目ながら、リーダーシップと先見の名がある人と
改めて感心しました。
- 以上 -
右手首を骨折して、何かとストレスがたまり気味の
家内を連れて、児玉の百体観音堂、通称さざえ堂へ
行ってきました。
このお堂は、天明3年(1783)の噴火の火砕流で
引き起こされた洪水で、利根川の伊勢崎/本庄で
収容された7百名の供養のために建立されたとのこと。
これで、さざえ堂のパンフレットが浅間山がバックの
意味が分かりました。
8/24に浅間の火砕流で亡くなった嬬恋村に行った
ばかりなので、因縁を感じます。
お堂の中は百体の観音様がありましたが、木彫りは
鋳造製が盗難にあったようでその代わりとのこと。
急峻な階段の登り降りがあり、右手が使えない家内が
心配でしたが、何とかなりました。
壁画や天井絵もきれいでした。
ちょっと行ってみたい所だったので、
十分楽しめました。
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