gatagata道を行く

おばさんのよもやまばなし 食べる・歩く・俳句 by sino

「悪党芭蕉」より

2012-10-23 23:50:39 | 俳句
嵐山光三郎の「悪党芭蕉」(2006年新潮社刊)を読んでいる
残すところ60ページ
場面は芭蕉の死まで数カ月のところ

連日の歌仙で体力を消耗し、食あたりをして、熱を出して下痢をしたところで
大阪へ行かねばならない・・・(大阪が臨終の地)

この「連日の歌仙」(三十六歌仙)の仕切、今なら「連句の捌」のしごとについて
著者はとても分かりやすく、卓球の混合ダブルスに例えて、こう述べているので
ご紹介をしておこう

 芭蕉はいらだっていた。
 歌仙を仕切るのは俳諧の知識のみならず、体力を要する。歌仙は遊びでありつつ勝負であり、
句の流れを見て、場の気配に応じつつ自在に作り上げていかねばならない。発句は、次の脇句が
受けやすいように、卓球でいえば打ちやすい球を出す。脇句は、原則としては句会を主催する
主人がつける。いくら打ちやすい球を出しても、相手が下手だと返しそこねる。打ちやすい球
だから、直球を打ち返してくるものもいるし、切ってカーブをつけてくる者もいる。それをまた
打ち返すのは別の俳人で、混合ダブルスのようなものだ。言葉の球を打って、打ち返して、三十六句で
着地する。難しい球が来ると、句順を無視して割り込んで、打ちやすい球にして返してやる。
芭蕉は連衆という俳句選手をコーチする役であった。歌仙というゲームを差配するゲーム・メーカーである。


コメント (2)
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