まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

五寒ニ温…六寒一温  続きの話少し

2014年03月16日 | 日記
終日の雨…続いて雪。
三寒四温ではないよねぇ。

今日は久し振りに晴れている。
無理をしながら、右手を使う。

拭き掃除 洗濯 調理(と言っても押して切れる物だけ)
 …小学低学年の生活実習の授業よりも劣る。
部屋の戸を開け放して、空気の入れ替えをする。

心の中にも、風を入れた。

お勉強の時間です。



合歓さん(同居人)は、容赦がない。この事は前にも書いた。
俺が、俺が、俺が…地球の上に俺一人。

迎え撃つ。これも前に書いた。

まずは、言葉で……やりこめる。若さゆえの過ちでございました。
青息吐息、体力ばかり吸い取られる消耗戦。

俺が、俺が、強烈な自我を持つ相手に正攻法は無理っす。
そんだら、ゲリラ戦で……地下に防空壕も掘って…よっこらしよ。

日常は家事も育児もパートタイムもこなして…息は下がるばかり。
虫、虫、無視。
迎え撃つ(変容)という事は、どうやら受け入れる(受容)事だと気づく。

彼の中に在る差別意識を解体して理解する事が必須。

差別(さべつ)とは元来、差をつけて区別することである。
社会学においては特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為を意味する。

「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」…国際連合

「差異」について

ある物において、他の物と違う(比べてみて同じでないこと)
ある観点で同一の特徴を持つ事物の間にある自己を区別する…別の特徴の事。
違い、相違、隔たり、ギャップ…簡単にいうとそうなる。

概念『カテゴリー』の中に区別を立てる時の差異を種差という。
スコラ哲学では「差異」を種差に基づく種的差異…同一種において個物を互いに区別する個的差異の二つに分類した。
カントは同一性とともに「差異」を事物を構成する範疇とせず、反省的範疇とした。

「言語には対立しかない」とソシュールが述べたが、そのときに対立と同じ意味で「差異性」ということばも用いている。
対立によって言語は無から出現するのだが、彼(ソシュール)はその無区分、無対立の状態のほうをも「差異性」と呼んでもいる。
言語を生み出す「差異」と言語の前の無としての「差異」。
これら二つ共を理解しておかなくてはならない。

人間同士の付き合いの中で、相手と自分の差異がうまらないと思う時、劣等感を感じる。
もしくは、優越感を感じる。
差別意識が芽生える。(差別意識)そのものは無自覚である。


私が自分の中に根強く居座っている、共依存(依存を含む)に気がついたのはもう何年も前の事。
自分の中に在る…無自覚の『差別』に気がついたのも同じ時期だったと思う。

気づかせてくれたのは、同居人(合歓)の存在が大きい。

だから、合歓さんの存在は有難い…とは思えない。

まだまだ‥先は長い。

フキノトウは花が咲きはじめています。
お味噌に入れると美味しい。













コメント
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