からくりサーカスの最後は語り継ぎたいレベルですな。
当時、フェイスレスとの決着がバトルの末じゃなかったことに、文句言う人が居たような気がするのですが。
私は好きでしたね。
フェイスレスが勝との対話の中で、自分がいかに間違っていたかを思い知らされ、自らゾナハ病の治し方を話してしまう。
納得だけど、あまりにも残酷な決着ですわ。
まず自分が兄に対して「悪いのはお前だから」と非難する根拠になった「誰かが先に好きになった相手を、後から好きになった他の誰かが掻っ攫ってはいけない」という理屈。
幼稚な理屈だけど、自ら設定したその理屈を根拠にして勝が「先にしろがねを好きになったのはナルミ兄ちゃんだから!」と、身を引いたと言われてしまえば。
お前なんかに俺の何が分かる!と一顧だにせず切り捨てることが出来なくなる。
一般的な理屈じゃなく、フェイスレス自らが考え出した理屈だから否定できないんだよな。
だってそれが正しいと決めたの自分じゃん。
そして加えて、自分のエゴを押し通して、しろがねを無理矢理自分のものにしたとして、それで僕は幸せになれたのかい?という勝の言葉。
そこも反論できない。だって、それを実行して実際、自分は幸せじゃなかったもの。
そこにディアマンティーナからの「愛の強制」
自分を好きにならないなら殺してやると言われ、他人に愛することを強制することの醜さを知る。
「ボクが他の人を好きになる権利だってあるんだよ」
この言葉を吐いたときのフェイスレスの気持ちを考えるとね。
いや、残酷ですな。
その後勝との共同作業で兄の気持ちを追体験してしまい、兄を自分を裏切った悪魔だと思うことが決定的にできなくなって。
悪いのは全部自分、自分、自分と思うしかなくなり。
最後、ゾナハ病の治し方を言うしかなくなる。
誰かを死ぬまで追い詰め、殺すことを決断するには。
自分にはその権利がある。自分は被害者だ。悪いのはあいつらだ。
そういう思いが胸になければまずできないものだ。
だから、それを保てなくなった以上、世界を救うしか無いのがね。
自業自得と言えばそれまでだけど、残酷だわ。
フェイスレス、全部捨てさせられて何も持たずに地獄に行ったんだなぁ。
(勝を救った、という事実だけが救いだったかもしれないけど)
当時、フェイスレスとの決着がバトルの末じゃなかったことに、文句言う人が居たような気がするのですが。
私は好きでしたね。
フェイスレスが勝との対話の中で、自分がいかに間違っていたかを思い知らされ、自らゾナハ病の治し方を話してしまう。
納得だけど、あまりにも残酷な決着ですわ。
まず自分が兄に対して「悪いのはお前だから」と非難する根拠になった「誰かが先に好きになった相手を、後から好きになった他の誰かが掻っ攫ってはいけない」という理屈。
幼稚な理屈だけど、自ら設定したその理屈を根拠にして勝が「先にしろがねを好きになったのはナルミ兄ちゃんだから!」と、身を引いたと言われてしまえば。
お前なんかに俺の何が分かる!と一顧だにせず切り捨てることが出来なくなる。
一般的な理屈じゃなく、フェイスレス自らが考え出した理屈だから否定できないんだよな。
だってそれが正しいと決めたの自分じゃん。
そして加えて、自分のエゴを押し通して、しろがねを無理矢理自分のものにしたとして、それで僕は幸せになれたのかい?という勝の言葉。
そこも反論できない。だって、それを実行して実際、自分は幸せじゃなかったもの。
そこにディアマンティーナからの「愛の強制」
自分を好きにならないなら殺してやると言われ、他人に愛することを強制することの醜さを知る。
「ボクが他の人を好きになる権利だってあるんだよ」
この言葉を吐いたときのフェイスレスの気持ちを考えるとね。
いや、残酷ですな。
その後勝との共同作業で兄の気持ちを追体験してしまい、兄を自分を裏切った悪魔だと思うことが決定的にできなくなって。
悪いのは全部自分、自分、自分と思うしかなくなり。
最後、ゾナハ病の治し方を言うしかなくなる。
誰かを死ぬまで追い詰め、殺すことを決断するには。
自分にはその権利がある。自分は被害者だ。悪いのはあいつらだ。
そういう思いが胸になければまずできないものだ。
だから、それを保てなくなった以上、世界を救うしか無いのがね。
自業自得と言えばそれまでだけど、残酷だわ。
フェイスレス、全部捨てさせられて何も持たずに地獄に行ったんだなぁ。
(勝を救った、という事実だけが救いだったかもしれないけど)