素振りブログ。

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古い作品を何故読まないか

2020年03月29日 00時00分00秒 | 日記
先日、コロナの影響によるアスリートの苦しみに思いを馳せる目的でフツーに幽遊白書の話を持ち出しましたけど。
この作品の話、今の若い人には通じているんだろうか?

そこがちょっと気になりました。

幽遊白書を読んでないなんてありえない。あの名作を!って言いたくなるのは分かるけど。
幽遊白書が終わったの、26年前ですよ?
連載終了時に生まれた子が、今はアラサーに差し掛かってる。
それぐらい古い作品なんだから。

私が「古い=読む人が劇的に減る」って構図を主張するのはですね。
ある意味実体験が伴ってるんですわ。

ウチ、母親がカムイ伝が好きで。
実家に単行本もあるんですけど。

断片的に作品の話を聞いては居て。
「下忍は過酷な身分差別に晒されている」「才能があっても上に行けない」
厳しい身分差別が一般常識で、その上で非日常を日常とする忍者の世界の話なわけです。
そりゃあもう、えげつない世界の話なんだろうなぁ、ってのは想像に難くないわけですわ。

一応ね、話を聞くだけでなく実際に読んだこともあるのですが。
多分、外伝の話だと思うんですが。カムイって名前の人出てこなかった気がするので。

確かこんな話だった。

凄腕の忍者が居て、あるとき、一人の女と知り合う。
忍者は、女が差し出した蜜柑を色々あって食べてしまう。
その後、忍者の身体に変化が。
蜜柑をまた食べたくなって仕方なくなり、女に「蜜柑をくれないか」とせがむようになる。
最初は女は蜜柑をくれたが、やがて、条件をつけるようになる。
「蜜柑と引き換えに、~~~を殺めて欲しいでありんす」
殺人依頼。忍者は、蜜柑欲しさにその相手が長年の戦友であっても全く躊躇わず忍術を駆使して殺める存在に変貌。
変わり果てたそんな元凄腕忍者を見て、女は一言
「人操りの忍法、人操りの蜜柑はケシの蜜柑でありんす」
女は人間を操る忍法を駆使する忍者で、その忍法・食べるとやめられなくなる蜜柑は、ケシの汁を蜜柑に深く深く沁み込ませたものだった。

わりと好きな構図の話なのよね。
ケシ蜜柑欲しさに、達人が操り人形になってしまう、っての。

ケンガンアシュラの登場人物で例えれば、檜山瞬花みたいな女が、今井コスモに蜜柑を食わせ、中毒にさせて西品治明を柔術で殺させるような。

人を道具にすることの恐ろしさ、麻薬というものの力が表現されてて、えげつなくてすごい好き。

なんですけど。
それでも、実家のカムイ伝を読もうとは思わなかったんですよね。
その外伝作品を読んで「面白い!」って思ったのに。

どーにも、古いってだけで手が止まってしまうんですよね。
もったいないのではないかと思うんですけど。

……あ、いや、違うな。
古いのが問題では無いわ。多分。

古いから、完結しているから、最終的に何冊読まなきゃいけないのかが見えるから。
だから手が止まるんだ、きっと。

全部読むのに20冊以上読まなきゃならないって見せられると、なんか躊躇してしまいますよな。
よくよく考えれば、フツーに単行本20冊以上使って完結する作品なんか、誰でもちょくちょく触れてるはずなのに。
それが多分面白いって分かってても、しんどそうって思ってしまうのよね。

火が付けば別なんですけど。

その点、アニメはいいよね。
点火役としては。

見てるだけでいいし、だいたい原作をちょっと編集して端折るから、ダイジェスト的に楽しめる。
で、最終回まで見るとすっかり火がついて、大量の原作を前にしても読むのが苦痛でなくなってる。

そうすると、過去名作今頃アニメ化の流れ、もっと続いて欲しいですねぇ。
アウターゾーンとか、ゴッドサイダーとかしてくれないかな?


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