キリンカップサッカー2005 5月27日(金)
国立霞ヶ丘競技場 19:20開始
第3試合日本(3位)0-1UAE(1位)
53,123人
優勝:10万USドル、準優勝:5万USドル、3位:1万USドル
前日までに監督は守備の陣形に集中し、攻撃よりも守り、負けない(勝よりも分け)サッカーになることを公言していた。
電光掲示板に写し出される華麗な映像に稲本と登場はなかった。ペルー戦69分という遅すぎる投入も、大黒とのホットライン形成し原動力となった好調の稲本をなぜ外すのか?(終始笑顔のアップ時からも調子の良さは垣間見れた。)
逆にペルー戦で先発起用も足をつりDFラインを崩していった坪井の起用。中澤の代用といえど彼には荷の重い役割を任命された。
[前半]
5バック2ボランチの7人で守備を固めるUAEに対し、日本は慎重に展開するよりも前に出る事を余儀なくされる。日本は左CKをサントス、右CKを小笠原が担当。イラン戦では小野(小笠原と同時先発ではなかった)が右CKを担当していたのでおやっと思っていたが途中から小野の右CKもみられるようになった。
UAEは03年自国開催のワールドユース組メンバー(コロンビアに1-0で敗れベスト8。平山、坂田、徳永、成岡、今野、永田、川島らを要した大熊ジャパンも優勝したブラジルに5-1で完敗するも、韓国、エジプト等のライバルを下しベスト8。坂田は日本人初のワールドユース得点王を獲得。)を基盤に同大会でMVPに輝いたイスマイル・マタルが攻撃の起点となって、日本の隙を付いたするどいアタックをしかける。
小笠原、鈴木がUAE選手に倒され日本のフィジカルコンタクトの弱点が浮き彫りになる。
25分小野のリフティングを連想させるトリッキーなシュートは惜しくもゴールを超える。
UAEは全体的に下がり目なため中盤での組織が不安定なため、仲間の飛出しに併せるパスで攻撃を仕掛ける。
日本は加地が得意の右サイドの上がりを何度も見せるが数人のUAE選手のプレスからクロスをあげられず、チャンスを作れない。
29分小笠原とサントスがパスを繋ぎDFラインを突破、再びボールが小笠原に戻り放たれたシュートはDFにクリアされる。
34分初の先発出場となった大黒はトップで鈴木とポジション移動を繰り返しながらボールを受けシュートを放つがGK正面でキャッチされる。
UAEは徐々に上がり始めた日本の最終ラインの裏をつき決定機を生み出していく。
44分小野がゴールエリア手前でUAEの選手にファウルを行いFKを献上してしまう。イラン戦の記憶が甦ったがカードは出ず、UAEのFKもゴールを大きく超えた。
ロスタイム2分も日本はシュートまでの過程が作れず、UAEは鋭いカウンターも正確性の低いキックから得点には結びつかず、両チーム無得点でピッチを引き上げた。
ハーフタイム、UAEは1人もピッチに出てアップをしなかった。全員でミーティングを行っていたのだろうか。試合中も宮本は田中位置を、小野は福西、サントスと細かな意識の確認を行っていた。
[後半]
前半同様日本が前線に押し込む。逆にカウンターがさらに安定してきたUAEの攻撃に最終ラインが福西、宮本の2枚のみという危険な場面も作られる等、DFラインのズレが生まれ始めた。
6分小野のドリブルからの突破から直接放たれたミドルシュートはゴールに霞む事なく、トラックに消えた。
前半左サイドよりにプレーしていた小野は後半右よりにポジションを変えてプレイ。
19分 鈴木隆行に代え玉田圭司を投入。
日本はDFラインが加地1人になってしまうなど、DFラインの悪化に歯止めがかからない。
23分アリの右サイドの突破を坪井が内側からプレスをかけるも、頭1つ抜かれシュートを打たれる。UAE先制0-1。
25分小野からゴールエリアで受けたパスを大黒がシュートを放つがバーに嫌われDFにクリアされる。
26分スピードの落ちたつぼいに変え本山を投入。負けから引き分けへもどすために高い位置からのプレッシャーを高める。
29分アジジの突破を宮本、田中の2枚でしか対応できずもなんとか危機を逃れる。
日本は前屈みの攻撃過多の意識が抜けず、あっさりと突破を許してしまう。これがこれまでの合宿の成果なのだろうか。
31分相手選手と接触した田中が脳しんとうの為、急遽召集された茶野と交代。
6月のマナマへ不安感が募る。
稲本はまだベンチを立たない。
35分福西に変え稲本がピッチへ。先のプレーよりさらに短い10分程度のプレーとなった。
ロスタイム3分もUAEの華麗かつ露骨な?時間稼ぎに日本の攻撃は冷静さを欠きネットを揺らす事はなかった。
試合終了小野はひざまずき、宮本は仰向けに倒れ、13年振りの全敗無得点でジーコジャパン3度目のキリンカップの幕を閉じた。
サポーターの大ブーイングの中、日本選手たちは頭を下げ、UAE選手はピッチ中央にむらがりキリンカップをかかげ手をつなぎ輪をつくる。
その景色がとても対照的に映った。
前半15分過ぎからすでにほころびは見え始めていた。いつまで小笠原、加地、坪井を使い続けるのか?実際何を念頭に試合を考えているのか?等方向性の見えない内容のまま。日本が仮に1点でも入れて勝ってしまうくらいなら、負けた方が先に繋がるだろうと考えて観戦していたが、サポーターとしては、やはり負け試合はあまり観たくないなと思い知らされた試合だった。
来週の金曜日、マナマの地で自分の眼前に映るのは明か暗か。
土曜の成田には笑顔で降りれることを願う。
20年の歴史を誇るキリンカップ。
日本をホストに2ヶ国を招待という形式は92年に始まる。
「無得点」「2戦全敗」は92年Jリーグ開幕を目前に初の外国人監督(オランダ)ハンス・オフトを就任し日本サッカーの未来を展望し始めた時代に、強豪アルゼンチン、ウェールズを迎えての結果だった。
時代も違えば、選手も違う。比較する事からナンセンスだ。しかし、3度目のW杯を狙う2年連続アジアチャンピオンの国がテストマッチの為にあえて招待した未完成の噛ませ犬チームに2敗・・・
(97年最終予選途中監督更迭騒動を初めて起こした加茂ジャパンは3大会連続1位)
今の日本チームが必要不可欠なタクティクスを備えるために世界に誇る情報収集力と財力で調べあげ、日本が世界に誇る選手を複数投じて弾き出された結果がこれである。
ポジィティブな解説者の中には「ここで負けていたおかげで本番までに修正できるのでは?」という意見も多数あがっていた。可能性はもちろんある。移動時間を差し引いても・・・5日弱。世界にもひけをとらないエリート集団、日本サッカー協会強化委員会がオンザピッチ、オフザピッチ駆け回り、あらゆる条件の対応策を練る間も惜しんで模索しているはずだ。安心できる程の保証はほとんどないが。
[キリンカップ 1992~2005]
2005年 ジーコ
5月22日 0-1 ペルー代表 新潟・ビッグスワン
5月27日 0-1 UAE代表 東京・国立霞ヶ丘競技場
2004年 ジーコ(ボリビア0 - 2スロバキアの為同1位)
7月9日 3-1 スロバキア代表 広島ビッグアーチ
7月13日 1-0 セルビア・モンテネグロ代表 横浜国際総合競技場
2003年 ジーコ(総当たりはなく順位無)
6月8日 1-4 アルゼンチン代表 長居スタジアム
6月11日 0-0 パラグアイ代表 埼玉スタジアム2002
2002年 フィリップ・トルシエ(総当たりはなく順位無)
4月29日 1-0 スロバキア代表 東京・国立霞ヶ丘競技場
5月2日 3-3 ホンジュラス代表 兵庫・神戸ウイングスタジアム
2001年 フィリップ・トルシエ(2勝1位)
7月1日 2-0 パラグアイ代表 札幌ドーム
7月4日 1-0 ユーゴスラビア代表 大分スポーツ公園 総合競技場 ビックアイ
2000年 フィリップ・トルシエ(ボリビア0 - 2スロバキアの為同1位)
6月11日 1-1 スロバキア代表 宮城スタジアム
6月18日 2-0 ボリビア代表 横浜国際競技場
1999年 フィリップ・トルシエ(ベルギー対ペルーが1-1の為3位)
6月3日 0-0 ベルギー代表 国立
6月6日 0-0 ペルー代表 横浜国際
1998年 岡田武史(パラグアイ対チェコが0-1の為2位)
5月17日 1-1 パラグアイ代表 国立
5月24日 0-0 チェコ代表 横浜国際
1997年 加茂周(2勝1位)
6月8日 4-3 クロアチア 国立
6月15日 1-0 トルコ 大阪・長居
1996年 加茂周(2勝1位)
5月26日 1-0 ユーゴスラビア 国立
5月29日 3-2 メキシコ 博多の森
1995年 加茂周(スコットランドと並ぶ勝点も得失点から1位)
5月21日 0-0 スコットランド 広島ビックアーチ
5月28日 3-0 エクアドル 国立
1994年 パウロ・ロベルト・ファルカン(オーストラリアと並ぶ勝点も得失点から3位)
5月22日 1-1 オーストラリア 広島ビックアーチ
5月29日 1-4 フランス 国立
1993年 ハンス・オフト(ハンガリーアメリカがドローで2位)
3月7日 0-1 ハンガリー 博多の森
3月14日 3-1 アメリカ 国立
1992年 ハンス・オフト
5月31日 0-1 アルゼンチン 国立
6月7日 0-1 ウェールズ 愛媛