4年周期の証明 日本のサッカー大好き!

サッカーについて語るときに私の語ること サッカー大好き ジャパンフットボールで一期一会 記事上ノくーろん者。

初戦

2006年11月30日 01時10分48秒 | ニュース
第15回アジア競技大会2006 ドーハ
11月29日(水)23:15(日本時間)
カタール・Qatar Sports Club Stadium
U-21日本代表 3 vs 2 U-23パキスタン代表

U-21初の国際試合となったアジア大会初戦
激しいラフプレー、ソックスが裂ける程のプレーにも笛をならさない主審
格下相手といってもなれない中東での試合は日本にとって足枷となった。
しかしあきらかな技術の差は一目瞭然、それでも繋いで繋いで持ち込むもカットされる続ける日本は再三のチャンスをいかせず2点で前半を終える。
プレスをしない相手チームに対し動きの遅い守備陣、不安定なDFとGKとの連係等課題も多く見られた。平山の調子も回復の兆しは見えず動きに精細を欠いていた。
後半追加点を奪うも、60分に日本のファウルから失点。その後はパキスタンが勢いを見せ日本ゴールを襲う。
日本は中盤にスペースが生まれ押し込まれる時間帯が続く。
前半から日本は空中戦からボールを奪われ、ゴール付近ではあわや失点という場面をみせた。
79分を過ぎ足が止まり始めた日本、パキスタンのドリブル突破を止め切れずペナルティエリア付近に持ち込まれる。80分サイドチェンジからフリーとなったAKRAM Naveedにミドルシュートを打たれ2点目を奪われる。
日本は枠に入ったシュートを放つもGKに阻まれ追加点を奪えず。
動かない日本はパスの精度も下がり攻撃に繋げられず。逆に集中力があがったパキスタンは落ち着いたプレーを見せる。
88分相手選手へのスライディングから青山が2枚目のイエローで退場。
ロスタイム3分も日本は守備的な戦いを強いられ試合を終える。


監督 反町 康治[5.5]
3点先行からの窮地、70分以降の集中力の欠如。あきらかになった課題を修正し次戦につなげてほしい。

GK  1 松井 謙弥(磐田)[5.0]
DFとの連係に不安、失点に響く。

DF  2 一柳 夢吾(東京V)[5.0]
攻撃参加から日本の手数を増やす。

DF  4 水本 裕貴(千葉)=Cap.[5.0]
落ち着いたプレーで守備ラインをまとめる。

DF  6 青山 直晃(清水)[5.0]
55分負傷の影響から自らピッチを出てしまう。

→57分DF  5 田中 輝和(大宮)[5.0]
右サイドの駆け上がりからチャンスを作る。

MF  8 本田 圭佑(名古屋)[6.0]
正確なFKから先制点を奪う。パス、トラップのミスが目につく。

MF 10 増田 誓志(鹿島)[5.5]
時折ミドルシュートを放つ等攻守に貢献。

→84分MF  7 本田 拓也(法政大学)[5.5]
ダブルボランチを担う。

MF 15 青山 敏弘(広島)[5.0]
60分ハンドからファウルを奪われFKを献上。失点に繋げてしまう。88分2度目のファウルで退場。

MF 16 谷口 博之(川崎F)[6.5]
2、3点目を奪う。難しい位置から決定的なチャンスを決める。

FW  9 カレン ロバート(磐田)[5.5]
72分にはドリブル突破を見せる等ゴールを狙う姿勢をみせるも得点を奪えず。

FW 11 平山 相太(F東京)[5.5]
放つシュートはほとんどが枠外。トラップミス等足下のプレーも不調。

→77分FW 19 前田 俊介(広島)[5.5]
84分にはドリブル突破からシュートを放つも枠をそれる。

FW 20 辻尾 真二(中央大学)[5.5]
攻撃の軸として前線でプレー。

サブメンバー
GK 18 佐藤 昭大(広島)
DF  5 田中 輝和(大宮)
MF 12 高萩 洋次郎(愛媛)
MF 13 山本 脩斗(早稲田大学)
FW 17 萬代 宏樹(仙台)
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解雇から新天地へ

2006年11月29日 08時39分12秒 | ニュース
世界の舞台に立った秋田、中西、平野が戦力外
カズ、山口、小村のいる横浜FCに行けばB代表に近づくか。
話題性だけでなくJの未来の為にもなんとか実現してほしいもんだ。



 横浜が28日、MF奥大介(30)ら元日本代表4人に戦力外通告。チームは現在11位。2年連続で成績が低迷し根幹から立て直すため、奧のほかに96年アジア杯に出場したGK下川健一(36)、98年W杯フランス大会に出場のDF中西永輔(33)、MF平野孝(32)の放出を決めた。来年の横浜・みなとみらいへの移転で予算縮小も避けられないだけに、ベテラン勢の高年俸もネックになった。
 来季に向けては、U―21代表のMF乾(野洲)やユニバーシアード代表のMF小宮山(順大)ら有望新人の加入が決まっており一気に世代交代を進める。MF奥は岡田前監督の下で03、04年の連覇を達成。04年は主将を務めるなどチームに貢献してきたが、今季はケガなどもあってリーグ戦15試合の出場。またDF中西も今季はリーグ戦3試合の出場のみとベンチ外が多く、前回所属していた03年に続く2度目の戦力外通告。

 名古屋の元日本代表DF秋田豊(36)が退団決定。クラブ側からは来季のユース・コーチ就任を打診されたが、秋田は現役続行に強い意欲を示し固辞。今後はJ2も視野に移籍先を探っていく。
 日本代表として45試合に出場している秋田は、1998年のW杯フランス大会で日本の全3試合にフル出場。2002年日韓大会も代表入りした。93年のJリーグ創設期から鹿島の守備の要として活躍。04年に名古屋に移籍し、これまでJ1史上最多の390試合に出場している。今季は主に控えでリーグ戦はこれまでわずか11試合の出場で2得点。
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実際問題

2006年11月29日 08時38分32秒 | ニュース
知り合いのレッズサポは東京側のチケットで入ってレッズ側に潜り込むと言っていた。
きっとほとんどのレッズサポがそうしていたんだろう。
東京側の意見も虚偽ではないと思う。
実際人が入らず喜ぶ関係者もいないし、レッズサポはどんな手段をもってしても入り込むもんだ。



 悲願の優勝がかかった26日、FC東京のホーム、味の素スタジアム。
 味スタには悲願の瞬間を目にしようと、真っ赤なサポーターが大挙。スタジアム周辺には「チケットを譲ってください」と張り紙を出して哀願する“チケット難民”が列をなしていた。発表された観衆は4万1528人。報道陣には大入り袋まで配られた。
 ところが、アウエーである浦和側は割り込むすきもないほど真っ赤に埋まったが、ホームであるFC東京側の2階席はガラガラ。意図的に浦和サポーターを排除したと思われても致し方ない。
 ある浦和関係者は「うちのスタッフでもチケットを買いたいとFC東京側に問い合わせたが、完売と言われたようです。でも、完売でアレはないでしょう」と露骨な浦和サポーター締め出しに不快感を示した。「もしかしたら、転売目的でチケットを購入した人が多く、それが売れなくて、あんなに空席ができたのかも」と話す関係者も。
 FC東京側は「サポーターが浦和側に移動したため空席が発生した」と反論。
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4年後のエースへ

2006年11月28日 13時26分48秒 | ニュース
6月にピークを持ち込めなかった事が今だに悔やまれる。



セルティックMF中村俊輔(28)が、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が選出する「06年で最も人気のある選手」の候補30人(RマドリードMFベッカム、元フランス代表MFジダンら)に選出。
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4年振りメキシコと

2006年11月27日 17時28分50秒 | ニュース
3年前のアジア選手権でも韓国に敗れ獲得できず、メキシコとのプレーオフで掴んだ出場権も本大会は予選ラウンドで終了。
翌年のアテネ五輪も初戦の1勝で終わった。
中国ではまず2勝を目指し、そして翌年再び同国に立って欲しい。



FIFA 女子ワールドカップ USA 2003予選 プレーオフ
2003.07.05 2 △ 2 メキシコ メキシコシティ/メキシコ
2003.07.12 2 ○ 0 メキシコ 国立霞ヶ丘競技場

FIFA 女子ワールドカップUSA 2003
09.20 6 ○ 0 アルゼンチン コロンバス
09.24 0 ● 3 ドイツ コロンバス
09.27 1 ● 3 カナダ フォックスボロ

アテネオリンピック2004
08.11 1 ○ 0 スウェーデン ボロス
08.14 0 ● 1 ナイジェリア アテネ
08.20 1 ● 2 アメリカ テッサロニキ

サッカーの2007年女子ワールドカップ(W杯)中国大会の北中米カリブ海地域予選を兼ねたゴールド・カップは26日、米カリフォルニア州カーソンで3位決定戦を行い、メキシコが3-0でジャマイカを下した。メキシコは、女子W杯の出場権を懸け来年のプレーオフで日本と対戦。
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昇格と降格

2006年11月26日 19時07分25秒 | ニュース
昨年下から2番目だった横浜FCが1位昇格を決め
昨年1位昇格をきめた京都が一番に降格を決めた。
現在までJ2でもっとも引き分けが多く負け試合を避けきった横浜だが
J1の舞台では実力差のあるほとんどのチームに引き分けで逃げ切る事は不可能だろう。
1位通過でスポンサー枠を増やし過大な選手入れ替えで内部分解することなく
1年目はとりあえず残留してほしい。
J1の優勝はとりあえず浦和でほぼ決まりだろう。たとえギドが控え重視の采配をしたとしても3点差で負ける可能性は低すぎる。
2日の浦和の土曜は夜が長くなりそうだ。
降格を防ぐセレッソ、福岡と昇格を狙う神戸、柏の4チームの動向もまだまだ目がはなせない。
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偽造の王国

2006年11月23日 14時03分00秒 | ニュース
浦和で爆発的な得点をたたき出した後、カタール人となったエメルソンしかり、貧困の国から大枚を求めて世界にアピールするブラジル人選手は少なくない。たしかに母国ではあらゆる原石が磨かれないまま選手生命を終えている。しかし貧困だけを理由にサッカーの歴史を狂わせる事は許される事ではない。



 ブラジルのスポーツ高裁はサッカーの同国元20歳以下(U20)代表でフィゲレンセ所属のMFカルロス・アウベルト選手に対し、年齢を5歳若く偽っていたとして、360日間の試合出場停止を言い渡した。同選手は1978年1月生まれで、実際には28歳にもかかわらず、身分証を改ざんして83年1月生まれの23歳としていた。
 同選手は2003年にアラブ首長国連邦(UAE)で行われた国際サッカー連盟(FIFA)ワールドユース選手権に出場。ブラジルは準々決勝で日本を破り、決勝ではスペインを下して優勝を果たしており、優勝資格をめぐり論議が起こりそうだ。
 同選手は詐称を認めた上で、理由について地元メディアに「家庭が貧しかった。(プロになる)機会を失いたくなかった」などと釈明。年下に交じってプレーすることで、スカウトの目に留まろうとしたことを明らかにした。同選手は99年末に書類を改ざん。
 同国では2000年にも、代表、レアル・マドリード(スペイン)監督を歴任し、現在は強豪サントスを率いるルシェンブルゴ氏が年齢を3歳若く偽っていたことが発覚。

・マルシオ・エメルソン・パッソス
 2006年1月20日、本名・生年月日の異なる2つの出生証明書を悪用していた事が判明しブラジル連邦警察に逮捕。正規である最初の方の出生届は本名「マルシオ・エメルソン・パッソス」で1978年12月6日生まれ、後に年齢詐称に悪用されたもう一つの出生届は本名「マルシオ・パッソ・デ・アルバカーキ」で1981年9月6日生まれとなっていた。日本でプレーした際は登録名は最初の出生届のもの、生年月日は2度目の方を用い、3歳分、年齢を若く申告していた。

J1リーグ通算100試合71得点
J2リーグ通算52試合50得点
~1999年 - サンパウロFC
2000年 - コンサドーレ札幌(レンタル移籍)
2001年2月~2001年7月 - 川崎フロンターレ
2001年8月~2005年7月 - 浦和レッドダイヤモンズ
・2002年 - ベストイレブン
・2003年 - JリーグMVP、ベストイレブン
・2004年 - 得点王、ベストイレブン
2005年7月~- アル・サード(カタール)

U20 ブラジル代表 99ワールドユース南米予選
(同 大会にロナウジーニョ、ロドリコ・グラウ)
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最後の10日間

2006年11月23日 13時44分04秒 | ニュース
今日を含め残りの3試合で昇格にむけチームをまとあげる城。
2003年のJ2への移籍は昨年のカズほどではないが衝撃的なものだった。
その後チームの成績はふるわず昨年はカズ、山口の加入も12チーム中11位と一部サポーターから罵声をあびる日々だった。
専用コートもシャワー室ももたない経営状況等、現在の順位に辿り着いた裏には決して楽なチーム事情ではなかったことも容易にうかがえる。
前園、小倉、ヒデにつづき90年中期以降日本のサッカーを支えた功労者の1人がまたピッチを去る。
記録的な勝利を狙うJ1の華麗な舞台の裏でまた一つの物語が終わろうとしている。

横浜FC2006年度残り試合
11/23徳島(三ツ沢 )13:00
11/26鳥栖(鳥栖 ) 14:00
12/2愛媛(三ツ沢 )14:00



城彰二
誕生日 1975年6月17日
出身地 北海道室蘭市
身長 179cm
体重 72kg
血液型 O型

J1での通算得点は95得点、中山雅史、三浦知良、藤田俊哉に次ぐ現在第4位。
1991年-1994年 鹿児島実業高等学校
(選手権大会ベスト4)
1994年-1996年 ジェフユナイテッド市原
(高卒ルーキーとしてデビュー戦でゴールを挙げ、それから4試合連続ゴール)
1997年-1998年 横浜マリノス
1999年 横浜F・マリノス
2000年1月-2000年7月 バリャドリード(スペイン)15試合出場2得点
2000年7月-2001年 横浜F・マリノス
2002年 ヴィッセル神戸
2003年- 横浜FC(J2)

1990年 ジュニアユース代表
1992年 ユース代表
1996年 アトランタオリンピック日本代表
1998年 ワールドカップフランス大会日本代表
国際Aマッチ36試合7得点

 城は今季45試合中40試合に出場し12得点。横浜FCをJ2首位に押し上げた功労者の1人だ。高木琢也監督も献身的なプレーを高く評価しており、城自身も「もう一度J1でプレーしたい」気持ちでチームを引っ張ってきた。
 しかし、左ひざは限界だった。高校時代に前十字じん帯を断裂。00年の日本代表の中国戦で再度痛めるなど古傷になっている個所だ。だましだましプレーしているが、試合後数日たっても痛みが消えないこともある。納得いくプレーができないことに悩み、8月ごろには「このひざではJ1で満足にプレーすることはできない」と今季限りでの現役引退を決意。そしてシーズン終盤にさしかかり、J1昇格の可能性が高まったことから、今月に入って奥寺康彦社長、高木監督ら幹部に引退の意思を伝えた。
 クラブ側はまだ31歳で来季も十分に戦力として働ける上に、カズと並ぶチームの顔であることから慰留に努めた。城の希望に沿い、23日の徳島戦の試合後にサポーターに直接、引退を報告することになった。
 城はJリーグ開幕2年目の94年に市原(現千葉)でデビュー。96年アトランタ五輪ではブラジルを破る「マイアミの奇跡」を起こした。日本代表として97年11月のW杯フランス大会最終予選イラン戦「ジョホールバルの奇跡」で貴重なゴールを決め、日本が初出場した98年W杯フランス大会ではエースストライカーとして3試合に先発。
 00年にはスペインのバリャドリードに移籍、日本人として初めてスペイン1部リーグでプレーした。今年引退した中田英寿氏、川口(磐田)らとともに日本サッカー躍進の歴史をつくってきた。
 引退後は指導者を目指す。既にC級ライセンスを取得済みで、B級を経て順調にいけば08年にはJリーグで監督ができるS級ライセンスが取得できる。関係者には「史上最年少でS級ライセンスを取得したい」と話し、監督としてのJリーグ復帰を目指しているという。
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見どころ

2006年11月21日 14時45分05秒 | ニュース
開幕戦から
プリンス覇者滝ニ[6年連続14回目]と国士舘(3年前出場)、修徳(昨年出場)ら強豪を敗った地元東京B暁星[13年ぶり10回目]
という稀に見る好カード。
他にも予想通りならディフェンディングチャンピオンにとって最初の壁となる国見との一戦など今年も例年通り数々の熱戦がみられそうだ。
他にも強剛をやぶって挑む、神村学園、九州国際大付同士の戦いも見てみたい。

●2回戦
・国見[21年連続21回目]ー鵬翔[4年連続11回目](市原臨海)※進出の場合
・柳沢の母校、富山第一[4年連続20回目]ー俊輔の母校、桐光[10年ぶり4回目](等々力)※進出の場合

●3回戦
・九州国際大付[初]ー神村学園[初](三ツ沢)※進出の場合
・国見ー野洲[2年連続3回目](市原臨海)※進出の場合
・プリンスリーグベスト4、総体2位初芝橋本[3年ぶり9回目]ー那覇西(10月の国体では沖縄選抜優勝)[5年連続9回目](市原臨海)※進出の場合
・青森山田[10年連続12回目]ー静岡学園[4年ぶり9回目](駒沢)※進出の場合
・プリンスリーグベスト8星綾[8年連続17回目]ー済美[2年ぶり2回目](三ツ沢)
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さらばギド

2006年11月17日 09時21分42秒 | ニュース
後期リーグ、ナビスコ、天皇杯、ゼロックス。過去最多数の栄冠を古巣にもたらし、さらには母国名門バイエルン・ミュンヘンとの提携、W杯期間中のチームドイツ合宿にも貢献した浦和の英雄。
ドイツに帰りその手腕を世界に広めるのだろうか。
来年トヨタ杯出場権に関わるACLを目前に手痛い別れとなるか。



ギド・ブッフバルト
1961年1月24日 45歳 ドイツ
シュツットガルトー浦和ーカールスルーエ
84年五輪、90,94W杯出場 A代表76試合4得点
今期は親友のクリンスマン(独監督)からのチームディレクターのオファーを断りリーグ制覇にかけた。

今季終了後、家族との生活を優先しドイツへの帰国を希望。浦和の藤口社長も理解を示す発言。インタビュー記事を掲載した16日付のドイツ紙ウェルトの中で就任3年目の指揮官は「これ以上、家族を置いてきぼりにはできない。少しゆっくりしたい」と話した。
 関係者によれば、今季序盤には既に帰国の意思を固めていた。現在、ジルビア夫人と2人の息子はシュツットガルトで生活。今月に入り、家族を来日させるなど家族思いの一面を見せていた。
 手腕を高く評価する浦和の藤口光紀社長も勇退を否定しなかった。「家族の問題があるのは事実。子供の教育などいろいろ考えるところがあるだろう」。90年W杯の優勝メンバーでもある同監督のもとには非公式ながら地元ドイツのクラブからオファーもある。ジルビア夫人は「複数のクラブから夫の連絡先を問い合わせる電話があった」とコメント。
 注目の後任には98~99年に浦和、02年から昨年までFC東京の監督を務めたOBで元日本代表FWの原博実氏(48)が最有力候補。98年には当時ルーキーのMF小野の力を見いだしレギュラーに抜てき。第2ステージ3位に躍進させた。身上はスペイン流の攻撃的サッカー。00年に指揮した斉藤和夫氏以来の日本人監督で黄金期を目指す。
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