昼下がりにクリニックの一室でなんとなく壁に掛けてあったカレンダーを外してぱらぱらとめくっていてふいに見つけたのが冒頭のプラトンの言葉、"Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle"。どういう文脈なのかは分からないけれど、そのときの自分のなかにあまりにもまっすぐに深く入ってきた言葉で、思わず泣きそうになった。誰にでも親切に、公平に、誠実に、優しくあろうとは、いつも心がけていた。心がけていてもなんとなくできないことがたまにあって、そのたびになぜできなかったのか振り返って内省することになる。でも、対峙しているその人間に対して親切であれなかったときのその理由は、少なくとも自分に関して言えば、「そのひとが、少なくとも自分と同じぐらいに、種類は違うかもしれないけれど、何かの問題を抱えていて、それと戦っている、取り組んでいる、頑張っている」、ということを心のどこかで忘れてしまっているときだと集約できると思う。つまり、何らかの理由でその人に共感できなくなっているときだ。
でも、「親切でありなさい、というのも出会う誰もが大変な戦いに挑んでいるのだから」とはまさにその通りであって、誰もが何かの問題を抱えていて頑張っているんだ、ということを常に覚えていれば、共感できない理由もなくなる。そこから相手に対するリスペクトとつながりが生まれる。普段なんとなく分かっていたことだけれど、それをこれほどまっすぐに突きつけてくれる言葉に出会ったのが嬉しかった。
でも、「親切でありなさい、というのも出会う誰もが大変な戦いに挑んでいるのだから」とはまさにその通りであって、誰もが何かの問題を抱えていて頑張っているんだ、ということを常に覚えていれば、共感できない理由もなくなる。そこから相手に対するリスペクトとつながりが生まれる。普段なんとなく分かっていたことだけれど、それをこれほどまっすぐに突きつけてくれる言葉に出会ったのが嬉しかった。
♪ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか?~ニ・ニ・ニーチェかサルトルかぁ~
みーんな悩んで大きくなった~♪
なんてふざけた歌があったのをふと思い出しました。
多かれ少なかれ、生きる者全て何かを抱えているわけですが、
事の重大さや重みというのは本人以外は感じられないわけで
そしてそれを人に話したところで絶対に第三者には完全に伝わらないけれど
やはり「親切」に接するというのは人と関わりあるときの大前提でしょうね。