昨日の夕方、息子とふたりで近所の水田の小道を散歩していると、少し離れたところに網を持った初老の農家の女性が何かをしているのが見えました。
すると息子は、
「じゃんぼたにしのたまごをとってるのかなぁ?」
と言ったかと思うと、その女性のところに向かってだーっと走っていきました。急いで私も彼を追いかけました。
「じゃんぼたにしのたまごとってるの?」
「あら、良く知ってるわね。そう、ジャンボタニシの卵取ってるの」
そう答えながら、その女性はジャンポタニシの鮮やかな赤い卵を潰しています。さらに、網でジャンボタニシをすくい上げたので、嫌な予感がしましたが、案の定、彼女はジャンボタニシを地面に落として、長靴で踏みつぶしました。バリバリ、バリバリ、生々しい音です。
これは見せたくなかったなあ、と思いましたが、仕方ありません。この場から一刻も早く立ち去りたい気持ちもありましたがもう遅いです。息子は驚嘆と好奇心の入り混じった様子で農家の女性にロックオンです。もはや回収不能です。
「どうしてつぶすの?」
「ジャンボタニシが稲を全部食べちゃうからだよ」
「つぶしちゃったらそだたないよ」
「育ってほしくないんだよ」
育って欲しくない。確かにそうだけれど、すごい響きです。「育って欲しくない」という考えは彼を混乱させるかもしれません。当然ですが「育って欲しくない」という考えは彼の日常には存在しません。
そこで私は、これまでジャンボタニシについて彼に説明してきたことを繰り返して、農家さんの行為の正当性と必要性を伝えました。
息子は恐れる事もなく、単純に好奇心を持ってその農家さんの行動を観察しながら話し続けていました。
農家さんと別れて帰路につき、息子と再び対話を始めました。
「〇〇、じゃんぼたにしにいきていてほしかったの」
「うん、そうだよね、分かる。パパもジャンボタニシに生きていてほしかった。でもね、ジャンボタニシが生きていると、〇〇が大好きな白いご飯、食べられなくなっちゃうんだ。あの青い葉っぱは稲っていって、白いご飯の赤ちゃんだけれど、白いご飯の赤ちゃんをジャンボタニシが全部食べちゃうんだ。かわいそうだけどね、ジャンボタニシは潰すしかないんだよ」
「たにしはいいの?」
「うん、タニシは稲を食べないからいいんだ。〇〇がザリガニと一緒に飼っているタニシは田んぼの水を綺麗にしてくれる。ジャンボタニシとタニシ、名前は似ているけど、全然違う生き物なんだ」
「じゃんぼたにしがごはんをたべちゃうの?」
「うん、そうなんだ」
「〇〇、じゃんぼたにしにそだってほしかった」
「そうだよね、本当だよね、ジャンボタニシが悪いわけじゃないんだし。でも農家さんにはそうする必要があるんだ」
こんな感じで繰り返し話し合い続けている中で、彼は少しずつ心の中に何かを落とし込んでいっている感じがしました。
しかし私は、自分自身がこの問題について葛藤を抱えていることを再認識しました。
たとえベジタリアンとして生きても、実は数えきれないほどのジャンボタニシの犠牲がそこには存在します。『鬼滅の刃』の「鬼のいない世界」は則、人間以外のほとんどの生物たちにとっては、「人間のいない世界」に該当します。人間以外の生物にとって、人間は鬼以外の何者でもありません。それでも我々人間はこうした矛盾や葛藤を抱えて生きていかなくてはなりませんし、せめて、命をいただくことに感謝して、食べ物を大切にしなくてはならない、という結論に私は毎回たどり着くのですが、少なくとも私の中ではいつまでも完全には決着のつかないテーマです。いつか息子もこうした経験や対話の中で、彼なりの答えを見つけてくれたらいいなと思います。