スミダマンのほのぼの奮戦記

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真田丸を追って(松代その2)

2017-06-07 04:42:12 | 旅 ~国内

松代の町並みはしっとりと落ち着いて、しみじみと城下町を

散策できる素晴らしい所だった。意外に知られていない

この町を読者の皆さんに是非おすすめしたい。

絶対に来て良かったと思うはずです。その位魅惑的な町です。

現役の松代小学校もしっかり街並みに溶け込んで

江戸時代にタイムスリップしたみたいだ。この校舎も

一見すると古そうだが、実は新築された校舎だ。

ここで教育を受けた子供達は必ず郷土愛が身に付くはずだ。

道路の道しるべにも真田の六文銭が使われている。

六文銭は町造りで至る所で使われており、

真田はこの町ではまだ現役だ。

この家紋は時代を超えて今でもデザイン性が優れている様に感じる。

手前のこんもりした山の方面に象山神社がある。

この神社には幕末の先覚者佐久間象山が祀られている。

又象山が幕末の志士たちと国家の時勢を論じたという髙義亭、

京都から移築した茶室、煙雨亭、象山宅跡、誕生の碑、

そして生誕200年を記念して建立(平成23年)されたブロンズ像等がある。

さらに奥の山の麓には太平洋戦争の遺跡「象山地下壕」がある。

太平洋戦争末期、軍部が本土決戦最後の拠点として

極秘のうちに、大本営、政府機関等を松代に移すという

計画の下にこの山に地下壕を掘削した。この象山地下壕は

総延長5853mあり、そのうち500mが公開されている。

地元の人にここは是非行って下さいと言われたが

残念ながら時間が無く行けなかった。

三方を山に囲まれた戦いの重要拠点松代城は、戦国時代に

上杉謙信と戦うため武田信玄の命により

山本勘助によって築城されたと言われている。天和8年(1622年)に

真田信之が上田城から移封されて以来、明治維新まで

真田氏10代の居城となり、北信濃の拠点的場所だった。

廃城後は城としての景観を失ったが、櫓門・木橋、石垣、

土塁、堀などの修理、復元することで、平成16年から

江戸時代後期の姿で一般公開されている。

現在日本百名城にも認定されている。

松代藩主10代をつなぐ崇厳な真田家の霊城、

真田山長國寺。ここは信州一国の曹洞宗寺院800ヶ寺を

管理総括する寺で、松代藩10万石真田家の菩提寺だ。

長國寺は天文16年(1547年)、信濃国の在地領主で

あった真田幸隆が真田郷松雄城内に一族の菩提寺として建立。

江戸幕府開幕後だった真田信之(1566年~1658年)が

松代に移封となり、それにともなって寺も現在地へ移転された。

本堂箱棟のしゃちほこ瓦は廃藩後の取り壊し迫った松代城から移設。

丈約2mの巨体。復元された松代城には再現されていない。

本堂庫院の後には重要文化財の真田信之霊屋がある。

ここは宝殿・表門。御霊屋の拝観を事前にお願いしたため、

お寺の管理者が丁寧親切に案内をし、詳しい説明をしてくれた。

この重厚な建物が重要文化財の初代藩主真田信之公の御霊屋。

万治3年(1660年)建立。桁行3間梁間4間の

入母屋造り平入り。屋根は杮葺(こけらぶき)。

いたるところに透かし彫りや丸彫りが施されている。

正面唐破風の雌雄の鶴は左甚五郎の作と伝えられている。

ここでガイドを10年間やっていると言っていた管理者が

「昨年は真田丸の影響で拝観者がものすごかった。」

押し合いへし合いで、いつも説明をしながら事故が起きて

ケガ人が出なければよいが」とヒヤヒヤしながら一年間を過ごしたと言っていた。

御霊屋内部の拝観は別途料金がかかる。格天井には

花鳥などの天井絵が描かれており、なんと驚くことなかれ

狩野派の巨匠狩野探幽の筆と伝えられている。

あまり損傷も見られず素晴らしい状態で残っている。

この写真は室内は撮影禁止の為パンフレットから引用させてもらった。

こちらはずっと地味で質素な4代真田信弘公の御霊屋。

1736年建立で建の指定文化財。この頃の藩の財政状況は

町のインフラ設備(千曲川の改修等)、農業の不振などで大変厳しくなっていた。

白土壁に囲まれた崇厳な霊城。歴代藩主10代や

その子女の墓碑がある。真田家の墓所。霊屋と墓所が一体として

残っていて、江戸時代の大名家墓所を知る上で貴重だ。

墓所の一番奥、石の鳥居があるのが初代藩主真田信之の墓。

大河ドラマ真田丸では大泉洋がその役を演じたが、

本人が墓参に来たと言っていた。

これは真田家中興の祖で信之の祖父に当たる幸隆、

伯父信綱、父昌幸(真田丸では草刈正雄が演じていた)らの供養塔がある。

これは11代当主真田幸正によって、大正13年6月に

墓所内に建立された真田幸村、幸昌(大助)父子の供養碑。

この供養塔を見ると幸村(堺雅人が演じた)の戒名は

「大光院殿月山伝心大居士」だ。

長男大助は幸村の死んだ翌日に死んでいる。

この真田家の墓所は正に真田丸そのものの場であった。