平成5年に日本初の世界文化遺産に国宝姫路城が
登録されて25周年を迎えるそうだ。平成27年に
大天守保存修理工事が終了して以降、今回で3回目の
訪城になるが、天守閣内に入ったのは初めてなので
それを中心に今回はアップします。
(参) 2015-6-18 付 PARTⅠ
2017-10-25 付 PARTⅡ
尚 姫路城に初めて来たのは忘れもしない
昭和47年2月28日、浅間山荘に警察機動隊が
強行突入した時だった。その日は城下の茶店の
TVで半日位中継に見入ってしまい、姫路城の印象が
あまり鮮明に残っていない。
姫路城築城以来400年、姫路の地に砦が築かれてから
600年を超える歴史を刻み、未来への遺産として
大切に受け継がれる姫路城。ここを舞台に多彩なドラマが繰り広げられた。
姫路城の石垣は大きく3つの世代に分類ができ、
戦国の時代から近代へ、防衛機能の強化とともに、
敵を威圧する為の力の象徴として進化してきた。
第1期 羽柴秀吉の時代 ・・・ 野面積み
第2期 池田輝政の時代 ・・・ 打込みハギの乱積み
第3期 本多忠政の時代 ・・・ 打込みハギ
城は石垣から上を1階と数える。姫路城の石垣に
囲まれた地階は外から石垣しか見えず、地階があるとは分からない。
安全地帯だ。大天守地階には流しや厠が設置されているのが珍しい。
大天守1階には3ヶ所に石落としがある。ここは石を落とすことよりも
石垣に取りつく敵を監視したり、射撃するための設備になっている。
2階には天守入口には架かる入母屋破風の屋根裏空間の
破風の間がある。格子窓の1つは開閉できるようになっている。
3階には「武者隠し」と呼ばれるスペースが設けられている。
内部に攻め入った敵を。ここに隠れた兵が応戦できるようになっている。
又、大天守の内部に至る所に「武具掛け」が設けられている。
武具掛けには鉄砲や弓、槍などを掛けておく用途に用いられた。
4階の平、立面図。石打棚は窓などの開口部から
城外の敵を攻撃するなどの場合に、上に乗って応戦する台を言う。
大天守内でも数ヶ所みることができる。
4階は大千鳥破風があるため、窓の位置が高くその為棚を設けている。
大天守の4階から5階へは大渋滞。危険防止の為、
係員からの指示で5階の人が降りるまで4階の人はウェイティング。
待っている間、太い一本通しの丸太の梁をじっと眺めていた。
この梁が築城以来のものだと400年、
コンクリートの数10年とは耐用年数が数倍も違うことになる。
大天守5階。東西2本の大柱の最頂部で、地階から5階の
梁まで通柱となっています。柱が梁を受ける接合部分は
昭和の大修理の際に鉄板で補強している。
6階最上階には姫山の地主神で近代になって天守内で
祀られるようになった長壁(刑部)神社がある。
6階の窓からは西の丸。駅前通り姫路駅方面が見えとても眺めが良い。
6階から見た真新しい鯱。屋根瓦の目地になまこ壁風の
真っ白な漆喰が目立った。
いよいよ天守閣から降りていく。
今回の大修理で耐震性向上のための柱補強を
地下1、6階部分にした。これがその筋交だ。