スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

うだつの町並み

2018-05-20 05:42:39 | 旅 ~国内

うだつの町並み、脇町南町へ行くには、徳島線穴吹駅(美馬市)で下車。

この路線の駅は無人駅が多く、改札の役割を

車掌さんが電車を降りてホームでやっていた。

なんとのどかな風景だったことか。車中でもボックス席に

高齢な男女の乗客が方言で一種の井戸端会議をやっていた。

徳島弁はとても優しい言葉で(ex ~けん 語尾)

車窓景色と相俟ってのどかのどかな時が流れていた。

穴吹駅からタクシーに乗り、しばらく走り日本三大

暴れ川の1つ四国三郎吉野川(参 利根川・・・阪東太郎、

筑後川・・・筑紫次郎)を渡るとそこがうだつの町並 美馬市脇町。

ここは江戸時代から阿波藍の集散地として栄えた

商家町で江戸時代中期から昭和初期にかけての

歴史的な建造物が建ち並び、歴史の変遷にふれることが出来る所だ。

南町通りの長さ400mには、歴史的な建造物が

85棟残されている。ここは昭和63年12月16日、

全国で28ヶ所目の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

昭和20年代の香りがする美馬市伝統工芸体験館、美来工房

そして自働電話と書かれた電話Box。

ここワタル珈琲さんの建物も戦後の匂いがする懐かしい建物だ。

うだつ(卯建)とは町家の妻壁の横に張り出した袖壁で、

防火の役目をした。江戸から明治にかけて富裕な家は

この卯建をあげた立派な家を造っていた。

ことわざに、いつまでもぐずぐずしていて一向に出世の

できないことを「うだつが上がらぬ」とはこれが語源だ。

鬼瓦は魔除け、火除け、雷除け、家の守り神であり、

その上に鳥ぶすまといって鳥が鬼瓦に糞をしないための

止まる所帆掛船の帆の形(防火)にしている。

藍染めの商品を取り扱っている「うだつや」さん。

薄暗い商家の店の中で味わいの深い藍の様々な

商品が並んでいる。阿波藍の最古の資料では

1247年(宝治元年)藍住町の見性寺という寺の和尚が

藍を栽培して美馬軍岩倉(現在の美馬市脇町・・・ご当地)で

衣を染めたと記されている。

「うだつや」さんの店頭でかわいらしく売られていたお手玉人形1個400円。

突然何これ!といった看板に遭遇した。

「警告 犬のフンを放置する悪質な飼い主を追跡捜査中!」

美馬市環境下水道課 この文章が一番強烈だったが

他にもいくつも犬のフンについて看板を見た。

美馬市の条例でもあるらしいが、特に犬のフンに片寄った印象を持ってしまった。

昔は当たり前のたばこ屋の店頭構えだったが、

今と成っては郷愁を誘うものがある。

土蔵などに用いられるなまこ壁。日本伝統の壁塗りの

様式の1つで、壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に

漆喰を盛り上げた形に塗ったものだ。

関東方面ではあまりみないとてもビックな松ぼっくりが

無人の籠に入れられて、1個100円で売られていた。

この松ぼっくりがなぜか魅力的に見えて数個買おうと思ったくらいだ。

細かい角木を縦横に間をすかして組合せ、窓や出入口に

取りつける建具が格子で、出格子などは旧商家が

威勢を表す建築様式だ。出格子からさらに道路側に張り出しているのが

持ち送りといって、出格子を支え、装飾にもなっている。

本当に本当に懐かしいホーローでできた「ボンカレー」の看板。

モデルは松山容子さんで発売から50周年を迎えたそうだ。

「江戸から町屋のにおいを感じながら、しわしわ歩きないよ

ほんまにうだつが上がるけんな 心が癒されて いんでよ」

うだつ名物 そば米雑炊の店、茶里庵さん。そば米雑炊(1080円)は

郷土料理の原点。阿波の山里では昔からそばの

米粒が入った吸物で阿波尾鶏の肉、多種多様な野菜が

豊富に入った栄養満点な健康食品大変珍味な逸品

これこそふる里料理の王様と言われている。

こんな山奥の地にも外国人の観光客が居る。

一昔前までは考えられないが、SNSの発達の為か

我々日本人よりも情報を持っている外国人が増えた。

この街で見た唯一の近代的建物 道の駅の売店レストランと

1792年創業の藍商の館「吉田家住宅」の裏庭。

モダンな藍色のパラソルがお洒落な空間を演出している。

ここは5つあるカメラポイントの1ヶ所だ。

吉田家住宅藍商の館の中。商人の人形と藍染商品が

江戸時代から現代までの時間を継いでいる様だ。

阿波踊竹人形作りを実演販売している「時代屋」さん。

このご主人から「どこから来たのですか?」と聞かれたので

「さいたま市です」と答えたら「そんな遠い所からですか。

ようおいでてくれましたなー」と感心されていた。

1585年(天正13年)の冬、秀吉より四国征伐の功績により、

蜂須賀家政に阿波国を拝領、筆頭家老稲田植元

脇城に入城する。城下町の復興を命じ、

焼跡に町並み、表国4間、裏へ間と定める。

讃岐、伊予、備前などからも諸商人が集まり繁栄が始まった。

辻井戸。昭和62年、建設省の手作り郷土賞と

日本の道100選に選定された。

窓の形が虫を入れる籠に似ていることから、「むしこ窓」と

呼ばれる。部屋の明かりとりや、風通しを良くする為に造られた。