スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

大歩危周辺エリア

2018-05-26 06:05:33 | 旅 ~国内

阿波池田駅で乗り換えて土讃線「大歩危(おおぼけ)」駅へ。

上りの次駅「小歩危(こぼけ)」と共に「オオボケ・コボケ」と呼び

メディアでも時折ネタとして紹介され親しまれている。

大歩危とは大股で歩くと危険から来ていると言われ、

日本三大秘境の一つ祖谷(いや)渓への入口になっている。

このエリアは吉野川の渓谷が美しく、平家落人の里や

後日アップ予定のかずら橋など秘境に相応しい景勝の地だ。

大歩危駅のホームにはかずら橋のミニチュア版の橋があり、

これから当地に向かう旅人の心を掻き立てている。

かずら橋の隣りには奇妙な「らぶらぶベンチ」なる物があった。

確かに2人で座るとすべり台の要領でお互いに体が寄ってしまうベンチだ。

このらぶらぶベンチには「たいへん、よくすべる

ベンチですので、くっつきすぎにごちゅういください。

との注意書きがあった。駅をデートスポットとして利用出来るように

JR四国が設置したらしい。

田舎の駅とはいえ、なかなか趣きがある「大歩危駅」の駅舎と駅前広場。

駅前の向こうはご覧の様にすぐに急な山並みが迫ってきている。

改札口の横には2011年4月に地元生まれの妖怪

「こなきじじい」が駅長に就任し、観光案内所入口横に

木彫りのこなきじじい像が置かれている。こなきじじいは

徳島県山間部などで伝承される妖怪で、本来は老人の姿だが、

夜道で赤ん坊のような産声をあげるとされている。

電車の車窓から撮ったので、写真がボケてしまったが、

吉野川の大河沿いと国道側にワイヤーを張り

全国から集められた百十匹の鯉のぼりが川面を泳ぐ

有名な「鯉のぼり秘境大歩危峡を泳ぐ」イベント。

本当はその地まで行ってじっくり撮りたかったのが、

時間の余裕もなく、この車窓の1枚だけとなってしまった。

ここ東祖谷(イヤ)は日本有数の圧倒的な質と量の平家落人

伝説が語り継がれていた地方だ。そして古き文化を

今に伝える平家落人の里にある東祖谷歴史民俗資料館。

ここには東祖谷の歴史に最も雅やかな変化をもたらした

平家一族の資料が展示され、興味のつきない歴史の足跡がうかがえる。

近代のわが国では、各地に置いて文明の利器や、

生活様式の変化に伴う日常用具の変遷が生まれた。

当時、貴重だった道具、利器の数々。

又生活を潤す芸術品など、村民が大切に残した時代の形、

暮らしの風景が展示してある。

祖谷に眠る秘密の物語「もうひとつの平家物語」

祖谷平家物語のポスターとNHK平清盛(平成24年スタート)の

ポスター ・・・平成は平安を見よ。

展示物の硝子に書かれた平家物語の冒頭の一節

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」が

より一層この地だと響いてくる。「ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もつひには滅びぬ・・・」

母が平清盛の娘徳子(後の建礼門院)の安徳天皇御尊影

(御寺 泉涌寺 蔵)

平氏および天皇家の関係。平清盛の甥平教経(国盛)の影が

祖谷のいたるところにあった。

安徳天皇崩御により、平氏再興の願いは途絶えてしまったが、

平国盛はこの祖谷の地で根を張っていきてゆくことを決意し、

祖谷街道、土佐街道のどちらからも目に付きにくい場所に

居を構えた。その子孫は「阿波」の国と「土佐」の国の

国境に屋敷があることから、それぞれの国名から

1文字ずつ取り、「阿佐」という姓を名乗り、

23代に渡りこの地で暮らしている。それがこの阿佐家住宅だ。

屋敷の特徴のひとつは玄関。正面玄関からは

武士階級の人、横の小さい玄関からは役付のお百姓さん、

その他の人は西側の入口からしか出入りできなかったそうだ。

主屋の建立は文久2年(1862年)と考えられ、その後阿佐氏による

維持管理がなされてきたが、根本的な保存修理が必要と成り、

所有を三好市に切り替えて昨年3月、保存修理工事が完成した。

本屋を入母屋屋根に復元し茅葺を現わし、

玄関屋根は柿葺、下屋は板上に銅板養生に整備した。

阿佐家には大小二流の平家の赤旗、系図、宝刀が

伝わっており、この赤旗は日本最古の群旗と言われている。

戦場用の小旗には八幡大菩薩の文字と雄雌二羽の

揚羽蝶(平家の家紋)が入っている。

阿佐家は追ってから身を隠すために、代々亡くなった時は

名を伏せて墓に入るという約束も守られているという。

丁度訪問した時奥の松の木の下の畑で、現在の

阿佐家当主が農作業をしていた。その姿を目の当たりして、

歴史の非情さを感じてしまった。