スミダマンのほのぼの奮戦記

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仙台城跡

2021-02-04 06:40:01 | 旅 ~国内

仙台といったらこの像、伊達政宗像が最初に目に浮かぶ程、有名な銅像だ。

この騎馬像は政宗の300回忌にあたる1935年(昭和10年)に仙台城本丸に建立された。

作者は日本の地元彫刻家・小室達氏で現在のは昭和39年10月9日に復元された第2代目だ。

これが仙台城跡の案内図。

仙台城の面積は約2万坪で江戸城の次に広く、全国で最大級の大きさの城だった。

現在、往時の建物は残っていないが長い歴史が刻まれた石垣と

復元された大手門脇櫓等が往時の城を偲ばせている。

東日本大震災の記憶の「昭忠碑」。

この碑は明治35年に西南戦争・日清戦争等の戦没者を慰霊する為に設遺された。

昭忠とは忠義を明らかにするという意で小松宮彰仁親王の揮亳による。

昭忠碑の塔上に設置された鵄は戦前の金属供出を免れた

彫刻作品(前述の伊達政宗像は戦争で供出された。)で東北地方で最も古い作品だ。

2011年3月11日の東日本大震災により鵄が塔上から落下し大きく破損した。

その修復と安全性を考えて基檀上に設置されている。

城跡の一部は青葉山公園となっていて、伊達政宗の像が立つ天守台は眺めがよく、

遠く太平洋、仙台市の代表的風景、宮城蔵王の山並み、日本で2番目に大きい仙台大観音など

素晴らしい風景を一望することができ、絵葉書などにもなっている。

この時は緊急事態宣言下でもあり、城跡内にはほとんど観光客も来ておらず、

日常のゆったりした時間が静かに流れていた。

地面には正月降ったという雪が残っていて冬の風情となっていた。

仙台城見聞館は平成18年仙台城本丸跡につくられたガイダンス施設。

館内では仙台藩の儀式や政務を執り行った本丸大広間に関連した展示を中心に、

仙台城跡の見どころについて分かりやすく展示している。

大広間の50分の1復元模型や藩主が座った上段の間の床の一部を

原寸大で再現した展示も見ることができる。

普段は仙台城発掘などのDVDを上映しているが、

コロナウイルス感染防止のため放映を中止している徹底さには正直驚いた。

本丸大広間跡の遺構。

仙台城は初代仙台藩主・伊達政宗によって造営され、

慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされている。

城は東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖、西が険しい山に囲まれた天然の要害で、

石垣は主に本丸の周りに築かれた。

築城当初は、本丸と現在の三の丸と呼ばれている地区が整備された。

その後、二代藩主・忠宗が二の丸を造営すると、二の丸が藩政の中心となった。

この写真は午後2時頃撮った一枚だが、雲一つない快晴の空の右上の方に月がうっすらと出ていて、

仙台城跡の伊達政宗公の騎馬像と松の風情と相まって詩情の世界の一枚となった。

この一枚を見て明治中頃に作られた名曲「荒城の月」を思い浮かべてしまった。

作曲は滝廉太郎、作詞は仙台出身の土井晩翠。

まさに悠久の月である。

尚、仙台城には荒城の月の歌碑が昭和27年に晩翠の胸像とともに建立された。

この除幕式には病をおして晩翠は出席し

「身にあまるほまれをうけて ただなみだ 感謝をささぐ一切の恩」と詠み、

その場で号泣したという。

本丸城跡にある宮城縣護国神社。

明治維新以降の諸事変、戦没における宮城県関係

あるいは縁故のある戦死殉難者、5万6千余柱を祀る。

創建は明治37年。

 


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